第47回講義

音声を聞くにはプラグインが必要です。
(ブラウザの設定にもよりますが音声を聞くには
「ブロックされているコンテンツを許可」し、
スタートボタンをクリックしてください。

尚、Windows10標準のブラウザーedgeでは音声再生ができません。
internetexplorer11をご使用ぐださい。)




2018.07.26 録音

(リンクはシフトボタンを押しながらクリックすると
別ウインドウでリンク先を見ることができて便利です。
音声も途切れません。)


 

王維作詩の背景



「王維年譜」



「唐王朝年表」


「中国の歴史要約」

王維年譜1 699年 1歳 ~727年 29歳
王維年譜2 730年 32歳 ~747年 49歳
王維年譜3 750年 52歳 ~761年 63歳

唐王朝年表1 618年 高 祖 ~779年 代 宗
唐王朝年表2 779年 徳 宗 ~907年 哀 宗

唐王朝年表1 中国の歴史要約
唐王朝年表2 中国の歴史要約(其の二)分裂の時代


中国文学地図

地名  輞川  長安  洛陽  太源  四川省(成都)  馬嵬

川名・湖名  黄河  渭水  漢水


春秋列国の形勢

     


人名用語書名」

人名  王維  王縉  阿倍仲麻呂(晁衡/朝衡)  張九齢  裴迪(はいてき)  玄宗皇帝(李隆基)  肅宗  永王 璘  楊貴妃  李林甫  高力士  楊 国忠  安禄山  史 思明  杜甫  李白

用語  輞川荘  安史の乱  節度使  唐朝官職

     

 


