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白居易 作詩の背景 |
「白楽天年譜」 「唐王朝年表」 |
白楽天年譜1 772年 1歳 ~800年 29歳 白楽天年譜2 801年 30歳 ~815年 44歳 白楽天年譜3 816年 45歳 ~826年 55歳 白楽天年譜4 827年 56歳 ~839年 68歳 白楽天年譜5 842年 71歳 ~846年 75歳 唐王朝年表1 618年 高 宗 ~779年 代 宗 唐王朝年表2 779年 徳 宗 ~907年 哀 宗 |
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字句解釈 |
劉蘇州 劉禹錫は蘇州の長官であった。 哭 大声で泣いて悲しむ。 微之 元稹 敦詩 崔群 交流 こもごもながる。 搖落 ゆれおちる。 苦 ねんごろ。苦しい。はなはだしく。 相思 あいおもう。①お互いに思う②あなたを思う。②が一般的。 同心事 同じ志。 除卻 卻は助字、無意味。 |
詩の鑑賞 |
太和6年、832年、白居易61歳、親友がつぎつぎに他界することを悲しんだ。 去年八月哭微之,今年八月哭敦詩。、同年同病同心事,など、白居易には、同一句の中に 同一の繰り返しの用法がよくある。平仄規則の無視も見られる。 |
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字句解釈 |
野鶴 野のつる。官職につかない人。閑雲野鶴。 虚舟 からふね。荘子にある。 辭 ①ことば②おれい③わびる④ことわる⑤いとまごい⑥やめる、ここは⑥。 鬧處 さわがしいところ。心配事は市中に送る。 天將富此翁 初唐の劉仁軌の詩に「天將富此翁 以一酔爲富也」。 | 、
詩の鑑賞 |
政争を避け、香山に寺を作り、履道里と行き来した。61歳、香山と号した。 白居易63~64歳、履道里の酒蔵の作。分かりやすい。 「元軽白俗」と馬鹿にされたこともある。 |
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字句解釈 |
兩枝 作者が本体で、それから兩枝(2人の妓女)が出ている。 樊素(はんそ)と小蛮(しょう ばん)。 嫋娜 たおやか、なよやか。嫋嫋。 | 、
詩の鑑賞 |
白居易は、58歳ころ、履道里に隠棲した。その時から、妓女を養った。その後、晩年68歳で、中風となって 妓女を解き放つことになったときの作。枯れ木のひと花。 |
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字句解釈 |
輕盈 盈は①みつる、②女性の容貌のしなやかで美しいさま、ここは②。 年華 年華は①歳月、②としごろ、ここは②。 舞榭 「ぶしゃ」あるいは、「榭に舞う」。榭は、壁のないうてな。 妝樓 「しょうろう」あるいは、「ろうによそおう、よそおったろう」。装った楼、美しい楼。 處處遮 歳月の過ぎるのを遮る。 絮花 柳の実。柳絮。 |
詩の鑑賞 |
白居易の「別柳枝」に対しての、劉禹錫の返詩。友達としておちょくっている。 |
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字句解釈 |
任他(平平) さもあらばあれ。ままよ、それはそれとして。=遮莫(平仄)。 前の文の否定ではなく、後の文の否定、間違えるな。 参考 「九月十三夜」上杉謙信 孩童 みどりご。ちのみご。 |
詩の鑑賞 |
白居易が再度、劉禹錫に応答した。 二様の解釈がある。 誰が、柳の花を追いかけようか、もうそんなことはしないよ。 誰か、柳の花を追いかけてくれないだろうか。 前者か? |
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字句解釈 |
悼亡妓 全唐詩では「悼楊氏妓琴弦(楊氏の妓の琴弦を悼む)」となっている。 朱 褒 魂魄 魂は精神を司る魂で天に帰る、魄は身体を司る魂で地に帰る。 溟漠 溟はくらいところ、漠はさみしいところ。 泉 泉下、よみのくに。 人間 「じんかん」。俗世間、人間の住む世界。「にんげん」ではない。 施僧 初七日に僧に個人の身に着けていたものを寄進する習慣があった。 裙帶 おび。 |
詩の鑑賞 |
15歳で亡くなった妓女のけなげな行いに断腸の思いがした。 |
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字句解釈 |
遣妓 妓をときはなつ。 司空曙 憔悴 やせ衰える。 留與 動詞+「與」は「あたえる」の意。授与、貸与、贈与。 少年 自分より若いひと。 | 、
詩の鑑賞 |
年老いて病気になればどうしようもない。ちょっと即物的で品のない詩か。 |
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字句解釈 |
白須 白いひげ。 五朝 806年(憲宗)~842年(文宗)、白居易のつかえた5つの朝廷。政争が多く、いずれも短命。 他藍尾酒 他(か)は「あの」、藍(らん)は「むさぼる」。例の一座の最後に飲む酒。 收得 收身、官界から身を引くこと。自分の身を取り返す。 到頭 とうとう、とどのつまり。 銷磨 けす、すりへらす。 時流 その時代。 大暦 唐の代宗の治世最後に使用された元号。大暦元年(776年)~大暦14年(779年) 大暦7年生まれ。 會昌 唐代の武宗の治世で用いられた元号。會昌元年(841年)~ 會昌6年(846年) 現在、會昌2年。 | 、
詩の鑑賞 |
842年、70歳になった白居易は、長生きしたことを手放しに喜んでいる。 別に一詩あり。 達哉樂天行(全唐詩卷四百五十九 ) 未歸且住亦不惡,饑餐樂飲安穩眠。死生無可無不可,達哉達哉白樂天。 |
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字句解釈 |
弊居 私の家。 尚齒 齒は年齢。長寿をとうとぶ。 七言六韻 一句七言、六韻の排律。 七十歳 平仄の関係で「しちしんさい」と、十を平に読む。これは、白居易の創案で後世、杜牧が「江南春」でまねた。 拖紫 むらさきをひきずる。紫衣(高官の衣)を着る。 嵬峨 声が高いさま、酒に酔ったさま。 婆娑 舞うさま。よっぱらってでたらめにまうさま。 二疏傅 四皓圖 中国,秦の始皇帝の時,国乱を避けて,陝西の商山に入った東園公,綺里季,夏黄公,里(ろくり)先生の 4人の隠士を画題とする絵画。4人は鬚眉(しゅび)みな白かったことから,商山四皓と呼ばれた。 三山五天竺 三神山:蓬莱、方丈、瀛州(司馬遷『史記』巻百十八『淮南衡山列伝』) 五天竺:昔、天竺(インド)を東・西・南・北および中央の五地方に分けて呼んだものの総称。 人間 人間世界。 | 、
詩の鑑賞 |
白居易74歳のとき、74歳以上の長老7名が白居易宅に集まって尚歯の会を催し、長寿を祝った。 |
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