第53回講義

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2019.03.28 録音

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杜牧作詩の背景



「杜牧年譜」


「唐代詩人年表」


「唐王朝年表」


「中国の歴史要約」

杜牧年譜1 803年 1歳 ~839年 37歳
杜牧年譜2 840年 38歳 ~852年 50歳

唐代詩人年表1 580年 魏 徴 ~718年 賈 至
唐代詩人年表2 735年 李 頎 ~843年 魚玄機

唐王朝年表1 618年 高 祖 ~779年 代 宗
唐王朝年表2 779年 徳 宗 ~907年 哀 宗

中国の歴史要約1 
中国の歴史要約2 分裂の時代


中国文学地図

地名  長安  洛陽  揚州  南京  郢(エイ)

川名・湖名  淮河  長江  洞庭湖  湘江


春秋列国の形勢

  


人名用語書名」

人名 杜牧  項羽  曹操  劉備  諸葛亮  孫権  息夫人

用語  典故(てんこ)  科挙  進士

書名  離騒  楚辞  詩経  史記  文選(もんぜん)  三国志

参考名詩  淸明  題烏江亭  赤壁  題桃花夫人廟  金谷園  王昭君(杜牧)  青塚  金谷集作詩(潘岳)

     

 

蘭 溪  唐 杜 牧

全唐詩卷五百二十二


 蘭 溪  唐 杜 牧

蘭溪春盡碧泱泱,

映水蘭花雨發香。

楚國大夫憔悴日,

應尋此路去瀟湘。


 蘭 溪らんけい  杜 牧とぼく

蘭溪らんけい 春盡はるつきて 碧泱みどりお

みずえいず 蘭花らんか あめこうつす
楚國そこくの 大夫たいふ 憔悴しょうすいするの

まさみちたずねて 瀟湘しょうしょうりたるなるべし


字句解釈

蘭溪   ???。

泱泱   水の流れるさま。

蘭花   ふじばかまのこと、宋代から現在の「蘭」の名が付いた。香がよい。

楚國   (えい)を都とする戦国時代の大国。

大夫   屈原

憔悴  やせおとろること。うれいなやむこと。

瀟湘   瀟水、湘江


詩の鑑賞

828年江西観察使、団練府巡官となり洪州に赴任した時の作。 洪州(こうしゅう)は中華人民共和国江西省にかつて設置された州。現在の南昌市一帯に相当する。

屈原の典故をさりげなく読み込んでいる。




 