送秘書晁監還日本國并序    唐 王 維

全唐詩 卷一百二十七


 送秘書晁監還日本國并序 王 維

羣后有苗不格。

會諸侯。防風後至。

干戚之舞。興斧鉞之誅

乃貢九牧之金。始頒五瑞之玉

我開元天地大寶聖文神武應道皇帝。

大道之行。先天布化。

乾元廣運。涵育無垠。

若華為東道之標。戴勝為西門之候。

豈甘心於筇杖。非徴貢於包茅

亦由呼耶來朝。舍於葡萄之館。

卑彌遺使。報以蛟龍之錦。

犧牲玉帛。以將厚意。

服食器用。不寶遠物。

百神受職。五老告期。

况乎戴髮含齒。得不稽顙屈膝。

海東國。日本為大。

服聖人之訓。有君子之風。

正朔本乎夏時。衣裳同乎漢制。

歴歳方逹。繼舊好於行人。

滔天無涯。貢方物於天子。

同儀加等。位在王侯之先。

掌次改觀。不居蠻夷之邸。

我無爾詐。爾無虞。

彼以好来。廢關弛禁。

上敷文敎。虚至寔歸。

故人民雜居。往來如市。

晁司馬結髮遊聖。負笈辭親。

問禮於老學。詩於子夏

魯借車馬。孔丘遂適於宗周。

鄭獻縞衣。季札始通於上國。

名成太學。官至客卿。

齊之姜。不歸娶於髙國

在楚猶晉。亦何獨於由余。

遊宦三年。願以君羮遺母。

不居一國。欲其晝錦還郷。

荘舃既顯而思歸。
關羽報恩而終去。

於是稽首北闕。裹足東轅。

篋命賜之衣。懐敬問之詔。

金簡玉字。傳道經於絶域之人。

方鼎彝尊。致分器於異姓之國。

琅琊臺上。回望龍門。

碣石館前。夐然鳥逝。

鯨魚噴浪。則萬里倒回。

鷁首乗雲。則八風却走。

扶桑若薺。鬱島如萍沃。

白日而簸三山。浮蒼天而呑九域。

黄雀之風動地。黒蜃之氣成雲。

淼不知其所之。何相思之可寄。

嘻。

去帝郷之故舊。謁本朝之君臣。

七子之詩。佩兩國之印。

恢我王度。諭彼蕃臣。

三寸猶在。樂毅辭燕而未老。

十年在外。信陵歸魏而逾尊。

子其行乎。余贈言者。

 積水不可極、安知滄海東。

 九州何處遠一作/所、萬里若乗空。

 向國唯看日、歸帆一作/途但信風。

 鰲身暎天黒、魚一作/蜃眼射波紅。

 郷樹扶桑外、主人孤島中。

 別離方異域、音信若為通。


 秘書晁監ひしょちょうかん日本國にほんこくかえるをおくならびじょ    王 維おうい

しゅん羣后ぐんこうまみえ。 有苗ゆうびょういたらず。

諸侯しょこうかいし。 防風ぼうふうおくれいたる。

干戚之舞かんせきのまいうごかし。 斧鉞之誅ふえつのちゅうおこす。

すなわ九牧之金きゅうのくのきんみつがしめ。 はじめ五瑞之玉ごたんのぎょくわかつ。

開元天地大寶聖文神武應道皇帝かいげんてんちたいほうせいぶんじんむおうどうこうてい

大道たいどうこれおこない。 てんさきんじてく。

乾元廣運かんげんこううん涵育かんいくすることかぎりし。

若華じゃくか東道之標とうどうのしるしし。 戴勝たいしょう西門之候せいもんのこうす。

こころ筇杖きょうじょうあまんぜしめんや。 こう包茅ほうぼうちょうするにあらず。

由呼耶ゆこや來朝らいちょうし。 葡萄之館ぶどうのやかたとまる。

卑彌ひみ使つかいつかわし。 むくゆるに蛟龍之錦こうりゅうのにしきってす。

犧牲玉帛ぎせいぎょくはくって厚意こういもちう。

服食器用ふくしょくきよう遠物えんぶつたからとせず。

百神ひゃくしんしょくけ。 五老ごろうぐ。

いわんかみいただふくむもの。 ひたいぬかづひざっせざるを

海東とうかいくに日本にほんだいす。

聖人之訓せいじんのおしえふくし。 君子之風くんしのふうり。

正朔せいさくもととき衣裳いしょうおなじ漢制かんせい

歴歳れきさいまさっし。 舊好きゅうこう行人こうじんぐ。

滔天とうてん無涯むがい方物ほうぶつ天子てんしみつぐ。

おなじくしとうくわえ。 くらい王侯之先おうこうのさきらしめ。

つかさどるものかんあらため。 蠻夷之邸ばんいのていく。

われなんじいつわりなく。 なんじおそれなし。

かれたるをって。 かんはいきんゆるうす。

じょう文敎ぶんきょうき。 きょにしていたまさしくかえる。

ゆえ人民雜居じんみんざっきょし。 往來おうらいいちごとし。

晁司馬ちょうしばかみせいあそび。 きゅうしんす。

れい老學ろうがくい。 子夏しかに(う。)

