第33回講義

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2017.03.23 録音

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白居易 作詩の背景




「白楽天年譜」




「唐王朝年表」

白楽天年譜1 772年 1歳 ~800年 29歳
白楽天年譜2 801年 30歳 ~815年 44歳
白楽天年譜3 816年 45歳 ~826年 55歳
白楽天年譜4 827年 56歳 ~839年 68歳
白楽天年譜5 842年 71歳 ~846年 75歳


唐王朝年表1 618年 高 宗 ~779年 代 宗
唐王朝年表2 779年 徳 宗 ~907年 哀 宗



中国文学地図

地名  長 安  洛陽  蘇州  履道里
川名・湖名  長江  黄河  淮河  渭水  卞水


「人名・用語・書名」

人名  白居易  元 稹  劉禹錫  牛僧儒  李徳裕  憲 宗  穆 宗  徳 宗  順 宗
用語  牛李の党争

     
 

再 掲

寄劉蘇州   唐 白居易

漢詩を楽しむ80頁 漢詩鑑賞辞典468頁 全唐詩卷四百三十七


 寄劉蘇州  白居易

去年八月哭微之,

今年八月哭敦詩。

何堪老涙交流日,

多是秋風搖落時。

泣罷幾回深自念,

情來一倍苦相思。

同年同病同心事,

除卻蘇州更是誰。

 劉蘇州りゅうそしゅうす   白居易はくきょい

去年きょねん 八月はちがつ 微之びしこく

今年こんねん 八月はちがつ 敦詩とんしこく

んぞたえん 老涙ろうるい交流こうりゅう

おおれ 秋風しゅうふう 搖落ようらくときなるを

泣罷なきやんで 幾回いくかい ふかみずからおも

情來じょうきたりて 一倍いちばい ねんごろおも

同年どうねん 同病どうびょう 同心事どうしんじ

蘇州そしゅうを 除卻じょきゃくすれば さらだれ


字句解釈

劉蘇州   劉禹錫蘇州の長官であった。

哭   大声で泣いて悲しむ。

微之   元稹

敦詩   崔群

交流   こもごもながる。

搖落   ゆれおちる。

苦   ねんごろ。苦しい。はなはだしく。

相思   あいおもう。①お互いに思う②あなたを思う。②が一般的。

同心事   同じ志。

除卻   卻は助字、無意味。


詩の鑑賞

太和6年、832年、白居易61歳、親友がつぎつぎに他界することを悲しんだ。
去年八月哭微之,今年八月哭敦詩。、同年同病同心事,など、白居易には、同一句の中に 同一の繰り返しの用法がよくある。平仄規則の無視も見られる。




 

再掲


自題酒庫   唐 白居易

漢詩を楽しむ112頁  全唐詩卷四百五十七


 自題酒庫  白居易

野鶴一辭籠,

虚舟長任風。

送愁還鬧處,

移老入閑中。

身更求何事,

天將富此翁。

此翁何處當,

酒庫不曾空。


 みずか酒庫しゅこだいす   白居易はくきょい

野鶴やかく ひとたびかご

虚舟きょしゅう とこしえかぜまか

うれいおくり 鬧處とうしょかえ

おいうつして 閑中かんちゅう

身更みさらに 何事なにごとをかもとめん

天將てんまさに おうます

おう いずれのところにかまん

酒庫しゅこ かつむなしからず


字句解釈

野鶴   野のつる。官職につかない人。閑雲野鶴。

虚舟   からふね。荘子にある。

辭    ①ことば②おれい③わびる④ことわる⑤いとまごい⑥やめる、ここは⑥。

鬧處   さわがしいところ。心配事は市中に送る。

天將富此翁   初唐の劉仁軌の詩に「天將富此翁 以一酔爲富也」。

     

詩の鑑賞

政争を避け、香山に寺を作り、履道里と行き来した。61歳、香山と号した。
白居易63~64歳、履道里の酒蔵の作。分かりやすい。 「元軽白俗」と馬鹿にされたこともある。



 

