平成人の漢詩鑑賞
漢詩を楽しむ 玉井幸久編
漢詩を楽しむ 目次
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一、日本人に親しまれた唐・宋詩人の詩
唐 孟浩然ーーーーー春暁ーーーーーーーーーーーーーーー16
唐 李 白ーーーーー秋浦歌ーーーーーーーーーーーーーー16
唐 杜 甫ーーーーー春望ーーーーーーーーーーーーーーー17
唐 白居易ーーーーー香炉峰下山居草堂初成偶題東壁ーー18
唐 柳宗元ーーーーー江雪ーーーーーーーーーーーーーーー19
唐 杜 牧ーーーーー清明ーーーーーーーーーーーーーーー19
唐 李商隠ーーーーー夜雨寄北ーーーーーーーーーーーーー20
宋 蘇 軾ーーーーー春夜ーーーーーーーーーーーーーーー20
宋 陸 游ーーーーー示児ーーーーーーーーーーーーーーー21
宋 朱 熹ーーーーー偶成ーーーーーーーーーーーーーーー21
二、中国の史跡と詩
長安
子夜呉歌ーーーーーーーーーーーーー李 白ーーー22
曲 江ーーーーーーーーーーーーーー杜 甫ーーー23
曲江春草ーーーーーーーーーーーーー鄭 谷ーーー24
楽遊原ーーーーーーーーーーーーーー李商陰ーーー24
咸 陽
送元二使安西ーーーーーーーーーーー王 維ーーー25
驪 山
華清宮ーーーーーーーーーーーーーー崔 魯ーーー25
過華清宮ーーーーーーーーーーーーー杜 牧ーーー26
綺岫宮ーーーーーーーーーーーーーー王 建ーーー26
馬 嵬
馬 嵬ーーーーーーーーーーーーーー李商隠ーーー27
長 城
塞下曲ーーーーーーーーーーーーーー常 建ーーー28
玉門間
従軍行ーーーーーーーーーーーーーー王昌齢ーーー28
涼州詞ーーーーーーーーーーーーーー王之渙ーーー29
玉関寄長安李主簿ーーーーーーーーー岑 参ーーー29
涼州詞ーーーーーーーーーーーーーー王 翰ーーー30
峨眉山
峨眉山月歌ーーーーーーーーーーーー李 白ーーー30
成 都
蜀 相ーーーーーーーーーーーーーー杜 甫ーーー31
三 峡
早発白帝城ーーーーーーーーーーーー李 白ーーー32
返照ーーーーーーーーーーーーーーー杜 甫ーーー33
洞庭湖
登岳陽楼ーーーーーーーーーーーーー杜 甫ーーー34
陪族叔刑部侍郎曄及中書舎人賈至遊洞庭湖
李 白ーーー35
赤 壁
赤 壁ーーーーーーーーーーーーーー杜 牧ーーー35
赤 壁ーーーーーーーーーーーーーー趙 翼ーーー36
武 漢
黄鶴楼ーーーーーーーーーーーーーー崔 顥ーーー37
黄鶴楼送孟浩然之広陵ーーーーーーー李 白ーーー38
揚 州
広陵秋夜対月即事ーーーーーーーーー陳 羽ーーー38
随 宮ーーーーーーーーーーーーーー李商隠ーーー39
烏 江
烏江廟ーーーーーーーーーーーーーー杜 牧ーーー40
垓下歌ーーーーーーーーーーーーーー項 羽ーーー40
南京・秋浦・九江
泊秦淮ーーーーーーーーーーーーーー杜 牧ーーー41
秋浦歌ーーーーーーーーーーーーーー李 白ーーー41
香炉峰下新卜山居草堂初成偶題東壁ー白居易ーーー41
姑 蘇
風橋夜泊ーーーーーーーーーーーーー張 継ーーー42
蘇台覧古ーーーーーーーーーーーーー李 白ーーー42
杭 州・紹興
西施石ーーーーーーーーーーーーーー楼 穎ーーー43
飲湖上初晴後雨ーーーーーーーーーー蘇 軾ーーー43
洛 陽
春夜洛城聞笛ーーーーーーーーーーー李 白ーーー44
龍門下作ーーーーーーーーーーーーー白居易ーーー44
泰 山
望 岳ーーーーーーーーーーーーーー杜 甫ーーー45
曲 阜
経魯祭孔子而歎之ーーーーーーーーー玄 宗ーーー46
三、 漢詩の世界
感 懐
照鏡見白髪ーーーーーーーーーーーー張九齢ーーー47
貧交行ーーーーーーーーーーーーーー杜 甫ーーー47
秋 思ーーーーーーーーーーーーーー許 渾ーーー48
遺 懐ーーーーーーーーーーーーーー杜 牧ーーー48
題禅院ーーーーーーーーーーーーーー杜 牧ーーー49
再到洛陽ーーーーーーーーーーーーー邵 雍ーーー49
絶 句ーーーーーーーーーーーーーー呂 厳ーーー50
節序・風景
絶句二首 其一ーーーーーーーーーー杜 甫ーーー51
柳 巷ーーーーーーーーーーーーーー韓 愈ーーー52
三月晦日題慈恩寺ーーーーーーーーー白居易ーーー52
江南春ーーーーーーーーーーーーーー杜 牧ーーー53
山 行ーーーーーーーーーーーーーー杜 牧ーーー53
遊山西村ーーーーーーーーーーーーー陸 游ーーー54
尋胡隠君ーーーーーーーーーーーーー高 啓ーーー55
科 挙
落第長安ーーーーーーーーーーーーー常 建ーーー56
再下第ーーーーーーーーーーーーーー猛 郊ーーー56
落 第ーーーーーーーーーーーーーー李 廓ーーー57
偶 興ーーーーーーーーーーーーーー羅 隠ーーー58
夫下第ーーーーーーーーーーーーーー趙 氏ーーー58
聞夫杜羔登第ーーーーーーーーーーー趙 氏ーーー59
登科後ーーーーーーーーーーーーーー孟 郊ーーー59
望 郷
静夜思ーーーーーーーーーーーーーー李 白ーーー60
九月九日憶山東兄弟ーーーーーーーー王 維ーーー60
絶句二首 其二ーーーーーーーーーー杜 甫ーーー61
度桑乾ーーーーーーーーーーーーーー賈 島ーーー61
家族愛
遊子吟ーーーーーーーーーーーーーー孟 郊ーーー62
秋 思ーーーーーーーーーーーーーー張 籍ーーー62
九 日ーーーーーーーーーーーーーー戴復古ーーー63
京師得家書ーーーーーーーーーーーー袁 凱ーーー63
夫婦愛
玉階怨ーーーーーーーーーーーーーー謝 ?ーーー64