車馬しゃばり。 孔丘こうきゅうつい宗周そうしゅうく。

てい縞衣こういけんじ。 季札きさつはじめ上國じょうこくつうず。

太學たいがくり。 かん客卿かくけいいたる。

かならずしも齊之姜せいのきょうならんや。 かえらず髙國こうこくおいめとる。

りてしんのごとく。 なん由余ゆうよおいひとりならんや。

かんあそぶこと三年さんねんきみあつものってははつかわすことをねがう。

一國いっこくらず。 ひるにしきしてごうかえらんとっす。

荘舃そうせきすでけんにしてかえらんとおもい。 關羽かんう報恩ほうおんしておわる。

ここおい北闕ほっけつ稽首けいしゅし。 足<あし東轅とうえんつつむ。

命賜之衣めいしのいはこにし。 敬問之詔けいもんのしょうふところにす。

金簡玉字きんかんぎょくじもて。 道經どうきょう絶域之人ぜついきのひとつたう。

方鼎彝尊ほうていいそん分器ぶんき異姓之國いせいのくにいたす。

琅琊臺上ろうやだいじょう龍門りゅうもん回望かいぼうす。

碣石館前かっせきかんぜん夐然けいぜんとして鳥逝とりゆく。

鯨魚。。則。げいぎょなみき。 すなわ萬里倒回ばんりかいとうす。

鷁首げきしゅくもじょうじ。 すなわ八風はっぷうかえってはしる。

扶桑ふそうせいごとく。 鬱島うっとう萍沃ようよくごとし。

白日はくじつにして三山さんざんあおり。 蒼天そうてんかべて九域きゅういきむ。

黄雀之風こうじゃくのかぜうごかす。 黒蜃之氣こくしんのきくもす。

びょうとしてところしらず。 なん相思そうしこれけんや。

あ。

帝郷ていきょうりて故舊こきゅうき。 本朝之君臣ほんちょうのくんしんっす。

七子之詩しちしのしえいじ。 兩國之印りょうこくのいんぶ。

王度おおどひろくし。 蕃臣ばんしんさとす。

三寸さんずんり。 樂毅がっきえんしていまおいず。

十年じゅうねんそとり。 信陵しんりょうかえりてますますとうとし。

げんおくもの

 積水せきすい きわからず、  いずくんぞ滄海そうかいひがしらん。

 九州きゅうしゅう いずれのところとおき、  萬里ばんり くうじょうずるがごとし。

 くにかいて み、  歸帆きはん かぜまかす。

 鼇身ごうしん てんえいじてくろ、  魚眼ぎょがん なみあかし。

 郷樹きょうじゅ 扶桑ふそうそと、  主人しゅじん 孤島ことううち

 別離べつり まさいきことにす、  音信いんしん いかんつうぜんや。


字句解釈

荘舃    荘舃は春秋越の生まれですが、長じて楚に仕え、病気になると故郷が恋しく思われた。他国で出世をしても、故郷の越の歌を口ずさんだ。故郷を懐かしむ心は、だれでも同じこと。



     

詩の鑑賞

最晩年王維は孤独となり、蜀にいた弟の王縉を呼ぶために、粛宗皇帝に表を奉った。
許されて王縉が長安に向かい鳳翔に到ったが、王維は息絶えた。
上元二年七月王維没す。六十三歳。


 

菩提寺禁裴迪來相看説逆賊等凝碧池上作音樂供奉人等舉聲便一時涙下私成口號誦示裴迪    唐 王 維

全唐詩 卷一百二十七


 菩提寺禁裴迪來相看説
逆賊等凝碧池上作音樂
供奉人等舉聲便一時涙下
私成口號誦示裴迪
   唐 王 維

萬戸傷心生野煙,

百僚何日更朝天。

秋槐葉落空宮裏,

凝碧池頭奏管弦。

 菩提寺ぼだいじきん裴迪來はいてききたり
逆賊等ぎゃくぞくら凝碧池上ぎょうへきちじょう音樂おんがく
供奉人等ぐぶにんらこえ便すなわ一時いちじ涙下なみだくだると
わたくし口號こうごう裴迪はいてきしょうしめ
      とう 王 維おうい

萬戸ばんこ 傷心しょうしん 野煙生やえんしょう

百僚ひゃくりょう いずれの> 天てんちょうせん

秋槐しゅうかい ちて 宮裏きゅうりむなしく

凝碧池頭ぎょうちへきとうに 管弦かんげんそう


字句解釈

凝碧池   洛陽(一説に長安)にあった禁園内の池。 菩提寺   洛陽(一説に長安)にあった菩提寺。ここに幽閉された。

槐   えんじゅ。周代に三公の座席を示した。


詩の鑑賞

幽閉中の詩。この詩が後日乱後に役立つことになる。




 

菩提寺禁口號又示裴迪
   唐 王 維


全唐詩 卷一百二十八


 菩提寺禁口號又示裴迪
      唐 王 維

安得舍羅網,

拂衣辭世喧。

悠然策藜杖,

歸向桃花源。

 菩提寺ぼだいじきん口號こうごうまた裴迪はいてきしめ
        とう 王 維おうい

いずくにか舍羅網しゃらもう

ころもはらい かまびすしきを

悠然ゆうぜんとして あかざつえきて

かえりて 桃花源とうかげんむかわん


字句解釈

安   いずくにか(疑問詞)。普通は「いずくんぞ」と読んで反語。

舍羅網   俗世間。

悠然   ①ゆるやか。②はるか。③うれえる。ここでは①

藜   あかざ。かるい、中風にならない。

桃花源   陶淵明の理想郷。


詩の鑑賞

幽閉中の詩。




 

既蒙宥罪旋復拜官伏感聖恩
竊書鄙意兼奉簡新除使君等諸公
      唐 王 維


全唐詩 卷一百二十八


 既蒙宥罪旋復拜官
伏感聖恩竊書鄙意
兼奉簡新除使君等諸公
       唐 王 維

忽蒙漢詔還冠冕,

始覺殷王解網羅。

日比皇明猶自暗,

天齊聖壽未雲多。

花迎喜氣皆知笑,

鳥識歡心亦解歌。

聞道百城新佩印,

還來雙闕共鳴珂。

 すで宥罪ゆうざいこうむり たちまちかんはいせられ
ふくして聖恩せいおんかんひそかに鄙意ひいしょして
かねかん新除しんじょ使君等諸公しくんらしょこうたてまつる
      とう 王 維おうい

