第11回講義

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2015.01.22 録音

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再掲

安史の乱と李白


字句解釈

地図
中国文学地図

人名
玄宗皇帝  楊 貴妃  高 力士  安 禄山  史 思明  杜 甫  孟 浩然  王 維
 張 九齢  李 林甫  楊 国忠   粛宗  永王 璘 

地名
霊武  九江  江陵  荊州  襄陽  洛陽  河東(太原)  廬山  馬嵬  四川省成都

用語
節度使

     


 


黄鶴樓送孟浩然之廣陵  唐 李 白

漢詩を楽しむ 38頁  全唐詩 巻一百七十四


 黄鶴樓送孟浩然之廣陵  李白

故人西辭黄鶴樓

煙花三月下揚州

孤帆遠影碧山盡

唯見長江天際流


 黄鶴樓こうかくろうにて孟浩然もうこうねん廣陵こうりょうくをおくる  李白りはく

故人こじん 西にしのかた 黄鶴樓こうかくろう

煙花えんか 三月さんがつ 揚州ようしゅうくだ

孤帆こはん遠影えんえい 碧山へきざん

唯見ただみる 長江ちょうこう天際てんさいながるるを



 


南流夜郎寄内  唐 李 白

全唐詩 巻一百八十四 李白二十四


 南流夜郎寄内  李白

夜郎天外怨離居

明月楼中音信疎

北雁春帰看欲尽

南來不得豫章書


 みなみのかた夜郎やろうながされないす  李白りはく

夜郎やろう 天外てんがい 離居りきょうら

明月めいげつ 楼中ろうちゅう 音信おんしんなり

北雁ほくがん 春帰しゅんきして れどもきんとす

南來なんらい ず 豫章よしょうしょ


字句解釈

内    内室、妻。李白の4番目の室。

天外    はるかかなた。

怨離居    離れて住んでいるのがかなしい。

音信疎    便りがまばらである。手紙が来ない。

春帰    雁が春になって帰ってしまって。

豫章書    豫章は楠のことだが、ここでは「豫章行」という楽府題(歌)。互いにやり取りする相聞歌。 ここでは手紙のやり取りがないことをいう。

     

詩の鑑賞

あなたから手紙が来ないと奥さんに言って悲しんでいる。


 


再掲

贈内  唐 李 白

全唐詩巻一百八十四 李白二十四


 贈内  李白

三百六十日

日日酔如泥

雖爲李白婦

何異太常妻


 ないおくる  李白りはく

三百六十日さんびゃくろくじゅうごにち

日日ひび ようでいごと

李白りはくるといえど

なんことならん 太常たじょうつま


字句解釈

太常     宮廷にあって祭祀を祀る役人。年中精進潔斎して身の汚れを避ける。後漢の太常が病んだとき妻が見舞ったら 罪にした。太常の妻は割に合わぬ。(後漢書)

酔如泥    「泥酔」の泥は蟲。蟲は動物の総称。羽のある動物は羽蟲、甲羅のある動物は甲蟲、鱗のある動物は鱗蟲、 毛のある動物は毛蟲、裸の動物は裸蟲。それぞれのトップは鳳凰、神亀、蛟龍、麒麟、聖人。 泥蟲は「南海有蟲 無骨名曰泥(でい) 在水則活 無水則酔如堆泥」。 どうやらクラゲのようである。泥は「どろ」ではなくて「でい」と読むべし。

     

詩の鑑賞

李白が獄に居たときに妻室に贈った詩。平仄不良。


 


陪族叔刑部侍郎曄及中書賈舍人至遊洞庭  唐 李 白

漢詩を楽しむ 35頁 全唐詩 巻一百七十九


 陪族叔刑部侍郎曄及中書賈舍人至遊洞庭  李白

洞庭西望楚江分

水盡南天不見雲

日落長沙秋色遠

不知何處吊湘君


 族叔ぞくしゅく刑部侍郎曄けいぶじろうようおよ中書賈舍人至ちゅうしょかしゃじんしばい洞庭どうていあそぶ  李白りはく

洞庭どうてい 西にしのぞめば 楚江そこうわか

みずつきて 南天なんてん くも

おちて 長沙ちょうさ 秋色しゅうしょくとお

らず いずれのところにか 湘君しょうくんとむらわん


字句解釈

族叔    一族の叔父。父と同年代の父より若いおじさん。父の弟。年上なら族伯。

刑部侍郎曄    刑部侍郎は職名。同姓の李曄。嶺南に流刑される途中。

中書賈舍人至    中書舍人は職名。賈至岳陽に流刑中。

陪    高貴な人の伴をする。

楚江分    楚江は長江のこと。洞庭湖は長江の北で長江に繋がっている。

長沙    長沙は流刑の地。後漢の洛陽の才子賈誼 の流されたところであり、これから李曄の流されるところ。

湘君    堯帝(BC2000以前)の二人の娘。 娥皇、女英が舜帝の室となり、舜帝が南方巡狩で薨去したとき、娥皇、女英は洞庭湖に身投げした。 洞庭湖にその廟がある。孔子は堯・舜代は世がよくおさまり理想の時代という。 もうちょと詳しく