初入諫司喜家室至ーーーーーーーーー竇 群ーーー64
沈 園ーーーーーーーーーーーーーー陸 游ーーー65
寄 夫ーーーーーーーーーーーーーー陳玉蘭ーーー65
閨閤
閨 怨ーーーーーーーーーーーーーー王昌齢ーーー66
怨 情ーーーーーーーーーーーーーー李 白ーーー66
秋閨思ーーーーーーーーーーーーーー張仲素ーーー67
新嫁娘詞ーーーーーーーーーーーーー王 建ーーー67
後宮怨
西宮春怨ーーーーーーーーーーーーー王昌齢ーーー68
西宮秋怨ーーーーーーーーーーーーー王昌齢ーーー68
宮 怨ーーーーーーーーーーーーーー司馬礼ーーー69
宮 詞ーーーーーーーーーーーーーー李建勲ーーー69
王昭君ーーーーーーーーーーーーーー李 白ーーー70
傾城
清平調詞三首 其一ーーーーーーーー李 白ーーー71
清平調詞三首 其二ーーーーーーーー李 白ーーー71
清平調詞三首 其三ーーーーーーーー李 白ーーー72
玉樹後庭歌ーーーーーーーーーーーー陳後主ーーー72
妓 女
悼亡妓ーーーーーーーーーーーーーー朱 褒ーーー73
病中遣妓ーーーーーーーーーーーーー司馬曙ーーー73
別柳枝ーーーーーーーーーーーーーー白居易ーーー74
男女情愛
迢迢牽牛星ーーーーーーーーーーーー無名氏ーーー75
贈別二首 其二ーーーーーーーーーー杜 牧ーーー76
嘆 花ーーーーーーーーーーーーーー杜 牧ーーー76
金縷衣ーーーーーーーーーーーーーー杜秋娘ーーー77
傷曹娘ーーーーーーーーーーーーーー宋之問ーーー77
江南意ーーーーーーーーーーーーーー宇 鵠ーーー78
江楼感懐ーーーーーーーーーーーーー趙 ?ーーー78
無 題ーーーーーーーーーーーーーー李商隠
交友・友情
八月十五日夜禁中独直対月憶元九ーー白居易ーーー80
聞白楽天左降江州司馬ーーーーーーー元 ?---81
尋隠者不遇ーーーーーーーーーーーー賈 島ーーー81
送宋処士帰山ーーーーーーーーーーー許 渾ーーー82
逢鄭三遊山ーーーーーーーーーーーー廬 ?ーーー82
客 旅
除夜作ーーーーーーーーーーーーーー高 適ーーー83
逢入京使ーーーーーーーーーーーーー岑 参ーーー83
嶺上逢久別者又別ーーーーーーーーー権徳輿ーーー84
旅 遊
秋下荊門ーーーーーーーーーーーーー李 白ーーー85
念昔遊ーーーーーーーーーーーーーー杜 牧ーーー85
初至巴陵与李十二白同汎洞庭湖ーーー賈 至ーーー86
渡 江ーーーーーーーーーーーーーー文 点ーーー86
左 遷
与史郎中欽聴黄鶴楼上吹く笛ーーーー李 白ーーー87
重送裴郎中貶吉州ーーーーーーーーー劉長卿ーーー87
左遷至藍関示姪孫湘ーーーーーーーー韓 愈ーーー88
元和十一年自朗州召至京戯贈看花諸君子
劉禹錫ーーー89
初貶官過望秦嶺ーーーーーーーーーー白居易ーーー89
送 別
別董大ーーーーーーーーーーーーーー高 適ーーー90
送李侍郎赴常州ーーーーーーーーーー賈 至ーーー90
曾山送別ーーーーーーーーーーーーー皇甫冉ーーー91
江上別李秀才ーーーーーーーーーーー韋 荘ーーー91
悼 友
題盧五旧居ーーーーーーーーーーーー李 ?ーーー92
哭晁卿衡ーーーーーーーーーーーーー李 白ーーー93
哭孟寂ーーーーーーーーーーーーーー張 籍ーーー93
酒
雑詩十二首 其一ーーーーーーーーー陶 潜ーーー94
少年行ーーーーーーーーーーーーーー李 白ーーー95
山中対酌ーーーーーーーーーーーーー李 白ーーー95
春思二首 其二一ーーーーーーーーー賈 至ーーー96
勧 酒ーーーーーーーーーーーーーー宇武陵ーーー96
送王十八帰山寄題仙遊寺ーーーーーー白居易ーーー97
征 戦
述 懐ーーーーーーーーーーーーーー魏 徴ーーー98
従軍北征ーーーーーーーーーーーーー李 益ーーー99
塞下曲 其一ーーーーーーーーーーー張仲素ーーー99
贈喬侍御ーーーーーーーーーーーーー陳子昂ーーー100
慨 世
去者日以疎ーーーーーーーーーーーー無名氏ーーー101
己亥歳ーーーーーーーーーーーーーー曹 松ーーー102
州 橋ーーーーーーーーーーーーーー范成大ーーー102
過零丁洋ーーーーーーーーーーーーー文天祥ーーー103
農民・税
碩 鼠ーーーーーーーーーーーーーー詩経魏風ーー104
古風二首 其一ーーーーーーーーーー李 紳ーーー105
秋日田園雑興 其五ーーーーーーーー范成大ーーー105
夏日田園雑興 其十一ーーーーーーー范成大ーーー106
詠史・懐古
易水送別ーーーーーーーーーーーーー駱賓王ーーー107
越中覧古ーーーーーーーーーーーーー李 白ーーー107
韓信廟ーーーーーーーーーーーーーー劉宇錫ーーー108
王昭君ーーーーーーーーーーーーーー白居易ーーー108
故行宮ーーーーーーーーーーーーーー元 ?ーーー109
焚書坑ーーーーーーーーーーーーーー章 碣ーーー109
閑 適
竹里館ーーーーーーーーーーーーーー王 維ーーー110
江村即事ーーーーーーーーーーーーー司空曙ーーー110
客 至ーーーーーーーーーーーーーー杜 甫ーーー111
自題酒庫ーーーーーーーーーーーーー白居易ーーー112
冬日田園雑興 其八ーーーーーーーー范成大ーーー113
銷夏詩ーーーーーーーーーーーーーー袁 枚ーーー113
桂 冠
帰去来辞ーーーーーーーーーーーーー陶淵明ーーー114
帰田園居三首 其一ーーーーーーーー陶淵明ーーー116
四、日本人の漢詩
九月十日ーーーーーーーーーーーーー菅原道真ーー118
九日侍宴同賦菊散一叢金応制ーーーー菅原道真ーー118
