第38回講義

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2017.09.28 録音

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王維作詩の背景



「王維年譜」



「唐王朝年表」

王維年譜1 699年 1歳 ~727年 29歳
王維年譜2 730年 32歳 ~747年 49歳
王維年譜3 750年 52歳 ~761年 63歳

唐王朝年表1 618年 高 祖 ~779年 代 宗
唐王朝年表2 779年 徳 宗 ~907年 哀 宗


中国文学地図

地名  長安  洛陽  済州(さいしゅう)  永斎  蜀(四川省・成 都) 山名  崇山  嵩山(説明)
川名・湖名  黄河


人名用語書名」

人名  王維  李賢(李憲・寧王)  玄宗皇帝(李隆基)  李範(隆范・岐王)  達磨大師

用語  科挙  五嶽  少林寺  栢梁体  唐朝官職

     
 

歸嵩山作   唐 王 維

全唐詩卷一百二十六


 歸嵩山作   王 維

清川帶長薄,

車馬去閑閑。

流水如有意,

暮禽相與還。

荒城臨古渡,

落日滿秋山。

迢遞嵩高下,

歸來且閉關。


 嵩山すうざんかえるのさく    王 維おうい

清川せいせん 長薄ちょうはく

車馬しゃば って 間間かんかんたり

流水りゅうすい 意有いあるがごと

暮禽ぼきん ともかえ

荒城こうじょう 古渡ことのぞ

落日らくじつ 秋山しゅうざん滿

迢遞ていていたり 嵩高すうこうもと

歸來きらい しばらくかんとざさん

  、

字句解釈

歸嵩山   「歸」は単に出かけて帰るの意、とともに隠棲するの意がある。例「帰山」
王維は宋之問と同様に嵩山に別荘を持った。この二人には何らかの関係があったようだ。 王維の別荘「輞川荘」は 宋之問から譲り受けた。

長薄   長いくさむら。「叢」はまとまったくさむら。「薄」はひろがったくさむら。
「榛」「荊」は雑木林。さらに、「林」「森」となる。

間間   閑閑と同じ。 ①車馬のゆれうごくさま。②ゆったりとのびやか。ひま。ここでは①.

暮禽相與還   陶淵明の「飲酒」の境地。
王維の詩は陶淵明の影響が大きい。

古渡   古い渡し場。

落日   王維の詩には落日が多い。王維は仏教信者である。
観無量寿経の説く 「日想観」の影響か。 (浄土三部経)。

迢遞   遥かに遠いさま。

歸來   かえりきたって。

閉關   門戸をとざし、来客をさける。

     

詩の鑑賞

王維は21歳で科挙に合格し、棋書画に通じ、琵琶の上手であり、故事典籍に通じていたため、 高位高官の人々との付き合いがあったが、翌年王族との交流禁止の令のため、済州に左遷された。 長年の左遷のため、また妻室逝去のこともあって、嵩山に籠った。この詩は、その時代の作である。




 

再掲


飲酒  東晋 陶 潜
漢詩鑑賞辞典49頁


 飲酒  陶 潜

結 廬 在 人 境

而 無 車 馬 喧

問 君 何 能 爾

心 遠 地 自 偏

採 菊 東 籬 下

悠 然 見 南 山

山 気 日 夕 佳

飛 鳥 相 与 還

此 中 有 真 意

欲 弁 已 忘 言




 飲酒いんしゅ    陶 潜とうせん

いおりむすびて人境じんきょう

しか車馬しゃばかしましき

きみなんしかると

心遠こころとおければ地自ちおのずかへんなり

きく東籬とうりもと

悠然ゆうぜんとして南山なんざん

山気日夕さんきにっせき

飛鳥相与ひちょうあいともかえ

うち真意有しんいあ

べんぜんとほつしてすでげんわす



 


曉行巴峽  唐 王 維
全唐詩卷卷一百二十七


 曉行巴峽  王 維

際曉投巴峽,

餘春憶帝京。

晴江一女浣,

朝日衆鶏鳴。

水國舟中市,

山橋樹杪行。

登高萬井出,

眺遥二流明。

人作殊方語,

鶯為故國聲。

賴諳山水趣,

稍解別離情。


 あかつき巴峽はきょうく   王 維おうい

あかつきさいして 巴峽はきょうとう

餘春よしゅん 帝京ていけいおも

晴江せいこう 一女いちじょあら

朝日ちょうじつ 衆鶏しゅうけい

水國すいこく 舟中しゅうちゅう

山橋さんきょう 樹杪じゅびょうぎょう

たかきにのぼれば 萬井ばんせい

はるかにながむれば 二流にりゅうあらわる

ひと殊方しゅほう

うぐいす故國ここくこえ

さいわいに山水さんすいおもむきそらんじ

別離べつりじょう


字句解釈

巴峽   三峡のひとつ。
公孫述五行説白帝城楚の襄王巫山の雲雨

餘春   晩春。

市   市場。

萬井   多くのまち。

殊方語   異なったやり方の語。方言。

賴諳   「賴」=「幸」。さいわいにあらかじめそらんじているような。


詩の鑑賞

嵩山に隠棲してときどき他国に赴いた。その1例で巴峡を訪れた時の作。
5言6韻12句の排律(科挙の標準詩形)。この詩は全句が対句となっている。




 