別柳枝   唐 白居易

漢詩を楽しむ74頁    全唐詩卷四百五十八


 別柳枝  白居易

兩枝楊柳小樓中,

嫋娜多年伴醉翁。

明日放歸歸去後,

世間應不要春風。


 柳枝りゅうしわかる  白居易はくきょい

兩枝りょうし楊柳ようりゅう 小樓しょうろううち

嫋娜じょうだ 多年たねん 醉翁すいおうともな

明日みょうにち はなかえすも かえりてのち

世間せけんに まさ春風しゅんぷうもとめざるべし


字句解釈

兩枝   作者が本体で、それから兩枝(2人の妓女)が出ている。 樊素(はんそ)と小蛮(しょう ばん)

嫋娜   たおやか、なよやか。嫋嫋。

     

詩の鑑賞

白居易は、58歳ころ、履道里に隠棲した。その時から、妓女を養った。その後、晩年68歳で、中風となって 妓女を解き放つことになったときの作。枯れ木のひと花。



 

楊柳枝詞  唐 劉禹錫

全唐詩卷三百六十五


 楊柳枝詞  劉禹錫

輕盈嫋娜占年華,

舞榭妝樓處處遮。

春盡絮花留不得,

隨風好去落誰家。


 楊柳枝詞ようりゅうしし  劉禹錫りゅううしゃく

輕盈けいえい 嫋娜じょうだ 年華ねんか

舞榭ぶしゃ 妝樓しょうろう 處處しょしょさえぎる

春盡はるつき 絮花じょか とど

かぜしたがい りて いえにかつる


字句解釈

輕盈   盈は①みつる、②女性の容貌のしなやかで美しいさま、ここは②。

年華   年華は①歳月、②としごろ、ここは②。

舞榭   「ぶしゃ」あるいは、「榭に舞う」。榭は、壁のないうてな。

妝樓   「しょうろう」あるいは、「ろうによそおう、よそおったろう」。装った楼、美しい楼。

處處遮   歳月の過ぎるのを遮る。

絮花   柳の実。柳絮。


詩の鑑賞

白居易の「別柳枝」に対しての、劉禹錫の返詩。友達としておちょくっている。




 

又復戲答  唐 白居易

全唐詩卷四百五十八


 又復戲答  白居易

柳老春深日又斜,

任他飛向別人家。

誰能更學孩童戲,

尋逐春風捉柳花。


 たわむれにこたう  白居易はくきょい

柳老やなぎおい 春深はるふかくして 日又斜ひまたななめなり

任他さもあらばあれ んで別人べつじんいえかうを

たれく さら孩童がいどうまな

春風しゅんぷうたずいて 柳花りゅうかとらえん


字句解釈

任他(平平)   さもあらばあれ。ままよ、それはそれとして。=遮莫(平仄)。 前の文の否定ではなく、後の文の否定、間違えるな。
参考 「九月十三夜」上杉謙信

孩童   みどりご。ちのみご。


詩の鑑賞

白居易が再度、劉禹錫に応答した。
二様の解釈がある。
誰が、柳の花を追いかけようか、もうそんなことはしないよ。
誰か、柳の花を追いかけてくれないだろうか。
前者か?




 

参考


九月十三夜  上杉謙信

漢詩を楽しむ120頁


 九月十三夜  上杉謙信

霜満軍営秋氣清,

數行過雁月三更。

越山併得能州景,

遮莫家郷憶遠征。


 九月十三夜くがつじゅうさんや  上杉謙信うえすぎけんしん

しも軍営ぐんえいちて 秋氣しゅうききよ

數行すうこう過雁かがん 月三更つきさんこう

越山併えつざんあわたり 能州のうしゅうけい

遮莫さもあらばあれ 家郷かきょう遠征えんせいおもうを





詩 吟  丹下和之様

黄鶴楼送孟浩然之広陵  李白



 黄鶴楼送孟浩然之広陵  李白

故人西辞黄鶴楼

烟花三月下揚州

孤帆遠影碧空尽

唯見長江天際流


 黄鶴楼こうかくろうにて孟浩然もうこうねん広陵こうりょうくをおくる  李白りはく

故人こじん 西にしのかた 黄鶴楼こうかくろう

烟花えんか 三月さんがつ 揚州ようしゅうくだ

孤帆こはん遠影えんえい 碧空へきくう

ただる 長江ちょうこう天際てんさいながるるを



 