不出門ーーーーーーーーーーーーーー菅原道真ーー119
応制賦三山ーーーーーーーーーーーー絶海中津ーー120
九月十三夜ーーーーーーーーーーーー上杉謙信ーー120
朝鮮之役載一梅而帰栽之後園詩以記ー伊達政宗ーー121
遣興吟ーーーーーーーーーーーーーー伊達政宗ーー121
題不識庵撃機山図ーーーーーーーーー頼 襄ーーー122
泊天草洋ーーーーーーーーーーーーー頼 襄ーーー122
本能寺ーーーーーーーーーーーーーー頼 襄ーーー123
桂林荘雑詠示諸生ーーーーーーーーー広瀬 建ーー124
発長崎ーーーーーーーーーーーーーー広瀬 建ーー124
四十七士ーーーーーーーーーーーーー大塩平八郎ー125
弘道館賞梅花ーーーーーーーーーーー徳川斉昭ーー125
芳野懐古ーーーーーーーーーーーーー藤井 啓ーー126
楠公湊川戦死図ーーーーーーーーーー大槻清崇ーー126
題児島高徳桜樹図ーーーーーーーーー斎藤一徳ーー127
漫 述ーーーーーーーーーーーーーー佐久間 啓ー128
訣 別ーーーーーーーーーーーーーー梅田定明ーー128
感 懐ーーーーーーーーーーーーーー西郷隆盛ーー129
月照和尚忌日賦ーーーーーーーーーー西郷隆盛ーー129
題 壁ーーーーーーーーーーーーーー釈 月性ーー130
金州城作ーーーーーーーーーーーーー乃木希典ーー130
五、絶句と律詩の規則と作詩法
(一) 漢詩の分類ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー131
(二) 四声ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー131
(三) 平仄ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー132
(四) 韻ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー132
(五) 押韻ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー133
(六) 絶句の構成と規則ーーーーーーーーーーーーーーーー134
(七) 律詩の構成と規則ーーーーーーーーーーーーーーーー138
六、漢詩の歴史俯瞰ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー143
附・漢字韻目表(平声)
一、日本人に親しまれた唐・宋詩人の漢詩
唐 猛浩然(689-740)
春曉 春暁
春眠不覚暁 春眠 暁を覚えず
處處聞啼鳥 処処 啼鳥を聞く
夜來風雨声 夜来 風雨の声
花落知多少 花落つること知んぬ多少ぞ
唐 李 白(701-762)
秋浦歌 秋浦の歌
白髪三千丈 白髪 三千丈
縁愁似箇長 愁いに縁って箇の似く長し
不知明鏡裏 知らず 明鏡の裏
何処得秋霜 何れの処にか 秋霜を得し
唐 杜 甫(712-770)
春 望 春 望
国破山河在 国破て 山河在り
城春草木深 城春にして 草木深し
感時花濺涙 時に感じては花にも涙を濺ぎ
恨別鳥驚心 別れを恨んでは鳥にも心を驚かす
烽火連三月 烽火 三月に連なり
家書抵万金 家書 万金に抵る
白頭掻更短 白頭掻けば更に短く
渾欲不勝簪 渾て簪に勝えざらんとす
唐 白居易(773-819)字は楽天
香爐峰下新卜山居草堂初成偶題東壁
香炉峰下新たに山居を卜し草堂
初めて成る。偶東壁に題す。
日高睡足猶慵起 日高く睡り足れるも猶お起くるに慵く
小閣重衾不怕寒 小閣に衾を重ねて寒さを怕れず
遺愛寺鐘欹枕聽 遺愛寺の鐘は枕を欹てて聴き
香爐峰雪撥簾看 香炉峰の雪は簾を撥げて看る
匡廬便是逃名地 匡廬は便ち是れ名を逃るるの地
司馬仍為送老官 司馬は仍お老を送るの官為り
心泰身寧是歸處 心泰く身寧きは是れ帰する処
故郷何獨在長安 故郷何ぞ独り長安のみに在らんや
19p
唐 柳宗元(773-819)
江雪 江雪
千山鳥飛絶 千山 鳥飛ぶこと絶え
萬徑人蹤滅 万径 人蹤 滅す
孤舟蓑笠翁 孤舟 蓑笠の翁
獨釣寒江雪 独り釣る 寒江の雪
唐 杜 牧(803-851)
清明 清明
清明時節雨紛紛 清明の時節 雨紛紛
路上行人欲断魂 路上の行人こうじん
20p
唐 李商隱りしょういん(812-858)
夜雨寄北 夜雨北に寄す
君問歸期未有期 君きみ 歸期ききを問とえども 未いまだ期有ききあらず
巴山夜雨漲秋池 巴山はざんの夜雨やう 秋池しゅうちに漲みなぎる
何當共剪西窗燭 何いつか 當まさに共ともに西窗せいそうの燭しょくを剪きり
卻話巴山夜雨時 卻かえって 巴山夜雨はざんやうの時ときを話はなすべき
宋 蘇 軾そしょく(1036-1101)号は東坡とうば
春夜 春 夜しゅんや
春宵一刻値千金 春宵しゅんしょう 一刻いっこく 値あたい千金せんきん
花有清香月有陰 花はなに清香有せいこうあり 月つきに陰有かげあり
歌管楼台声寂寂 歌管かかん 楼台ろうだい 声寂寂こえせきせき
鞦韆院落夜沈沈 鞦韆しゅうせん 院落いんらく 夜沈沈よるちんちん
宋 陸 游りくゆう(1125-1210)号は放翁ほうおう
示児 児じに示しめす
死去元知万事空 死しに去されば 元知もとしる 万事空ばんじむなしきを
但悲不見九州同 但悲ただかなしむ 九州きゅうしゅうの同おなじゅうするを見みざりしを
王師北定中原日 王師おうし 北きたのかた中原ちゅうげんを定さだむるの日ひ
家祭無忘告乃翁 家祭かさい 忘わする無なく 乃翁だいおうに告つげよ
