第42回講義

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2018.02.22 録音

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王維作詩の背景



「王維年譜」



「唐王朝年表」

王維年譜1 699年 1歳 ~727年 29歳
王維年譜2 730年 32歳 ~747年 49歳
王維年譜3 750年 52歳 ~761年 63歳

唐王朝年表1 618年 高 祖 ~779年 代 宗
唐王朝年表2 779年 徳 宗 ~907年 哀 宗


中国文学地図

地名  輞川  荊州・江陵  長安  洛陽  襄陽
山名  秦嶺山脈(地図)  秦嶺山脈(説明)
川名・湖名  黄河  渭水  漢水


春秋列国の形勢

  


人名用語書名」

人名  王維  玄宗皇帝(李隆基)  楊貴妃 孟浩然  李林甫  陶淵明  杜甫  張九齢  白居易  裴迪(はいてき)  宋之問

用語  開元の治  貞観の治  輞川荘

書名  文選(もんぜん)文選(もんぜん)

     

 

輞川閒居    唐 王 維

全唐詩卷一百二十六


 輞川閒居 王 維

一從歸白社,

不復到青門。

時倚簷前樹,

遠看原上村。

青菰臨水拔,

白鳥向山翻。

寂寞於陵子,

桔槔方灌園。


 輞川閒居もうせんかんきょ   王維おうい

ひとたび 白社はくしゃかえってより

青門せいもんいたらず

ときる 簷前えんぜんじゅ

とおる 原上げんじょうむら

青菰せいこ みずのぞんで

白鳥はくちょう やまむかって

寂寞せきばくたり 於陵子おりょうし

桔槔きっこう まさえんそそがん


字句解釈

輞川   「輞」は車輪の外側の輪。川の渦からの由来。長安の南、 秦嶺山脈の藍田山にある溪谷のあたりの地名。 ここに輞川荘を作った。

閒居   ①何もしないで家に居ること。②物静かな住まい。ここでは②。 小人閑居為不善。小人は君子の反対で学問、教養のない人間。

白社   晋代、董京(とうけい)という隠者が洛陽東郊の 白社(はくしゃ)というところに住んでいて、逍遥吟詠の隠遁生活を送った故事を踏まえる。 白屋は粗末な家。

青門   漢代の長安にあった青く塗った門。

簷前   のき、「簷」=「檐」。「簷」の端を「軒」という。軒は、渡り廊下の意もある。

遠看原上村    陶淵明「歸園田居」曖曖遠人村,依依墟里煙、を下敷きとしている。

青菰   青いまこも。

寂寞   寂しいさま。

於陵子   陳仲子。斉の国の人なり。妻とともに楚に行きて、於陵といふ所にこもり居て、みづから 於陵子といふ。蒙求にあり。 顛末は列女伝にある。

桔槔   はねつるべ。


詩の鑑賞

王維43歳、開元29年、741年、藍田山麓に別荘、輞川荘を作って、後年、白居易が 見習ったような半官、半隠の生活に入った。その時の様子を伝える五言 律詩である。





 

與盧員外象過崔處士興宗林亭   唐 王 維

全唐詩卷一百二十八


 與盧員外象過崔處士興宗林亭
       王 維

綠樹重陰蓋四鄰,

青苔日厚自無塵。

科頭箕踞長松下,

白眼看他世上人。


 盧員外象ろいんがいしょう崔處士興宗さいしょしこうそう林亭りんてよぎ
       王維おうい

綠樹りょくじゅ 重陰ちょういん 四鄰しりんおお

青苔せいたい あつおのずから塵無ちりな

科頭かとう 箕踞ききょ 長松ちょうしょうもと

白眼はくがん 看他かんたす 世上せじょうひと


字句解釈

盧員外象   官が員外盧象

崔處士興宗   處士(勤めていない人)の崔興宗

林亭   べっそう。

重陰   深い蔭。茂って蔭を作っている。

日厚自無塵   陽が当たった厚いこけに塵がない。来客がないこと。

科頭   冠を付けないむき出しのあたま。科はむき出しの意。

箕踞   四角な箕(み)のように、脚を広げて座る。

白眼   人を冷淡に見る目つき。 竹林の七賢の指導的人物、晋の 阮籍が礼教にこだわる俗人を白眼で見たという故事に基づく。

看他   他は助辞。

世上人   俗人。

 