漁 父   戦国 楚 屈 原




 漁父    屈 原

屈原既放、游於江潭、行吟沢畔。

顔色憔悴、形容枯槁。

漁父見而問之曰、

「子非三閭大夫与。何故至於斯。」

屈原曰、

「挙世皆濁、我独清。衆人皆酔、我独醒。是以見放。」

漁父曰、

「聖人不凝滞於物、而能与世推移。

世人皆濁、何不淈其泥、而揚其波。

衆人皆酔、何不餔其糟、而歠其釃。

何故深思高挙、自令放為。」

屈原曰、

「吾聞之、『新沐者必弾冠、新浴者必振衣。』

安能以身之察察、受物之汶汶者乎。

寧赴湘流、葬於江魚之腹中、

安能以皓皓之白、而蒙世俗之塵埃乎。」

漁父莞爾而笑、鼓枻而去。乃歌曰、

滄浪之水清兮  可以濯吾纓滄浪之水濁兮

可以濯吾足 遂去、不復与言。

 漁父ぎょほ  屈原くつげん

屈原くつげん すではなたれて、江潭こうたんあそび、ゆくゆ沢畔たくはんぎんず。

顔色がんしょく 憔悴しょうすいし、形容けいよう 枯槁ここうせり。

漁父ぎょほ これうてはく、

「子三閭大夫さんりょたいふあらずや。なんゆえここいたれる」と。

屈原曰くつげんいはく、 「世げてみなにごれるに、われひとめり。

衆人しゅうじんみなへるに、我独われひとめたり。これつてはなたる。」と。

漁父ぎょほはく、 「聖人せいじんは もの凝滞ぎょうたいせずして、推移すいいす。

世人せじんみなにごらば、なんどろにごして、なみげざる。

衆人しゅうじんみなはば、なんかすくらひて、しるすすらざる。

なんゆえふかおもたかがり、みずかはなたれしむるをすや」と。

屈原曰くつげんいはく、 「吾われこれけり。『新あらたにもくするものかならころもふるふ』と。

いずくんぞ察察さつさつたるをつて

もの汶汶もpんもんたるをくるものならんや

むし湘流しょうりゅうおもむきて江魚こうぎょ腹中ふくちゅうほうむらるとも、

いずくんぞ晧晧こうこうしろきをつて世俗せぞく塵埃じんあいこうむらんや」と。

漁父ぎょは莞爾かんじとしてわらひ、えいしてる。

すなわうたひていわく、

滄浪そうろう水清みずすまば、つてえいあらふべし。

滄浪そうろう水濁みずにごらば、つてあしあらふべし と。

ついりて、ともはず


字句解釈

屈原(くつげん) 楚の王族のうちの一人。

江潭(こうたん) 川べり。「潭」は川の深いところ。

沢畔(たくはん) 沢のほとり。

漁父(ぎょほ) 年をとった漁師。「父」を「ほ」と読むと老人を指す。

三閭大夫(さんりょたいふ) 楚の3つの王族を取りまとめる長官。

斯(ここ) 境遇・身上・姿。ただし、場所を指すという意見もある。

凝滞(ぎょうたい) こだわる。とどこおる。

揚げ(あゲ) にごった泥水をかきまわして波を高く上げる。

糟(かす) 酒かす。

歠(しる) 薄い酒。

察察(さつさつ) 清らか。清潔。

汶汶(もんもん) 汚れた様子。

湘流(しょうりゅう) 湘江のこと。

真っ白なこと。「晧晧」は白いものの形容。

莞爾(かんじ) にっこりと笑うこと。

「枻」は舵(かじ)や櫂(かい)のことを指す。しかし「枻を鼓す」というと「ふなばた(船の縁)をたたく」と訳す。

滄浪(そうろう) 漢水の下流の川。

纓(えい) 冠の後ろの部分にたれている飾りひもで、もっとも大切なもの。


詩の鑑賞

「楚辞」にある屈原の代表作。杜牧の「蘭渓」にこの詩の語句がさりげなく読み込まれている。




 

吟 詠    小菅幸枝様 

題木蘭廟    唐 杜 牧

全唐詩卷五百二十三


 題木蘭廟    杜牧

彎弓征戰作男兒,

夢裏曾經與畫眉。

幾度思歸還把酒,

拂雲堆上祝明妃。

 木蘭廟もくらんびょうだいす  杜牧とぼく

彎弓わんきゅう 征戰せいせん 男兒だんじ

夢裏むり 曾經そけい いくたびかはるわた

幾度いくたびか かえるをおもうも さけ

くもはらう 堆上たいじょうに 明妃めいきしゅくすなるべし

 

長安雪後    唐 杜 牧




 長安雪後    杜 牧

秦陵漢苑參差雪,

北闕南山次第春。

車馬滿城原上去,

豈知惆悵有閒人。

 長安雪後ちょうあんせつご  杜牧とぼく

秦陵しんりょう 漢苑かんえん 參差しんしゆき

北闕ほっけつ 南山なんざん 次第しだいはるなり

車馬しゃば しろ滿ち 原上げんじょう

あに 惆悵ちゅうちょうの 閒人かんじんに るをらんや


字句解釈

秦陵   秦の始皇帝の陵。長安の南にある。

漢苑   前漢武帝の庭園。長安の西にあり。上林苑 周囲300里(1里500m)。

參差   高さが高低。まだら。

北闕   闕は門。

南山   長安の南にある山。

惆悵   うれいにしずむ。さびしい。

閒人   ひまじん。自分のこと。


詩の鑑賞

828年杜牧26歳、進士に合格した後、 2ケ月後に賢良方正科に合格するが、その間、他の進士合格者が任地に赴くのを見ての作。




 