宋 朱 熹(1130-1200)
偶成 偶成ぐうせい
少年易老学難成 少年しょうねん 老おい易やすく 学成がくなり難がたし
一寸光陰不可軽 一寸いっすんの光陰こういん 軽かろんず可ばからず
未覚池塘春草夢 未いまだ覚さめず 池塘春草ちとうしゅんそうの夢ゆめ
階前梧葉已秋声 階前かいぜんの梧葉ごよう 已すでに秋声しゅうせい
二、中国の史跡と詩
長 安(西 安)
22p
子夜呉歌(子夜呉歌しやごか) 唐 李白(701-762)
長安一片月 長安ちょうあん 一片いっぺんの月つき
万戸擣衣声 万戸ばんこ 擣衣とういの声こえ
秋風吹不尽 秋風しゅうふう 吹ふいて尽つきず
総是玉関情 総すべて是これ 玉関ぎょくかんの情じょう
何日平胡虜 何いずれの日か 胡虜こりょを平たいらげ
良人罷遠征 良人りょうじん 遠征えんせいを罷やめん
23p
曲 江(曲 江きよっこう) 唐 杜 甫とほ(712-70)
朝回日日典春衣 朝ちょうより回かえりて日日ひび春衣しゅんいを典てんじ
毎日江頭盡醉歸 毎日まいにち江頭こうとうに醉よいを盡つくして歸かえる
酒債尋常行處有 酒債しゅさいは尋常じゅんじょう行ゆく處ところに有あり
人生七十古來稀 人生じんせい七十しちじゅう古來こらい稀まれなり
穿花蛺蝶深深見 花はなを穿うがつ蛺蝶きょうちょうは深深しんしんとして見みえ
點水蜻蜓款款飛 水みずに點てんずる蜻蜓せいていは款款かんかんとして飛とぶ
傳語風光共流轉 傳語でんごす風光ふうこう共ともに流轉るてんして
暫時相賞莫相違 暫時ざんじ相賞あいしょうして相違あいたがうこと莫なかれと
24p
曲江春草(曲江春草きよっこうしゅんそう) 唐 鄭 谷ていこく(842?-910)
花落江隄簇暖煙 花落はなおち 江隄こうていに 暖煙だんえん簇むらがる
雨余草色遠相連 雨余うよ 草色そうしょく 遠とおく相連あいつらなる
香輪莫輾青青破 香輪こうりん 青青せいせいを輾きしり破やぶること莫なく
留与遊人一酔眼 遊人ゆうじんに留与りゅうよして 一酔眼いちすいみんせしめよ
樂遊原(樂遊原らくゆうげん) 唐 李商隠りしょういん(812-858)
向晩不意適 晩ばんに向むかって 意適いかなわず
駆車登古原 車くるまを駆かって 古原こげんに登のぼる
夕陽無限好 夕陽せきよう 限かぎり無なく好よし
只是近黄昏 只ただ是これ 黄昏こうこんに近ちかし
咸 陽かんよう
25p
送元二使安西 唐 王 維おうい(701-762)
(元二げんじの安西あんせいに使つかいするを送おくる)
渭城朝雨浥軽塵 渭城いじょうの朝雨ちょうう 軽塵けいじんを浥うるおす
客舎青青柳色新 客舎かくしゃ 青青せいせい 柳色りゅうしょく新あらたなり
勧君更尽一杯酒 君きみに勧すすむ 更さらに尽つくせ 一杯いっぱいの酒さけ
西出陽関無故人 西にしのかた陽関ようかんを出いづれば故人こじん無なからん
驪 山りざん
華清宮(華清宮かせいきゅう) 唐 崔 魯さいろ(?-?)
草遮回磴絶鳴鑾 草くさは回磴かいとうを遮さえぎって鳴鑾めいらん絶ぜつす
雲樹深深碧殿寒 雲樹うんじゅ 深深しんしん 碧殿へきでん寒さむし
明月自來還自去 明月めいげつ 自おのずから來きたり還また自おのずから去さる
更無人倚玉欄幹 更さらに 人ひとの玉欄幹ぎょくらんかんに倚よる無なし
26p
過華清宮(華清宮かせいきゅうに過よぎる) 唐 杜 牧とぼく(803-852)
長安回望繡成堆 長安ちょうあん 回望かいぼうすれば 繡しゅう 堆たいを成なす
山頂千門次第開 山頂さんちょうの千門せんもん 次第しだいに開ひらく
一騎紅塵妃子笑 一騎いっき 紅塵こうじん 妃子笑ひしわらう
無人知是茘枝來 人ひとの 是これ 茘枝來らいちきたるを知しる無なし
綺岫宮(綺岫宮きしゅうきゅう) 唐 王 建おうけん(?-830)
玉樓傾側粉牆空 玉樓ぎょくろう 傾側けいそくして 粉牆ふんしょう空むなし
重疊青山遶故宮 重疊ちょうじょうたる青山せいざん 故宮こきゅうを遶めぐる
武帝去來紅袖盡 武帝ぶてい 去さってより 紅袖こうしゅう盡つき
野花黄蝶領春風 野花やか 黄蝶こうちょう 春風しゅうんぷうを領りょうす
馬 嵬ばかい
27p
馬 嵬(馬 嵬ばかい) 唐 李商隠りしょういん(812-858)
海外徒聞更九州 海外かいがい 徒いたずらに聞きく 更さらに九州きゅうしゅうありと
他生未卜此生休 他生たせいは未いまだ卜ぼくせざるに 此この生せいは休やむ
空聞虎旅鳴宵柝 空むなしく虎旅こりょの宵柝しょうたくを鳴ならすを聞きき
無複鶏人報曉籌 複また鶏人けいじんの曉籌ぎょうちゅうを報ほうずる無なし
此日六軍同駐馬 此この日ひ 六軍ろくぐん 同おなじく馬うまを駐とどむ
當時七夕笑牽牛 當時とうじ 七夕しちせきに牽牛けんぎゅうを笑わらえり
如何四紀為天子 如何いかんぞ 四紀しき 天子てんしと為なって
不及盧家有莫愁 盧家ろかの莫愁ばくしゅう有あるに及およばざるは
長 城ちょうじょう
28p
塞下曲(塞下曲さいかきょく) 唐 常 建じょうけん(708-765)
北海陰風動地來 北海ほっかいの陰風いんぷう 地ちを動うごかして來きたる
明君祠上望龍堆 明君めいくん祠上しじょう 龍堆りゅうたいを望のぞむ
髑髏尽是長城卒 髑髏しょくろう 尽ことごとく是これ 長城ちょうじょうの卒そつ
日暮沙場飛作灰 日暮にちぼ 沙場さじょう 飛とんで灰はいと作なる
玉門関ぎょくもんかん
28p
従軍行(従軍行じゅうぐんこう) 唐 王昌齢おうしょうれい(698-755?)