與盧員外象過崔處士興宗林亭   唐 王 縉

全唐詩卷一百二十九


 與盧員外象過崔處士興宗林亭
         王縉

身名不問十年餘,

老大誰能更讀書。

林中獨酌鄰家酒,

門外時聞長者車。


 盧員外象ろいんがいしょう崔處士興宗さいしょしこうそう林亭りんてよぎ
          王縉おうしん

身名しんめい はず 十年餘じゅうよねん

老大ろうだい だれく さらしょまん

林中りんちゅう ひとむ 鄰家りんけさけ

門外もんがい ときく 長者ちょうじゃくるま


字句解釈

王縉   王維の1歳違いの弟。

身名   身分や名誉。

老大   老人。用例:賀知章「回郷偶書」。

獨酌鄰家酒   陶淵明の故事あり。「飲酒詩(之十四)“故人賞我趣,挈壺相與至。班荊坐松下,數斟已復醉。」

長者   ①学徳の高い人。②権勢のある人。 どちらもあるか。

 

與盧員外象過崔處士興宗林亭   唐 盧 象

全唐詩卷一百二十二


 與盧員外象過崔處士興宗林亭
       盧象

映竹時聞轉轆轤,

當窗只見網蜘蛛。

主人非病常高臥,

環堵蒙籠一老儒。


 盧員外象ろいんがいしょう崔處士興宗さいしょしこうそう林亭りんてよぎ
           盧象ろしょう

たけえいじ ときく 轆轤ろくろてんずるを

まどあたりて る 蜘蛛ちしゅあみ

主人しゅじん やまいあらず つね高臥こうが

環堵かんと 蒙籠もうろう 一老儒いちろうじゅ


字句解釈

盧象   王維の友人。

映竹   竹を通して。

轆轤   (井戸水くみ用の)滑車。

網蜘蛛   くものす。

高臥   世俗に煩わされないで心を高尚に保って過ごす。

環堵   粗末で小さな屋敷。

蒙籠   ぼんやり。

老儒   年老いた学徳の高い学者。老は敬語。

 

吟 詠   長岡巨知様   


従軍行  王昌齡




 従軍行  王昌齡

秦時明月漢時關,

萬里長征人未還。

但使龍城飛將在,

不教胡馬度陰山。


 従軍行じゅうぐんこう    王昌齡おうしょうれい

秦時しんじ明月めいげつ 漢時かんじかん

萬里ばんり 長征ちょうせい ひといまかえらず

龍城りゅうじょうの 飛將ひしょうをしてらしめば

胡馬こばをして 陰山いんざんを わためず



 

與盧員外象過崔處士興宗林亭   唐 裴 迪

全唐詩卷一百二十九


 與盧員外象過崔處士興宗林亭
       裴迪

喬柯門裏自成陰,

散發窗中曾不簪。

逍遙且喜從吾事,

榮寵從來非我心。


 盧員外象ろいんがいしょう崔處士興宗さいしょしこうそう林亭りんてよぎ
           裴迪はいてき

喬柯きょうか 門裏もんり おのずからかげ

窗中そうちゅうに 散發さんぱつして ってかんざしせず

逍遙しょうよう よろこび ことしゃたが

榮寵えいちょう 從來じゅうらい こころにあらず


字句解釈

盧象   王維の友人。

喬柯   高い木の枝。

自成陰   気が陰を作っている。(王維の詩に合わせている。)

   髪散窗中   ざんばら髪が室内に乱れる。

簪  冠を止めるためのかんざし。女性の美しいかんざしは鈿・釵・笄など。

榮寵   寵愛され、栄達して高位にいる。

 

與盧員外象過崔處士興宗林亭   唐 崔興宗

全唐詩卷一百二十九


 酬王摩詰過林亭
       崔興宗

窮巷空林常閉關,

悠悠獨臥對前山。

今朝忽枉嵇生駕,

倒屣開門遙解顏。


 王摩詰おうまきつ林亭りんていよぎるに林亭りんてよぎるにむく
           崔興宗さいこうそう

窮巷きゅうこう 空林くうりん つねかんざし

悠悠ゆうゆう ひとして 前山ぜんざんたい

今朝こんちょう たちまち嵇生けいせいまげられ

さかしまにして もんひらきて はるかにかんばせ


字句解釈

崔興宗   王維内弟(母方のいとこ)。

窮巷   むさくるしいちまた。

空林   ①人気のない林。②木の葉の落ちた林。ここは①。

閉關   ①関所をとざす。②門をとざす。ここは②。

悠悠   悠は①ひまなさま。ゆったりしたさま。②はるか遠い。③かなしい。ここは①。

獨臥對前山  (陶淵明風である。)

枉駕   車の進行方向を曲げる。転じて、他人の訪問に対する敬語。

嵇生   竹林の七賢のひとり、嵆康(けいこう)に、王維をなぞらえて。

倒屣   屣ははきもの、慌てて逆様に履いた。

解顏   にっこりわらう。


詩の鑑賞

王維と、弟の王縉、友人の盧象、裴迪の4人が揃って、王維の従弟の崔興宗の別荘を訪問した時の詩。
崔興宗の詩は、各句が、訪問した4人の詩への応答となっている。みごとである。
4人の楽しんだ様子がよくうかがえる。