杜秋娘詩    唐 杜 牧

全唐詩卷五百二十


 杜秋娘詩 並序    杜牧

杜秋,金陵女也年十五為李錡妾。

後錡叛滅,籍之入宮,有寵於景陵。

穆宗即位,命秋為皇子傅姆。

皇子壯,封漳王,鄭注用事,

誣丞相欲去已者,指王為根,

王被罪廢削。秋因賜歸故郷,

予過金陵,感其窮且老,

為之賦詩。

京江水清滑,生女白如脂。

其間杜秋者,不勞朱粉施。

老濞即山鑄,後庭千雙眉。

秋持玉斝醉,與唱金縷衣。

濞既白首叛,秋亦紅涙滋。 地盡有何物,天外複何之。

指何為而捉,足何為而馳。

耳何為而聽,目何為而窺。

已身不自曉,此外何思惟。

因傾一樽酒,題作杜秋詩。

愁來獨長詠,聊可以自怡。

 杜秋娘詩 並序としゅうじょうのしならびにじょ  杜牧とぼく

杜秋としゅうは、金陵きんりょうじょなり。年十五としじゅうごにして李錡りきしょうる。

後錡叛のちきはんしてつす。これせきしてきゅうる。景陵けいりょうちょうあり。

穆宗即位ぼくそうそくいするや、しゅうめいじて皇子こうし傅姆ふぼす。

皇子壯こうしそうにして、漳王しょうおうふうぜらる。鄭注ていちゅう こともちい、

丞相じょうそうおのれらんとつするものい、おうこんす。

王罪おうつみこうむり廢削はいさくせらる。しゅうつて故郷こきょうかえるをたもう。

 金陵きんりょうよぎり、きゅうおいたるにかんじ、

これためす。



京江けいこう 水清滑みずけいかつじょしょうじてしろきことあぶらごとし。

かん 杜秋としゅうなるもの朱粉しふんろうせず。

老濞ろうひ やまきて後庭こうてい 千雙眉せんそうび

しゅう 玉斝ぎょくかしてい、ともとな金縷きんる

 すで白首はくしゅにしてはんし、しゅう 紅涙滋こうるいしげし。



地盡ちつきて何物なにものる、天外てんがいいずくにかかん。

ゆび何為なんすれぞとらえ、あし何為なんすれぞす。

みみ何為なんすれぞき、何為なんすれぞうかがう。

おのみずかさとらざるに、ほか なにをか思惟しいせん。

りて一樽いっそんさけかたむけ、だいして杜秋としゅうし。

愁來しゅうらい ひと長詠ちょうえいし、いささつてみずかおくるべし(たのしむべし)。


字句解釈

金陵   南京のこと。

李錡   永貞元年(805)の八月、李純が即位した。憲宗である。元和二年(807)の十月、 宗室の一人、李錡が浙右で叛乱を起こした。しかし、すぐさま叛乱は鎮定され、十一月、錡は誅殺された。

景陵   憲宗の陵。

穆宗

鄭注

傅姆   おもりやく。

   李錡のをなぞらえた。

玉斝   玉のさかずき。

「金縷衣」   杜秋娘作。


詩の鑑賞

杜牧は828年10月、沈傳師の招きにより江西観察使、 団練府巡官となり、洪州(南昌)に赴任した。 その後、宣州、揚州へと移った。 南京に立ち寄った際、南京出身の杜秋娘の話を聞いたときの作。




 

金縷衣    唐 杜秋娘

漢詩を楽しむ77頁  全唐詩卷二十八


 金縷衣    杜秋娘

勸君莫惜金縷衣,

勸君惜取少年時。

花開堪折直須折,

莫待無花空折枝。

 金縷衣ちょうあんせつご  杜秋娘としゅうじょう

きみすすむ 金縷きんるころもを しむ

きみすすむ すべから少年しょうねんときしくべし

はなひらきて るにえなばただちにるべし

ちて花無はななむなしくえだ


字句解釈

金縷衣   金の板を織って作った衣。
少年時   若いとき。男女ともに用いる。

詩の鑑賞

杜秋娘が栄耀栄華を誇ったときの作。