悼亡妓   唐 朱 褒

漢詩を楽しむ73頁  全唐詩卷七百三十四


 悼亡妓  朱 褒

魂歸溟漠魄歸泉,

只住人間十五年。

昨日施僧裙帶上,

斷腸猶繋琵琶弦。


 亡妓ぼうぎいたむ    朱 褒しゅほう

こん溟漠めいばくし はくせん

人間じんかんじゅうすること十五年じゅうごねん

昨日さくじつ そうほどこす 裙帶くんたいうえ

斷腸だんちょうす 琵琶びわげんくるを


字句解釈

悼亡妓    全唐詩では「悼楊氏妓琴弦(楊氏ようし琴弦きんげんいたむ)」となっている。

朱 褒 魂魄    魂は精神を司る魂で天に帰る、魄は身体を司る魂で地に帰る。

溟漠    溟はくらいところ、漠はさみしいところ。

泉    泉下、よみのくに。

人間   「じんかん」。俗世間、人間の住む世界。「にんげん」ではない。

施僧   初七日に僧に個人の身に着けていたものを寄進する習慣があった。

裙帶   おび。

     

詩の鑑賞

15歳で亡くなった妓女のけなげな行いに断腸の思いがした。



 

病中遣妓   唐 司空曙

漢詩を楽しむ73頁


 病中遣妓  司空曙

萬事傷心在目前,

一身憔悴對花眠。

黄金用盡教歌舞,

留與他人樂少年。


 病中びょうちゅうる   司空曙しくうしょ

萬事ばんじ 傷心しょうしん 目前もくぜん

一身いっしん 憔悴しょうすいして はなたいしてねむ

黄金おうごん もちつくして 歌舞かぶおし

他人たにん留與りゅうよして 少年しょうねんたのしましむ


字句解釈

遣妓   妓をときはなつ。

司空曙

憔悴   やせ衰える。

留與  動詞+「與」は「あたえる」の意。授与、貸与、贈与。

少年   自分より若いひと。

     

詩の鑑賞

年老いて病気になればどうしようもない。ちょっと即物的で品のない詩か。



 

喜入新年自詠   唐 白居易

全唐詩卷四百五十九


 喜入新年自詠  白居易

白須如雪五朝臣,

又値新正第七旬。

老過占他藍尾酒,

病餘收得到頭身。

銷磨歳月成高位,

比類時流是幸人。

大暦年中騎竹馬,

幾人得見會昌春。


 新年しんねんるをよろこみずかえいず   白居易はくきょい

白須はくしゅ ゆきごとし 五朝ごちょうしん

新正しんせいう 第七旬だいななじゅん

ぎて藍尾らんびさけ

病餘びょうよ おさたり 到頭とうとう

歳月さいげつ銷磨しょうまして 高位こうい

時流じりゅう比類ひるいすれば 幸人こうじん

大暦たいれき 年中ねんちゅう 竹馬ちくば

幾人いくにんか るをん 會昌かいしょうはる


字句解釈

白須   白いひげ。

五朝   806年(憲宗)~842年(文宗)、白居易のつかえた5つの朝廷。政争が多く、いずれも短命。

他藍尾酒   他(か)は「あの」、藍(らん)は「むさぼる」。例の一座の最後に飲む酒。

收得   收身、官界から身を引くこと。自分の身を取り返す。

到頭   とうとう、とどのつまり。

銷磨  けす、すりへらす。

時流   その時代。

大暦   唐の代宗の治世最後に使用された元号。大暦元年(776年)~大暦14年(779年) 大暦7年生まれ。

會昌   唐代の武宗の治世で用いられた元号。會昌元年(841年)~ 會昌6年(846年) 現在、會昌2年。

     