 

作詩の背景  隠者



於陵子



商山の四皓




厳光



竹林の七賢




野狐禅

終南捷径

春秋戦国時代(紀元前4~5世紀)陳仲子。
斉の国の人なり。妻とともに楚に行きて、於陵といふ所にこもり居て、みづから 於陵子といふ。

秦時代(紀元前221年 - 紀元前206年)東園公・綺里季・夏黄公・甪里(ろくり)先生
秦代末期、乱世を避けて陝西(せんせい)省商山に入った。みな鬚眉(しゅび)が皓白(こうはく)の老人であった。

後漢時代(紀元前39年 - 紀元41年)厳光
会稽郡余姚県(浙江省余姚市)の出身。若くして才名あり、のちの光武帝となる劉秀と同門に学ぶ。 劉秀が皇帝となると、厳光は姓名を変えて身を隠した。

晋時代(265年 - 420年)阮籍(げんせき)・嵆康(けいこう)・山濤(さんとう)・劉伶(りゅうれい) ・阮咸(げんかん)・向秀(しょうしゅう)・王戎(おうじゅう)
魏(三国時代)の時代末期に、酒を飲んだり清談を行なったりと交遊した七人の隠者。

禅宗において、禅に似て非なる邪禅のこと。

終南山には仕官への近道があるということ。

 

輞川集 并序    唐 王 維

全唐詩 卷一百二十八
 
 輞川集もうせんしゅう  ならびにじょ  王 維おうい
別業べつぎょう輞川もうせん山谷さんこくり。
游止ゆうしに、孟城坳もうじょうおう華子岡かしこう文杏館ぶんきょうかん
斤竹嶺きんちくれい鹿柴ろくさい木蘭柴もくらんさい茱茰沜しゅゆはん宮槐陌きゅうかいはく
臨湖亭りんこてい南垞なんだ欹湖いこ柳浪りゅうろう欒家瀬らんからい金屑泉きんせつせん
白石灘はくせきたん北垞ほくだ竹里館ちくりかん辛夷嗚しんいお漆園しつえん椒園しょうえん
等有などあり。
裴迪はいてきと、閑暇かんかおのおの絶句ぜっくすとのみ

 

輞川集:孟城坳    唐 王 維

全唐詩 卷一百二十八


 孟城坳  王 維

新家孟城口,

古木餘衰柳。

來者複為誰,

空悲昔人有。

 孟城坳もうじょうおう    王 維おうい

あらたいえなす 孟城口もうじょうこう

古木こぼく 衰柳すいりゅうあま

來者らいしゃは だれとか

むなしく かなしむ 昔人せきじんりしを


字句解釈

孟城坳   孟という城のあった坳(くぼち)。

餘衰柳   おとろえた柳がのこっている。

來者   ①将来の人。②将来くる人。ここは②。


詩の鑑賞

熱心な佛教信者である王維らしい味わい深い一首である。




 

輞川集:華子岡    唐 王 維

全唐詩卷一百二十八


 華子岡  王 維

飛鳥去不窮,

連山複秋色。

上下華子岡,

惆悵情何極。

 華子岡かしこう    王 維おうい

飛鳥ひちょう ってきわまらず

連山れんざん 秋色しゅうしょく

華子岡かしこうを 上下じょうげすれば 

惆悵ちゅうちょうして じょうなんきわまらん


字句解釈

華子岡    九江にある岡。華子は甪里先生の弟子の名で岡は住んでいたところ。 「入華子岡是麻源第三谷」謝霊運を踏まえる。 文選(もんぜん)にあり。

惆悵   ①嘆き悲しむ。②がっかり気落ちしたさま。失意のさま。


詩の鑑賞

隠者、仙人、佛教にかかわる詩。




 

輞川集:文杏館    唐 王 維

全唐詩卷一百二十八


 文杏館  王 維

文杏裁為梁,

香茅結為宇。

不知棟裏雲,

去作人間雨。



 文杏館ぶんきょうかん    王 維おうい

文杏ぶんきょう ちてはり

香茅こうぼう むすんで

らず 棟裏とうりくも

って 人間じんかんあめとなるを


字句解釈

文杏裁為梁   文杏は木目のうつくしい杏子の木。
司馬相如長門賦」  これも、文選巻十六を踏まえる。

香茅   かぐわしいかや。 西晋・左思の 「吴都賦」 (『文選』 巻五) に見える。

棟裏雲   郭璞游仙詩」を踏まえる。


詩の鑑賞

王維は広大な輞川荘に20ケ所の游止を設け、それぞれに名前を付けて半官半隠を楽しんだ。
この詩は典故もりである。