青海長雲暗雪山 青海せいかいの長雲ちょううん 雪山せつざん暗くらし
孤城遙望玉門關 孤城こじょう 遙はるかに望のぞむ 玉門關ぎょくもんかん
黄沙百戰穿金甲 黄沙こうさ 百戰ひゃくせん 金甲きんこうを穿うがつ
不破樓蘭終不還 樓蘭ろうらんを破やぶらずんば 終ついに還かえらず
29p
涼州詞(涼州詞りょうしゅうし) 唐 王之渙おうしかん(688-742)
黄河遠上白雲間 黄河こうが遠とおく上のぼる 白雲はくうんの間かん
一片孤城萬仞山 一片いっぺんの孤城こじょう 萬仞ばんじんの山やま
羌笛何須怨楊柳 羌笛きょうてき何なんぞ須もちう 楊柳ようりゅうを怨うらむを
春光不度玉門關 春光しゅんこう度わたらず 玉門關ぎょくもんかん
29p
玉關寄長安李主簿 唐 岑 參しんじん(715-770)
(玉關ぎょくかんにて長安ちょうあんの李主簿りしゅぼに寄よす)
東去長安萬里餘 東ひがしのかた長安ちょうあんを去さること 萬里ばんりの餘よ
故人那惜一行書 故人こじん 那なんぞ惜おしむ 一行いちぎょうの書しょ
玉關西望堪腸斷 玉關ぎょくかん 西望せいぼうすれば腸はらわた斷たつに堪たえたり
況複明朝是歳除 況いわんや複また明朝みょうちょう 是歳除これさいじょなるをや
30p
涼州詞(涼州詞りょうしゅうし) 唐 王 翰おうかん(687?-726?)
葡萄美酒夜光杯 葡萄ぶどうの美酒びしゅ 夜光やこうの杯はい
欲飲琵琶馬上催 飲のまんと欲すれば 琵琶びわ馬上ばじょうに催もよおす
酔臥沙場君莫笑 酔よいて沙場さじょうに臥ふす 君きみ笑わらうこと莫なかれ
古来征戦幾人回 古来こらい征戦せいせん 幾人いくにんか回かえる
峨眉山がびさん
30p
峨眉山月歌(峨眉山月がびさんげつの歌うた) 唐 李 白りはく(701-762)
峨眉山月半輪秋 峨眉山月がびさんげつ 半輪はんりんの秋あき
影入平羌江水流 影かげは 平羌江水へいきょうこうすいに入いって流ながる
夜発清溪向三峡 夜よる 清溪せいけいを発はつして三峡さんきょうに向むかう
思君不見下渝州 君きみを思おもえども見みえず 渝州ゆしゅうに下くだる
成 都せいと
31p
蜀相(蜀相しょくしょう) 唐 杜 甫とほ(712-770)
丞相祠堂何処尋 丞相じょうしょうの祠堂しどう 何いずれの処ところにか尋たずねん
錦官城外栢森森 錦官城外きんかんじょうがい 栢はく 森森しんしん
映階碧草自春色 階かいに映えいずる碧草へきそう 自おのずから春色しゅんしょく
隔葉黄鸝空好音 葉はを隔へだつ黄鸝こうり 空むなしく好音こういん
三顧頻繁天下計 三顧さんこ 頻繁ひんぱん 天下てんかの計けい
両朝開済老臣心 両朝りょうちょう 開済かいさい 老臣ろうしんの心こころ
出師未捷身先死 出師未すいしいまだ捷かたざるに 身先みまづ死しし
長使英雄涙満襟 長とこしえに英雄えいゆうをして 涙襟なみだきんに満みたしむ
三 峡さんきょう
32p
早発白帝城(早つとに白帝城はくていじょうを発はっす) 唐 李 白りはく(701-762)
朝辞白帝彩雲間 朝あしたに辞じす 白帝はくてい 彩雲さいうんの間かん
千里江陵一日還 千里せんりの江陵こうりょう 一日いちじつにして還かえる
両岸猿声啼不住 両岸りょうがんの猿声えんせい 啼ないて住やまざるに
軽舟已過万重山 軽舟けいしゅう 已すでに過すぐ 万重ばんちょうの山やま
33p
返照(返照) 唐 杜 甫(712-770)
楚王宮北正黄昏 楚王宮北そおうきゅうほく 正まさに黄昏こうこん
白帝城西過雨痕 白帝城西はくていじょうさい 過雨かうの痕こん
返照入江翻石壁 返照へんしょう 江こうに入いって 石壁せきへきに翻ひりがえり
歸雲擁樹失山村 歸雲きうん 樹じゅを擁ようして 山村さんそんを失しっす
衰年病肺唯高枕 衰年すいねん 肺はいを病やんで 唯ただ枕まくらを高たかくし
絶塞愁時早閉門 絶塞ぜっさい 時ときを愁うれえて 早はやく門もんを閉とず
不可久留豺虎亂 久ひさしく豺虎ひょうこの亂らんを留とどまる可べからず
南方實有未招魂 南方なんぽう 實じつに未いまだ招まねかざる魂こんあり
洞庭湖
34p
登岳陽樓(岳陽樓がくようろうに登のぼる) 唐 杜 甫と ほ(712-770)
昔聞洞庭水 昔聞むかしきく 洞庭どうていの水みず
今上岳陽樓 今いま上のぼる 岳陽樓がくようろう
呉楚東南拆 呉楚ごそ 東南とうなんに拆さけ、
乾坤日夜浮 乾坤けんこん 日夜浮にちやうかぶ
親朋無一字 親朋しんぽう 一字無いちじなく
老病有孤舟 老病ろうびょう 孤舟こしゅう有あり
戎馬關山北 戎馬じゅうば 關山かんざんの北きた
憑軒涕泗流 軒けんに憑よりて 涕泗ていし流ながる
35p
陪族叔刑部侍郎曄及中書舍人賈至遊洞庭湖
(族叔刑部侍郎曄及ぞくけいぶじろうようおよび中書舍人賈至ちゅうしょしゃじんかしに
陪ばいして洞庭湖どうていこに遊あそぶ)
唐 李 白りはく(701-762)
洞庭西望楚江分 洞庭どうてい 西にしに望のぞめば 楚江そこう分わかる
水盡南天不見雲 水盡みずつきて 南天なんてん 雲くもを見みず
日落長沙秋色遠 日落ひおちて 長沙ちょうさ 秋色遠しゅうしょくとおし