詩の鑑賞

842年、70歳になった白居易は、長生きしたことを手放しに喜んでいる。

別に一詩あり。
達哉樂天行(全唐詩卷四百五十九 )
未歸且住亦不惡,饑餐樂飲安穩眠。死生無可無不可,達哉達哉白樂天。




 

胡吉鄭劉盧張   唐 白居易

全唐詩卷四百六十


 胡吉鄭劉盧張等六賢皆多年壽予亦次焉 偶於弊居合成尚齒之會 七老相顧既醉且歡靜而思之 此會稀有因成七言六韻 以紀之傳好事者  白居易

七人五百七十歳,

拖紫紆朱垂白須。

手裏無金莫嗟歎,

尊中有酒且歡娯。

詩吟兩句神還王,

酒飲三杯氣尚粗。

嵬峨狂歌教婢拍,

婆娑醉舞遣孫扶。

天年高過二疏傅,

人數多於四皓圖。

除卻三山五天竺,

人間此會更應無。


 胡吉鄭劉盧張等こきつていりゅうろちょうら六賢ろくけんみな年壽ねんじゅおおく、これぐ。
たまたま弊居へいきょおいいて尚齒之會しょうしのかい合成ごうせいす。
七老相顧ななろうあいかえりみ すでいてよろこぶ。 しずかにしてこれおもえば、
かい ることまれなり。 りて七言六韻ななごんろくいんして
ってこれしるし、好事こうずものつたう   白居易はくきょい

七人しちにん 五百ごひゃく 七十歳しちしんさい

むらさきき しゅまとい 白須はくしゅう

手裏しゅりかねくも 嗟歎さたんするかれ

尊中そんちゅうさけり しばら歡娯かんごせん

兩句りょうくぎんじて 神還しんまさかんなり

さけ三杯さんばいみて 氣尚きなあら

嵬峨かいがたる 狂歌きょうか をしてはくさしめ

婆娑ばさたる 醉舞すいぶ まごをしてささえしむ

天年てんねん たか二疏にそ

人數にんずう 四皓しこうよりおお

三山五天竺さんざんごてんじく除卻じょきゃくすれば

人間じんかんに かい さらまさかるべし


字句解釈

弊居   私の家。

尚齒   齒は年齢。長寿をとうとぶ。

七言六韻   一句七言、六韻の排律

七十歳   平仄の関係で「しちしんさい」と、十を平に読む。これは、白居易の創案で後世、杜牧が「江南春」でまねた。

拖紫    むらさきをひきずる。紫衣(高官の衣)を着る。

嵬峨  声が高いさま、酒に酔ったさま。

婆娑   舞うさま。よっぱらってでたらめにまうさま。

二疏傅

四皓圖   中国,秦の始皇帝の時,国乱を避けて,陝西の商山に入った東園公,綺里季,夏黄公,里(ろくり)先生の 4人の隠士を画題とする絵画。4人は鬚眉(しゅび)みな白かったことから,商山四皓と呼ばれた。

三山五天竺    三神山:蓬莱、方丈、瀛州(司馬遷『史記』巻百十八『淮南衡山列伝』)
五天竺:昔、天竺(インド)を東・西・南・北および中央の五地方に分けて呼んだものの総称。

人間   人間世界。

     

詩の鑑賞

白居易74歳のとき、74歳以上の長老7名が白居易宅に集まって尚歯の会を催し、長寿を祝った。




 

参考


江南春   唐 杜 牧

漢詩を楽しむ53頁   全唐詩卷五百二十二


 江南春  杜 牧

千里鶯鳴緑映紅,

水村山郭酒旗風。

南朝四百八十寺,

多少楼台煙雨中。


 江南こうなんはる   杜 牧とぼく

千里せんり 鶯鳴うぐいすないて みどり くれないえい

水村すいそん 山郭さんかく 酒旗しゅきかぜ

南朝なんちょう 四百八十寺しひゃくはっしんじ

多少たしょう楼台ろうだい 煙雨えんううち



Last modified    First updated 2017/04/10