たちまく漢詔かんしょうこうむり 冠冕かんべんかえ

はじめおぼゆ 殷王いんおう網羅もうらくを

皇明こうめいすれば おのずからくら

てん聖壽せいじゅくらべれば いまくもおおからず

はな喜氣ききむかえて みなわらう

とり歡心かんしんりて うたうかい

聞道きくならく 百城ひゃくじょう あらたにいんはい

たりて 雙闕そうけつに  とも鳴珂めいかすと


字句解釈

冠冕   ①冕板(べんばん)をつけたかんむり。また、かんむり。②いちばんすぐれているもの。首位。

解網   法令をゆるくする。故事:殷王が四方を囲む鳥の網を一方のみにした。

百城   多くのまち。

佩印   印をおびる。長官が任命された。

雙闕   宮城の門。

珂   馬の轡の玉飾り。馬が動くと鳴る。


詩の鑑賞

安禄山の乱で新王朝に仕官した罪を許されたときの前向きの詩。





 

奉贈王中允    唐 杜 甫

全唐詩 卷二百二十五


 奉贈王中允
     杜 甫

中允聲名久,

如今契闊深。

共傳收庾信,

不比得陳琳。

一病縁明主,

三年獨此心。

窮愁應有作,

試誦白頭吟。

 王中允おうちゅういんおくたてまつる
      とう 杜 甫とほ

中允ちゅういん 聲名久せいめいひさ

如今じょこん 契闊深けつかつふか

ともつたう 庾信ゆしんおさむと

せず 陳琳ちんりんるに

一病いちびょう 明主めいしゅ

三年さんねん ひとりこころ

窮愁きゅうしゅう まささく

こころみにしょうす 白頭はくとうぎん


字句解釈

中允   中允は漢代に置かれた官職で、太子の官属。その後改称があり、唐代に中允と改められ、 詹事府(せんじふ)に属す。詹事府は春宮坊の別称。要するに太子の世話をする役所。

契闊深   苦労がおおい。

收庾信   庾信は人名。故事あり。

得陳琳   陳琳は人名。故事あり。

一病縁明主   服毒して旧主に従う意を示したことを指す。

白頭吟   司馬相如卓文君の故事あり。


詩の鑑賞

当時、杜甫と王維は同じような職にあった。杜甫が王維に贈った詩。
杜甫らしい、例えば、「聲名久」と「契闊深」は対句、聲名は庚韻庚韻、と契闊は仄仄となっている。
結句「試誦白頭吟」は「試みに誦せよ」と読むか「試みに誦せん」読むかで意が異なる。所説あり。




 

吟 詠    三村公二様 室橋幸子様

春 望  唐 杜 甫


漢詩を楽しむ 17頁  漢詩鑑賞辞典295頁


 春望  杜甫

國破山河在

城春草木深

感時花濺涙

恨別鳥驚心

烽火連三月

家書抵萬金

白頭掻更短

渾欲不勝簪


 春望しゅんぼう  杜甫とほ

くにやぶれて 山河さんが

しろはるにして 草木そうもくふか

ときかんじては はなにもなみだそそ

わかれうらんでは とりにもこころおどろかす

烽火ほうか 三月さんげつつらなり

家書かしょ 萬金ばんきんあた

白頭はくとうかけさらみじか

すべかんざしたえざらんとす

 

王維作詩の背景



「王維年譜」

王維年譜3 750年 52歳 ~761年 63歳


中国文学地図

地名  輞川  長安  洛陽  蜀(四川省・成 都)

川名・湖名  黄河  渭水  漢水


人名用語書名」

人名  王維  王縉  玄宗皇帝(李隆基)  肅宗  安禄山  史 思明  李白  白居易  元 稹

用語  輞川荘  安史の乱  唐朝官職

     

 

終南別業    唐 王 維

全唐詩 卷一百二十六


 終南別業  王 維

中歳頗好道,

晩家南山陲。

興來毎獨往,

勝事空自知。

行到水窮處,

坐看雲起時。

偶然値林叟,

談笑無還期。

 終南別業しゅうなんべつぎょう    王 維おうい

中歳ちゅうさい すこぶみちこの

くれいえす 南山なんざんほとり

興來きょうきたれば つねひと

勝事しょうじ むなしみずから

きていたる 水窮みずきわまるところ

してる 雲起くもおことき

偶然ぐうぜん 林叟りんそう

談笑だんしょう かえ


字句解釈

終南別業    終南山の別荘。輞川荘。

中歳   中年。王維は佛教信者であった。

道   王維の場合は仏道。

晩   29歳で輞川荘に入った。

勝事   自然のすぐれたありさま。

林叟   きこり。

無還期   ①かえるのを忘れる。②かえる必要がない。


詩の鑑賞

王維最晩年の作。汚れなない美しい詩。陶淵明の晩年に似る。




 