     

詩の鑑賞

李白が流刑を許されて岳陽に帰った時、一族の李曄が嶺南に流される途中で岳陽にいた。 賈至は流刑で岳陽に滞在中であった。3人で洞庭湖に遊んだ。659年、李白59歳の作。


 


再掲を含む

陪族叔刑部侍郎曄及中書賈舍人至遊洞庭五首  唐 李 白

全唐詩 巻一百七十九


 陪族叔刑部侍郎曄及中書賈舍人至遊洞庭五首  李白

洞庭西望楚江分,水盡南天不見雲。
日落長沙秋色遠,不知何處吊湘君。

南湖秋水夜無煙,耐可乘流直上天。
且就洞庭賖月色,將船買酒白雲邊。

洛陽才子謫湘川,元禮同舟月下仙。
記得長安還欲笑,不知何處是西天。

洞庭湖西秋月輝,瀟湘江北早鴻飛。
醉客滿船歌白苧,不知霜露入秋衣。

帝子瀟湘去不還,空餘秋草洞庭間。
淡掃明湖開玉鏡,丹青畫出是君山。


 族叔ぞくしゅく刑部侍郎曄けいぶじろうようおよ中書賈舍人ちゅうしょかしゃじんしばい洞庭どうていあそぶ  李白りはく

洞庭どうてい 西にしのぞめば 楚江そこうわかれ, みずつきて 南天なんてん くもず。
おちて 長沙ちょうさ 秋色しゅうしょくとおく, らず いずれのところにか 湘君しょうくんとむらわん。

南湖なんこ 秋水しゅうすい 夜煙よるけむりなく, むしながれじょうじて ただちてんのぼるべし。
しばら洞庭どうていいて 月色げっしょくおぎのり, ふねって さけわん 白雲はくうんへん

洛陽らくよう才子さいし 湘川しょうせんたくせられ, 元禮げんれい 同舟どうしゅう 月下げっかせん
長安ちょうあんて またわらわんとっすれども, らず いずれのところか 西天せいてん

洞庭どうてい 湖西こせい 秋月しょうげつかがやき, 瀟湘しょうしょう 江北こうほく 早鴻そうこうぶ。
醉客すいかく 滿船まんせん 白苧はくちょうたい, らず 霜露そうろ 秋衣しゅういるを西天せいてん

帝子ていし 瀟湘しょうしょう りてかえらず, むなし秋草しゅうそうあます 洞庭どうていかん
あわ明湖めいこいて 玉鏡ぎょくきょうひらき, 丹青たんせい えがいだす 君山くんざん


字句解釈

耐可    むしろーーーすべし。むしろーーーしたほうがよい。むしろーーーしたいなあ。

賖月色     賖(しょ、おぎのる)は「かけ」でただで買い物すること。月色をただ買いして。

洛陽才子     一般には後漢の賈誼 のことを言うが、ここでは李曄と賈至のこと。

元禮同舟     後漢時代(BC200~300)の李膺、字、元禮が、任地を去る友人、郭泰と同じ船に乗って川を下った。 これを見た人が、まるで仙人が二人、同舟しているようだと言ったという故事。

記得長安     後漢の桓譚「桓譚新論」にある故事。一度長安に住んだことのある人は、後年、 花の都長安を思うだけで、その楽しかった思い出に、笑いがこみ上げたという。

瀟湘    瀟水と湘水。洞庭湖にそそいでいる。

早鴻    鴻はおおとり、白鳥、おおがも。早く渡ってきた鴻。

白苧    呉の歌の名前。相聞歌。苧はあさ(植物)の一種。

帝子    一般には天子の子、皇太子。ここでは堯の娘の娥皇と  。

淡掃明湖開玉鏡    洞庭湖の女神(湘君)が薄化粧をして、洞庭湖をさっと掃いて、玉の鏡が開く。

丹青   赤と青。

君山   湘君の廟のある山。

     

詩の鑑賞

李白最晩年、59歳の作である。この後、李白は長江を下り九江、盧山に還り、 南京あたりに遊んだりした。その後、九江郡當塗県の県令李陽泳の家に奇遇していたが、 762年62歳で没した。死因は腐脇疾といわれるが、一説では洞庭湖で月を掬おうとして舟から落ちて死んだという。




 


再掲

秋浦歌  唐 李 白

漢詩を楽しむ16頁 漢詩鑑賞辞典244頁 唐詩選中353頁


 秋浦歌 李 白

白髪三千丈

緣愁似箇長

不知明鏡裏

何處得秋霜


 秋浦しゅうほうた  李 白り はく

白髪はくはつ 三千丈さんぜんじょう

うれいにって かくごとなが

らず 明鏡めいきょううち

いずれのところにか 秋霜しゅうそう



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Last modified 2014/ First updated 2014/10/29