不知何處弔湘君 知しらず 何いずれの處ところにか 湘君しょうくんを弔とむらわん
35p
赤 壁(赤 壁せきへき) 唐 杜 牧とぼく(803-852)
折戟沈沙鐵半銷 折戟せつげき 沙すなに沈しずんで 鐵てつ半なかば銷しょうす
自將磨洗認前朝 自おのずから磨洗ませんを將もつて 前朝ぜんちょうを認みとむ
東風不與周郎便 東風とうふう 周郎しゅうろうに與くみして便べんぜずんば
銅雀春深鎖二喬 銅雀どうしゃく 春深はるふかうして 二喬にきょうを 鎖とざせしならん
36p
赤 壁(赤 壁せきへき) 清 趙 翼ちょうよくく(1727-1814)
依然形勝扼荊襄 依然いぜんたる形勝けいしょう 荊襄けいじょうを扼やくし
赤壁山前故塁長 赤壁せきへき山前さんぜん 故塁こるい長ながし
烏鵲南飛無魏地 烏鵲うじゃく 南みなみに飛とんで 魏地ぎち無なく
大江東去有周郎 大江たいこう 東ひがしに去さって 周郎しゅうろう有あり
千秋人物三分国 千秋せんしゅうの人物じんぶつ 三分さんぶんの国くに
一片山河百戦場 一片いっぺんの山河さんが 百戦ひゃくせんの場じょう
今日経過已陳跡 今日こんにち 経過けいかすれば 已すでに陳跡ちんせき
月明漁父唱滄浪 月明つきあきらかにして 漁父ぎょじょ 滄浪そうろうを唱となう
武 漢
37p
黄鶴楼(黄鶴楼こうかくろう) 唐 崔 顥(704-754)
昔人已乗黄鶴去 昔人せきじん已すでに黄鶴こうかくに乗じょうじて去さるし
此地空余黄鶴楼 此この地ち 空むなしく余あます 黄鶴楼こうかくろう
黄鶴一去不復返 黄鶴こうかく 一ひとたび去さって復また返かえらず
白雲千載空悠悠 白雲はくうん 千載せんさい 空くう悠悠ゆうゆう
青山歴歴漢陽樹 青山せいざん 歴歴れきれき 漢陽かんようの樹じゅ
芳草萋萋鸚鵡州 芳草ほうそう 萋萋せいせい 鸚鵡州おうむしゅう
日暮郷関何処是 日暮にちぼ 郷関きょうかん 何いずれの処ところか是これなる
煙波江上使人愁 煙波えんぱ 江上こうじょう 人ひとをして愁うれえしむ
38p
黄鶴楼送孟浩然之広陵 唐 李 白(701-762)
(黄鶴楼こうかくろうにて孟浩然もうこうねんの広陵こうりょうに之ゆくを送おくる)
故人西辞黄鶴楼 故人こじん 西にしのかた 黄鶴楼こうかくろうを辞じし
烟花三月下揚州 烟花えんか 三月さんがつ 揚州ようしゅうに下くだる
孤帆遠影碧空尽 孤帆こはんの遠影えんえい 碧空へきくうに尽つき
唯見長江天際流 唯ただ見みる 長江ちょうこうの天際てんさいに流ながるるを
揚 州
38p
廣陵秋夜對月即事(廣陵こうりょうにて秋夜しゅうや月つきに對たいす即事そくじ)
唐 陳 羽ちんう(753-?)
霜落寒空月上樓 霜しもは寒空かんくうに落おち 月つきは樓ろうに上のぼる
月中歌吹滿揚州 月中げっちゅうの歌吹かすい 揚州ようしゅうに滿みつ
相看醉舞倡樓月 相看あいみる 醉舞すいぶ 倡樓しょうろうの月つき
不覺隋家陵樹秋 覺おぼえず 隋家ずいか 陵樹りょうじゅの秋あき
39p
隋 宮(隋 宮ずいきゅう) 唐 李商隱りしょういん(812-858)
紫泉宮殿鎖煙霞 紫泉しせんの宮殿きゅうでん 煙霞えんかに鎖とざし
欲取蕪城作帝家 蕪城ぶじょうを取とりて帝家ていかと作なさんと欲ほつす
玉璽不縁歸日角 玉璽ぎょくじ 日角にっかくに歸きするに縁よらざれば
錦帆應是到天涯 錦帆きんぱん 應まさに是これ 天涯てんがいに到いたりしなるべし
于今腐草無螢火 今いまに于おいて 腐草ふそうに螢火けいか無なく
終古垂楊有暮鴉 終古しゅうこ 垂楊すいように 暮鴉ぼあ有あり
地下若逢陳後主 地下ちかに 若もし陳ちんの後主こうしゅに逢あわば
豈宜重問後庭花 豈あに宜よろしく 重かさねて後庭花こうていかを問とわんや
烏 江うこう
40p
烏江廟(烏江廟うこうびょう) 唐 杜 牧とぼく(803-852)
勝敗兵家不可期 勝敗しょうはいは 兵家へいかも 期きす可べからず
包羞忍恥是男兒 羞はじを包つつみ恥はじを忍しのぶは 是男兒これだんじ
江東子弟多豪俊 江東こうとうの子弟してい 豪俊ごうしゅん多おおし
巻土重來未可知 巻土けんど重來ちょうらい 未いまだ知しる可べからざりしに
40p
垓下歌(垓下がいかの歌うた) 項 羽こうう(前232-前202)
力抜山兮氣蓋世 力ちから 山やまを抜ぬき 氣きは世よを蓋おおう
時不利兮騅不逝 時ときに 利りあらず 騅すい逝ゆかず
騅不逝兮可奈何 騅すい逝ゆかざるを 奈何いかんとす可べき
虞兮虞兮奈若何 虞ぐや 虞ぐや 若なんじを奈何いかんせん
南京なんきん・秋浦しゅうほ・九江きゅうこう
41p
泊秦淮(秦淮しんわいに泊はくす) 唐 杜 牧とぼく(803-752)
煙籠寒水月籠沙 煙けむりは寒水かんすいを籠こめ 月つきは沙すなを籠こむ
夜泊秦淮近酒家 夜よる 秦淮しんわいに泊はくして 酒家しゅかに近ちかし
商女不知亡國恨 商女しょうじょは知しらず 亡國ぼうこくの恨うらみ
隔江猶唱後庭花 江こうを隔へだてて猶なお唱うたう後庭花こうていか
41p
秋浦歌(秋浦しゅうほの歌うた) 唐 李 白りはく(701-762)
前 出(16頁)
41p
香爐峰下新卜山居草堂初成偶題東壁