答張五弟  唐 王 維

全唐詩 卷一百二十五

 答張五弟  王 維

終南有茅屋,

前對終南山。

終年無客常閉關,

終日無心長自閑。

不妨飲酒複垂釣,

君但能來相往還。


 張五弟ちょうごていこたう   王 維おうい

終南しゅうなんに 茅屋ぼうおく

まえは 終南山しゅうなんざんたい

終年しゅうねん 客無きゃくなく つねかん

終日しゅうじつ 無心むしん ながおのずからかんなり

さまたげず 飲酒いんしゅ 垂釣すいちょう

きみだ たり 往還おうかんせよ


字句解釈


張五弟   張さんの排行5番目の弟。王維と兄弟の約束の人か?

無心   自然である、煩悩を離れている。

閑   おちついている、やすらか、しずか、ひま。

但   さえすれば。

     

詩の鑑賞

しずかなよい詩。      
 


送別  唐 王 維

全唐詩 卷一百二十五 頁


 送別  王 維

下馬飲君酒,

問君何所之。

君言不得意,

歸臥南山陲。

但去莫復問,

白雲無盡時。


 送別そうべつ   王 維おうい

下馬げばし きみさけましむ

う きみいずれのところくと

きみう 

かえりて南山なんざんふもとすと

りて 

白雲はくうん つくとき


字句解釈

下馬    馬を止めて暫く立ち止まる。大きな声を出して泣く。

不得意    志を得ない。世の中が想うようにならない。世と合わない。出世できない。

歸臥   隠棲する。

但去莫復問    ①これ以上問わない。②世俗のことなど気にするな。③もう問うな。ここでは、①か?

     

詩の鑑賞

孟浩然が玄宗皇帝の意にそわず襄陽に帰ったときの作か?
王維自身の自分に対する送別の詩か?
王維最後の悟りきった境地。


 


責躬薦弟表
   唐 王 維





 責躬薦弟表   王 維

臣維稽首言: 臣年老力衰,心昏眼暗,自料涯分,其能幾何壽、久竊天官,毎慚屍素。

頃又沒於逆賊,不能殺身,負國偸生,以至今日。

陛下矜其愚弱,托病被囚,不賜疵瑕,屢遷省閣。

昭洗罪累,免負惡名,在於微臣,百生萬足。

昔在賊地,泣血自思,一日得見聖朝,即願出家修道。

及奉明主,伏戀仁恩,貪冒官榮,荏苒歳月,不知止足,尚忝簪裾。

始願屢違,私心自咎。

臣又聞用不才之士,才臣不來;賞無功之人,功臣不勸。

有國大體,為政本原,非敢議論他人,竊以兄弟自比。

臣弟蜀州刺史縉,太原五年撫養百姓,盡心為國,竭力守城。

臣即陷在賊中,苟且延命,臣忠不如弟一也。

縉前後歴任,所在著聲,臣忝職甚多,曾無裨益,臣政不如弟二也。

臣頃負累,係在三司,縉上表祈哀,請代臣罪。

臣之於縉,一無憂憐,臣義不如弟三也。

縉之判策,屢登甲科,衆推才名,素在臣上。

臣小言淺學,不足謂文,臣才不如弟四也。

縉言不忤物,行不上人,植性謙和,執心平直。

臣無度量,實自空疏,臣德不如弟五也。

臣之五短,弟之五長,加以有功,又能為政。

顧臣謬官華省,而弟遠守方州,外愧妨賢,内慚比義,痛心疾首,以日為年。

臣又逼近懸車,朝暮入地,闃然孤獨,迥無子孫。

弟之與臣,更相為命,兩人又俱白首,一別恐隔黄泉。

儻得同居,相視而沒,泯滅之際,魂魄有依。

伏乞盡削臣官,放歸田裏,賜弟散職,令在朝廷。

臣當苦行齋心,弟自竭誠盡節,並願肝禽塗地,隕越為期。

葵藿之心,庶知向日;犬馬之意,何足動天。

不勝私情懇迫之至。


 おとうとすすひょう    王 維おうい

臣維稽首しんいけいしゅしてもうす: しん年老としおいて力衰ちからおとろえ、 心昏こころくら眼暗まなこくらく、 みずから涯分がいぶんはかるに、 幾何いくばくじゅならんや、 ひさし天官てんかんぬすみ、 つね屍素しそず。

