(「しょう」、又は簫の笛、「しょうのふえ」)は、東アジア気鳴楽器管を使った縦吹き・ノンリードフルートであり、単管のものとパンパイプ型の二種があり、八音ではいずれも「竹」に属する。

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洞簫の歌口(吹口)。演奏時は穴を上に向け、上唇は穴を覆わない。

宋代以降、洞簫拼音: dòngxiāo)と一般に呼ばれる。長さ80pほどで、表5孔、裏1孔がある。多くは製だが、磁器で作られたものもある。歌口は、管壁の外側を削る尺八と異なり、管壁の内側を斜めにえぐっており、えぐり方も小さい。下端の後側には2-4個の出音孔がつけられている。

もとは漢代に篴(てき)と呼ばれた羌笛(きょうてき)、すなわち甘粛四川地方の少数民族が使っていた3-4孔の葦笛が東に伝わったものといわれる。前1世紀京房が背面に1孔を加えて5孔とした。清朝雅楽用の洞簫は、長さ 54p、表5孔・裏1孔となっている。

中国の洞簫……中国では今日でも独奏・合奏・歌唱伴奏・地方戯曲や語り物音楽の伴奏などで洞簫は広く使われており、現在のタイプとしては次の三種が挙げられる。

福建南曲では、尺八のように太い、長さ56pほどの竹製の洞簫が使われる。

短簫という短いタイプも存在する。これは長さ42p、前に4孔・後に1孔あり、郷楽および室内楽などの正楽でも使われる。

日本と朝鮮の洞簫……日本の正倉院に伝わる雅楽尺八も、洞簫の一種である。なお、近世日本の一節切(ひとよぎり)や普化尺八(ふげしゃくはち)を洞簫と呼ぶこともあるが、楽器としては別物である。

洞簫は高麗時代に朝鮮へ伝わり、雅楽・民間いずれでも用いられる。やはり表5孔・裏1孔だが、清孔をつけてそこに竹紙を貼り、しびれた音色を出すようにしたものもある。

パンパイプ型の簫

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木帯を使ったパンパイプ型の簫の例。

唐代以前は、単に簫と言った場合はパンパイプ型を指した。元代以降は排簫拼音: páixiāo)(排列の意から)、また明代以降は鳳簫とも呼ばれる。長短の竹管 10-24 本を長さ順あるいは左右対称となるよう平らに並べて、木帯でおさえるか(古制)、鳳翼をかたどった木枠に入れる(鳳簫という名の由来)。

中国に古くから存在した楽器と考えられ、伝説上は舜帝あるいは伏羲の作とされる。3世紀-8世紀西域于闐亀茲の壁画に、異なる長さの管を並べたパンパイプ型の簫が描かれているものの、多くの西域楽器の起源となっているインドイランにパンパイプ型楽器があった証拠はないため、実際の起源は不明である。

殷代甲骨文中に、既にパンパイプ型の簫の前身と思われる記述が見られ、『詩経』にもその名が見られる。最古の遺物は、湖北省随県曾侯乙墓から発掘された紀元前433頃のものである。

漢代の『爾雅』によると、当時は大型の「ゲン」(竹かんむりに言、23管で管長は14寸(約30p))と小型の「コウ」(竹かんむりに交、16管で管長は12寸)の二種類があった。また同じく漢代には、開管タイプ(管孔が開いた「洞簫」)と、閉管タイプ(管の下が閉じた「底簫」)の二種類があったが、前者はやがて使われなくなった。河南ではパンパイプ型の簫を吹く土偶が発掘されており、漢代にはかなり普及していたことが窺える。漢代の鼓吹楽(打楽器と吹奏楽器を主とし、多くは歌唱を伴う)における主要楽器だったと考えられる。

六朝唐代には、管は同長にし、中に詰め物をして音律を調整したものが見られる。後代のものは中央部分の管長を短く、両端の管長を長くして鳳翼形の枠におさめている。

隋・唐代の宮廷で演じられた十部伎・二部伎の西域系楽舞では、簫も西域系のものが使われた。十部伎のうち清伎(漢代以来の俗楽)にはほぼ半音階に調律した18管の簫が、亀茲伎には7音音階3オクターヴ21管の簫が使われた。歌簫というものが鐃吹部(軍楽)に用いられている。