香炉峰下こうろほうか新あらたに山居さんきょを卜ぼくし草堂そうどう
初はじめて成なる。偶たまたま東壁とうへきに題だいす。
唐 白居易はくきょい(773-819)字あざなは楽天らくてん
前 出(18頁)
姑 蘇こそ(蘇州そしゅう)
42p
楓橋夜泊(楓橋夜泊ふうきょうやはく) 唐 張 継ちょうけい(753進士)
月落烏啼霜滿天 月落うきおち 烏啼からすないて 霜天しもてんに滿みつ
江楓漁火對愁眠 江楓こうふう 漁火ぎょか 愁眠しゅうみんに對たいす
姑蘇城外寒山寺 姑蘇城外こそじょうがい 寒山寺かんさんじ
夜半鐘聲到客船 夜半やはんの鐘聲しょうせい 客船かくせんに到いたる
42p
蘇台覧古(蘇台覧古そだいらんこ) 唐 李 白りはく(701-762)
旧苑荒台楊柳新 旧苑きゅうえん 荒台こうだい 楊柳ようりゅう新あらたなり
菱歌清唱不勝春 菱歌りょうか 清唱せいしょう 春はるに勝たえず
只今惟有西江月 只今ただいま 惟ただ 西江せいこうの月つきのみ有あって
曾照呉王宮裏人 曾かって照てらす 呉王ごおう宮裏きゅうりの人ひと
杭州こうしゅう・紹興しょうこう
43p
西施石(西施石せいしせき) 唐 楼穎ろうえい(天宝中進士)
西施昔日浣紗津 西施せいし 昔日せきじつ 浣紗かんしゃの津しん
石上青苔思殺人 石上せきじょうの青苔せいたい 人ひとを思殺しさつす
一去姑蘇不複返 一ひとたび姑蘇こそに去さって 複また返かえらず
岸傍桃李為誰春 岸傍がんぼうの桃李とうり 誰たが為ためにか春はるならん
43p
飲湖上初晴後雨 宋 蘇 軾そしょく(1036-1101)
(湖上こじょうに飲のみ 初はじめ晴はれ後のち雨あめふる)
水光瀲灔晴方好 水光すいこう 瀲灔れんえん 晴はれ方まさに好よし
山色空濛雨亦奇 山色さんしょく 空濛くうもう 雨あめも亦また奇きなり
欲把西湖比西子 西湖せいこを把とって 西子せいしに比ひせんと欲すれば
淡粧濃抹総相宜 淡粧たんしょう 濃抹のうまつ 総すべて相宜あいよろし
洛 陽らくよう
44p
春夜洛城聞笛(春夜しゅんや洛城らくじょうに笛ふえを聞きく) 唐 李 白りはく(701-762)
誰家玉笛暗飛声 誰たが家いえの玉笛ぎょくてきか 暗あんに声こえを飛とばす
散入春風満洛城 散さんじて春風しゅんぷうに入いって 洛城らくじょうに満みつ
此夜曲中聞折柳 此この夜よ 曲中きょくちゅう 折柳せつりゅうを聞きく
何人不起故園情 何人なんびとか 起おこさざらん 故園こえんの情じょう
44p
龍門下作(龍門りゅうもんの下したにて作つくる) 唐 白居易はくきょい(772-846)
龍門澗下濯塵纓 龍門りゅうもん澗下かんか 塵纓じんえいを濯あらい
擬作閒人過此生 閒人かんじんと作なって 此この生せいを過すごさんと擬ぎす
筋力不將諸處用 筋力きんりょくは將もつて 諸處しょしょに用もちいず
登山臨水詠詩行 山やまに登のぼり水みずに臨のぞみ 詩しを詠えいじて行ゆかん
泰 山たいざん
45p
望 岳(岳がくを望のぞむ) 唐 杜甫とほ(712-770)
岱宗夫如何 岱宗たいそう 夫それ如何いかん
齊魯青未了 齊魯せいろも 青せい未いまだ了おわらず
造化鍾神秀 造化ぞうか 神秀しんしゅうを鍾あつめ
陰陽割昏曉 陰陽いんよう 昏曉こんぎょうを割わかつ
蕩胸生曾雲 胸むねを蕩うごかす 曾雲そううんの生しょうずるに
決眥入歸鳥 眥まなじりを決けつす 歸鳥きちょうの入いるに
會當凌絶頂 會かならず當まさに 絶頂ぜっちょうを凌しのぎて
一覽衆山小 一ひとたび 衆山しゅうざんの小しょうなるを覽みるべし
曲 阜きょくふ
46p
經魯祭孔子而歎之 唐 玄 宗げんそう(685-762)
(魯ろを經へて孔子こうしを祭まつり之これを歎たんず)
夫子何為者 夫子ふうし 何為なんする者ものぞ
棲棲一代中 棲棲せいせいたり 一代いちだいの中うち
地猶鄹氏邑 地ちは猶なお 鄹氏しゅうしの邑ゆう
宅即魯王宮 宅たくは即すなわち 魯王ろおうの宮きゅう
歎鳳嗟身否 鳳ほうを歎なげかきては 身みの否ひなるを嗟なげき
傷麟怨道窮 麟りんを傷いたみては 道みちの窮きわまるを怨うらむ
今看兩楹奠 今いま 兩楹りょうえいの奠てんを看みるに
當與夢時同 當まさに 夢ゆめみし時ときと同おなじかるべし
三、漢詩の世界
感懐
47p
照鏡見白髪(鏡かがみに照てらして白髪はくはつを見みる) 唐 張九齢ちょうきゅうれい(673-740)
宿昔青雲志 宿昔しゅくせき 青雲せいうんの志こころざし
蹉跎白髪年 蹉跎さたたり 白髪はくはつの年とし
誰知明鏡裏 誰だれか知しらん 明鏡めいきょうの裏うち
形影自相憐 形影けいえい 自おのずから相憐あいあわれまんとは
47p
貧交行(貧交行ひんこうこう) 唐 杜甫とほ(712-770)
翻手作雲覆手雨 手てを翻ひるがえせば 雲くもと作なり 手てを覆くつがせば 雨あめ
紛紛輕薄何須數 紛紛ふんぷんたる輕薄けいはく 何なんぞ數かぞうるを須もちいん
君不見管鮑貧時交 君きみ見み不ずや 管鮑かんぽう貧時ひんじの交まじわり
此道今人棄如土 今人こんじん棄すてて土つちの如ごとし
48p
秋 思(秋 思しゅうし) 唐 許 渾きょこん(791-854?)