さきにはまた逆賊ぎゃくぞくっしたるに、 ころあたわず、 くにそむきてせいぬすみ、 って今日こんじついたる。

陛下へいか愚弱ぐじゃくあわれみ、 やまいたくして被囚ひしゅうし、 疵瑕かしたまわらず、省閣しょうかく屢遷るいせんす。

罪累ざいるいすすぐを あきらかにし、惡名あくめいうをめんじ、 微臣びしんりては、百生萬足ひゃくせいまんぞくす。

昔賊地むかしぞくちりては、いてみずからおもい、 一日聖朝いちじつせいちょうまみえるをて、 すなわち出家修道しゅっけしゅうどうねがう。

明主めいしゅあてまつるにおよび、 して仁恩じんおんい、 ぬさぼりて官榮えいかんおかし、 荏苒じんぜんとして歳月さいげつあしとどむるをらず、 かたじけなくも簪裾さんきょす。

はじめねが屢違るいい私心自ししんみずからとがむ。

臣又聞しんまたき不才之士ふさいのしもちいれば、 才臣來さいしんきたらずと; 無功之人むこうのひとしょうすれば、 功臣こうしんつとめずと。

くに大體だいたいあり、 まつりごと本原ほんげんは、 あえ他人たにん議論ぎろんするにあらず、 ひそか兄弟けいていってみずからくらぶ。

しんおとうと蜀州刺史縉しょくしゅうしししん太原五年たいげんごねん百姓ひゃくせい撫養ぶようし、 くにためこころつくし、 竭力かつりょくしてしろまもる。

臣即しんすなわちちて賊中ぞくちゅうり、 苟且こうしょ延命えんめいす、しんちゅうおとうとかざるのいちなり。

しん前後歴任ぜんごれきにんところりてこえあらわす、 しんしょくかたじけなくすることはなはだおおけれど、 って裨益ひえきなく、しんまつりごと おとうとかざるのなり。

臣頃しんさきるいう、 三司さんしるにつながり、 しんひょうたてまつりて祈哀きあいし、 しんつみかわらんことをう。

しんしんおいていつ憂憐ゆうりんなし、 しんおとうとかざるのさんなり。

しん判策はんさく屢登甲科るいとうこうかしゅう才名さいめいすこと、 もととりしんうえり。

しん小言淺學しょうげんせんがく謂文いぶんらず、 しんさいおとうとかざるのよんなり。

しんいてものもとらず、 おこないてひとのぼらず、 植性謙和しょくせいけんわにして執心平直しゅうしんへいちょくなり。

しん度量どりょうなく、實自じつおのずから空疏くうそしんとくおとうとかざるのなり。

しん五短ごたんおとうと五長ごちょうくわうるに功有こうあるをって、 又能またよまつりごす。

しんかえりみるにかん華省かしょうあやまり、 しかしておとうととお方州ほうしゅうまもり、 そとけんさまたげるをじ、 うちしばらくらべ、 痛心疾首つうしんしつしゅってとしとなす。

臣又しんまた逼近ひつきんくるまけ、 朝暮ちょうぼり、 闃然孤獨げきぜんこどくはるか子孫しそんし。

おとうとしんと、さらあいめいし、 兩人りょうにん又俱またとも白首はくしゅなれば、 ひとたびわかれては黄泉こうせんへだつをおそる。

同居どうきょするをて、 視而沒みてぼっしなば、泯滅之際みんめつのさい魂魄こんぱくらん。

してうらくはことごとしんかんけずり、 田裏でんり放歸はなちかえらしめ、おとうと散職さんしょくたまい、朝廷ちょうていあらしめんことを。

しんまさ苦行齋心くぎょうさいしんすべく、 おとうとみずからまことつくせつつくさん、 とも肝禽かんきんらんことをねがい、 隕越いんえつしてさん。

葵藿之心きかくのこころおおむかうをると; 犬馬之意けんばのいなんてんうごかすにらん。

私情しじょう懇迫之至こんぱくのいたりえず。




字句解釈

慚屍素    俸給に見合うだけの職務を果たしていないことを慚じる。

隕越    ころがりおちる。

苟且    かりそめ。

     

詩の鑑賞

最晩年王維は孤独となり、蜀にいた弟の王縉を呼ぶために、粛宗皇帝に表を奉った。
許されて王縉が長安に向かい鳳翔に到ったが、王維は息絶えた。
上元二年七月王維没す。六十三歳。