過香積寺  唐 王 維
漢詩鑑賞辞典156頁、全唐詩卷一百二十六


 過香積寺  王維

不知香積寺,

數里入雲峰。

古木無人徑,

深山何處鐘。

泉聲咽危石,

日色冷青松。

薄暮空潭曲,

安禪制毒龍。


 香積寺こうしゃくじよぎる   王維おうい

らず 香積寺こうしゃくじ

數里すうり 雲峰うんぽう

古木こぼく 無人むじんけい

深山しんざん いずれのところかね

泉聲せんせい 危石きせきむせ

日色にっせき 青松せいしょうひややかなり

薄暮はくぼ 空潭くうたんほとり

安禪あんぜん 毒龍どくりゅうせいせん


字句解釈

過    よぎる。目的をもって訪問する。単に通り過ぎるではない。

不知    はじめての。

無人徑    道はあるのだから、「人徑なし。」より「無人の徑。」がよいか。

泉聲    流水。

危石    そびえたった石。

空潭    ひとけのない物寂しい淵(ふち)。

安禪    禪定(ぜんじょう)、座禅のこと。

毒龍    人に害をなす龍。人間の妄念。

     

詩の鑑賞

この詩は、王維の妻室が亡くなったころの作ではないだろうか。
座禅をする僧侶がいたとする解釈もあるが、作者が座禅をして妄念を去らんとすると 解釈した方がよいのではなかろうか。




 

過乘如禪師蕭居士嵩丘蘭若  唐 王 維

全唐詩卷一百二十八


 過乘如禪師蕭居士
  嵩丘蘭若  王 維

無著天親弟與兄,

嵩邱蘭若一峰晴。

食隨鳴磬巣烏下,

行踏空林落葉聲。

迸水定侵香案濕,

雨花應共石床平。

深洞長松何所有,

儼然天竺古先生。

 乘如禪師じょうじょぜんじ蕭居士しょうこじ
  嵩邱すうきゅう蘭若あらんにゃよぎる   王 維おうい

無著むちゃく 天親てんじん ていけい

嵩丘すうきゅうの 蘭若らんにゃ 一峰いっぽう

しょく鳴磬めいけいしたがって 巣烏そううくだ

こう空林くうりんんで 落葉らくようこえ

迸水ほうすいは さだめて香案こうあんおかしてうるお

雨花うか まさともに 石床せきしょうたいらかなるべし

深洞しんどう 長松ちょうしょう いずれところ

儼然げんぜんたる 天竺てんじく古先生こせんせい


字句解釈

乘如禪師蕭居士    乘如禪師と蕭居士。兄弟であった。「居士」は仏門に入らない信者。

嵩邱   嵩山のこと。「邱」は「丘」と同じ。孔子の名が丘なので避けている。

蘭若   梵語:aranya。「阿蘭若(あらんにや)」の略。修行に適した閑静な場所。また、転じて、寺。寺院。

無著天親   無著天親兄弟。

鳴磬   「磬」楽器、玉または石で「へ」の形に作り、つるして打ち鳴らすもの。

巣烏   巣つくっている鴉。

迸水   ほとばしりでる水。東晋の慧遠の故事あり。

香案   香炉をのせる机。「案」は机。

雨花   仏が座禅をしたとき天から花の雨が降った。法華経


詩の鑑賞

王維不遇の時代、仏典をよく読んでいる様子が見える。



 

送孟六歸襄陽    唐 王 維
全唐詩卷一百二十六


 送孟六歸襄陽 王維

杜門不復出,

久與世情疏。

以此為良策,

勸君歸舊廬。

醉歌田舍酒,

笑讀古人書。

好是一生事,

無勞獻子虚。


 孟六もうろく襄陽じょうようかえるをおくる   王維おうい

もんとざして でず

ひさし世情せじょうなり

れをって 良策りょうさく

きみすすむ 舊廬きゅうろかえるを

うてうたう 田舍でんしゃさけ

わらってむ 古人こじんしょ

れ 一生いっしょうこと

ろうするかれ 子虚しきょけんずるを


詩の鑑賞

王維36歳、開元22年、 張九齢の推挙によって 右拾遺に抜擢され長安に戻る。
孟浩然と会し、玄宗皇帝に紹介するが、孟浩然の詩 「歳暮歸南山」が皇帝の意に添わず 孟浩然は襄陽に歸ることになった。その送別の詩である。詳細は次回のお楽しみ。





 

歳暮歸南山    唐 孟浩然
全唐詩卷一百六十


 歳暮歸南山 孟浩然

北闕休上書,

南山歸敝廬。

不才明主棄,

多病故人疏。

白髮催年老,

青陽逼歳除。

永懷愁不寐,

松月夜窗虚。


 歳暮さいぼ 南山なんざんかえる   孟浩然もうこうねん

北闕ほくけつに しょたてまつるを

南山なんざん 敝廬へいろかえ

不才ふさい 明主めいしゅすてられ

多病たびょう 故人こじんうと

白髮催はくはつもよおし 年老としお

青陽せいよう 歳除さいじょせま

ながうれいいだいてねむらず

松月しょうげつ 夜窗やそうむな


詩の鑑賞

孟浩然は40代の頃、長安に至って出仕の機会をうかがった。 長安での猟官運動は王維の援助もあり、玄宗皇帝に拝謁する機会があった。 そのときに提出したのがこの詩である。
しかし、初対面なのに「不才明主棄」とあることが、皇帝の意に添わず仕官叶わず襄陽に戻り隠棲した。