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王維作詩の背景 |
「王維年譜」 「唐王朝年表」 「中国の歴史要約」 |
王維年譜1 699年 1歳 ~727年 29歳 王維年譜2 730年 32歳 ~747年 49歳 王維年譜3 750年 52歳 ~761年 63歳 唐王朝年表1 618年 高 祖 ~779年 代 宗 唐王朝年表2 779年 徳 宗 ~907年 哀 宗 唐王朝年表1 中国の歴史要約 唐王朝年表2 中国の歴史要約(其の二)分裂の時代 |
「人名・ 用語・ 書名」 |
人名 王維 王縉 阿倍仲麻呂(晁衡/朝衡) 張九齢 裴迪(はいてき) 玄宗皇帝(李隆基) 肅宗 永王 璘 楊貴妃 李林甫 高力士 楊 国忠 安禄山 史 思明 杜甫 李白 用語 輞川荘 安史の乱 節度使 唐朝官職 |
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字句解釈 |
荘舃 荘舃は春秋越の生まれですが、長じて楚に仕え、病気になると故郷が恋しく思われた。他国で出世をしても、故郷の越の歌を口ずさんだ。故郷を懐かしむ心は、だれでも同じこと。 |
詩の鑑賞 |
最晩年王維は孤独となり、蜀にいた弟の王縉を呼ぶために、粛宗皇帝に表を奉った。 許されて王縉が長安に向かい鳳翔に到ったが、王維は息絶えた。 上元二年七月王維没す。六十三歳。 |
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字句解釈 |
凝碧池 洛陽(一説に長安)にあった禁園内の池。 菩提寺 洛陽(一説に長安)にあった菩提寺。ここに幽閉された。 槐 えんじゅ。周代に三公の座席を示した。 |
詩の鑑賞 |
幽閉中の詩。この詩が後日乱後に役立つことになる。 |
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字句解釈 |
安 いずくにか(疑問詞)。普通は「いずくんぞ」と読んで反語。 舍羅網 俗世間。 悠然 ①ゆるやか。②はるか。③うれえる。ここでは① 藜 あかざ。かるい、中風にならない。 桃花源 陶淵明の理想郷。 |
詩の鑑賞 |
幽閉中の詩。 |
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字句解釈 |
冠冕 ①冕板(べんばん)をつけたかんむり。また、かんむり。②いちばんすぐれているもの。首位。 解網 法令をゆるくする。故事:殷王が四方を囲む鳥の網を一方のみにした。 百城 多くのまち。 佩印 印をおびる。長官が任命された。 雙闕 宮城の門。 珂 馬の轡の玉飾り。馬が動くと鳴る。 |
詩の鑑賞 |
安禄山の乱で新王朝に仕官した罪を許されたときの前向きの詩。 |
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字句解釈 |
中允 中允は漢代に置かれた官職で、太子の官属。その後改称があり、唐代に中允と改められ、 詹事府(せんじふ)に属す。詹事府は春宮坊の別称。要するに太子の世話をする役所。 契闊深 苦労がおおい。 收庾信 庾信は人名。故事あり。 得陳琳 陳琳は人名。故事あり。 一病縁明主 服毒して旧主に従う意を示したことを指す。 白頭吟 司馬相如と卓文君の故事あり。 |
詩の鑑賞 |
当時、杜甫と王維は同じような職にあった。杜甫が王維に贈った詩。 杜甫らしい、例えば、「聲名久」と「契闊深」は対句、聲名は庚韻庚韻、と契闊は仄仄となっている。 結句「試誦白頭吟」は「試みに誦せよ」と読むか「試みに誦せん」読むかで意が異なる。所説あり。 |
吟 詠 三村公二様 室橋幸子様 春 望 唐 杜 甫 漢詩を楽しむ 17頁 漢詩鑑賞辞典295頁 |
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王維作詩の背景 |
「王維年譜」 |
王維年譜3 750年 52歳 ~761年 63歳 |
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字句解釈 |
終南別業 終南山の別荘。輞川荘。 中歳 中年。王維は佛教信者であった。 道 王維の場合は仏道。 晩 29歳で輞川荘に入った。 勝事 自然のすぐれたありさま。 林叟 きこり。 無還期 ①かえるのを忘れる。②かえる必要がない。 |
詩の鑑賞 |
王維最晩年の作。汚れなない美しい詩。陶淵明の晩年に似る。 |
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字句解釈 |
張五弟 張さんの排行5番目の弟。王維と兄弟の約束の人か? 無心 自然である、煩悩を離れている。 閑 おちついている、やすらか、しずか、ひま。 但 さえすれば。 |
詩の鑑賞 |
しずかなよい詩。 |
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字句解釈 |
下馬 馬を止めて暫く立ち止まる。大きな声を出して泣く。 不得意 志を得ない。世の中が想うようにならない。世と合わない。出世できない。 歸臥 隠棲する。 但去莫復問 ①これ以上問わない。②世俗のことなど気にするな。③もう問うな。ここでは、①か? |
詩の鑑賞 |
孟浩然が玄宗皇帝の意にそわず襄陽に帰ったときの作か? 王維自身の自分に対する送別の詩か? 王維最後の悟りきった境地。 |
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字句解釈 |
慚屍素 俸給に見合うだけの職務を果たしていないことを慚じる。 隕越 ころがりおちる。 苟且 かりそめ。 |
詩の鑑賞 |
最晩年王維は孤独となり、蜀にいた弟の王縉を呼ぶために、粛宗皇帝に表を奉った。 許されて王縉が長安に向かい鳳翔に到ったが、王維は息絶えた。 上元二年七月王維没す。六十三歳。 |