琪樹西風枕簟秋 琪樹きじゅ 西風せいふう 枕簟ちんてんの秋あき
楚雲湘水憶同遊 楚雲そうん 湘水しょうすい 同遊どうゆうを憶おもう
高歌一曲掩明鏡 高歌こうか 一曲いっきょく 明鏡めいきょうを掩おおう
昨日少年今白頭 昨日さくじつの少年しょうねん 今いまは白頭はくとう
48p
遣 懷(懷かいを遣やる) 唐 杜 牧とぼく(803-852)
落魄江湖載酒行 江湖こうこに落魄らくはくして 酒さけを載のせて行ゆく
楚腰繊細掌中輕 楚腰そよう 繊細せんさい 掌中しょうちゅうに輕かるし
十年一覺揚州夢 十年じゅうねん 一覺いっかく 揚州ようしゅうの夢ゆめ
贏得青樓薄幸名 贏のこし得えたり 青樓せいろう 薄幸はくこうの名な
49p
題禪院(禪院ぜんいんに題だいす) 唐 杜 牧とぼく(803-852)
觥船一棹百分空 觥船こうせん 一棹いっとう 百分ひゃくぶん空むなし
十載青春不負公 十載じゅっさいの青春せいしゅん 公こうに負そむかず
今日鬢絲禪榻畔 今日こんにち 鬢絲びんし 禪榻ぜんとうの畔ほとり
茶煙輕颺落花風 茶煙ちゃえん 輕かるく颺あがる 落花らくかの風かぜ
49p
再到洛陽(再ふたたび洛陽らくように到いたる) 宋 邵 雍しょうよう(1011-1077)
當年曾是青春客 當年とうねん 曾かつて是これ 青春せいしゅんの客かく
今日重來白髪翁 今日こんにち 重かさねて来きたる 白髪はくはつの翁おう
今日當年成一世 今日こんにち 当年とうねん 一世いっせいを成なし
幾多興替在其中 幾多いくたの興替こうたい 其その中なかに在あり
50p
絶 句(絶 句ぜっく) 唐 呂 嚴ろげん(晩唐の人)
獨上高峰望八都 獨ひとり高峰こうほうに上のぼりて 八都はっとを望のぞめば
黑雲散後月還孤 黑雲こくうん散さんじたる後のち 月還孤つきまたこなり
茫茫宇宙人無數 茫茫ぼうぼうたる宇宙うちゅう 人ひと 無數むすう
幾個男兒是丈夫 幾個いくこの男兒だんじ 是これ 丈夫じょうぶ
節序・風景
51p
絶句二首其一(絶句ぜっく二首にしゅ其その一いち)) 唐 杜甫とほ(712-770)
遅日江山麗 遅日ちじつ 江山麗こうざんうるわしく
春風花草香 春風しゅんぷう 花草香かそうかんばし
泥融飛燕子 泥融どろとけて 燕子飛えんしとび
沙暖睡鴛鴦 沙暖すなあたたかにして 鴛鴦睡えんおうねむる
52p
柳 巷(柳 巷りゅうこう) 唐 韓 愈かんゆ(768-824)
柳巷還飛絮 柳巷りゅうこう 還また絮じょを飛とばす
春餘幾許時 春餘しゅんよ 幾許いくばくの時ときぞ
吏人休報事 吏人りじん 事ことを報ほうずるを休やめよ
公作送春詩 公こう 春はるを送おくるの詩しを詩つくる
52p
三月晦日題慈恩寺(三月晦日さんがつみそか慈恩寺じおんじに題だいす) 唐 白居易はくきょい(772-846)
慈恩春色今朝盡 慈恩じおんの春色しゅんしょく 今朝こんちょう盡つき
終日徘徊倚寺門 終日しゅうじつ 徘徊はいかい 寺門じもんに倚よる
惆悵春歸留不得 惆悵ちゅうちょうす 春歸はるかえりて 留とどめ得えざるを
紫藤花下漸黄昏 紫藤花下しとうかか 漸ようやく黄昏こうこん
53p
江南春(江南こうなんの春はる) 唐 杜 牧とぼく(803-852)
千里鶯鳴緑映紅 千里せんり 鶯鳴うぐいすないて 緑みどり 紅くれないに映えいず
水村山郭酒旗風 水村すいそん 山郭さんかく 酒旗しゅきの風かぜ
南朝四百八十寺 南朝なんちょう 四百八十寺しひゃくはっしんじ
多少楼台煙雨中 多少たしょうの楼台ろうだい 煙雨えんうの中うち
53p
山 行(山 行さんこう) 唐 杜 牧とぼく(803-852)
遠上寒山石徑斜 遠とおく寒山かんざんに上のぼれば 石徑せっけい斜ななめなり
白雲生處有人家 白雲はくうん生しょうずる處ところ 人家じんか有あり
停車坐愛楓林晩 車くるまを停とどめて坐そぞろに愛あいす楓林ふうりんの晩くれ
霜葉紅於二月花 霜葉そうようは二月にがつの花はなよりも紅くれないなり
54p
遊山西村(山西さんせいの村むらに遊あそぶ) 宋 陸 游りくゆう(1125-1210)
莫笑農家臘酒渾 笑わらう莫なかれ 農家のうか 臘酒ろうしゅの渾にごれるを
豊年留客足鶏豚 豊年ほうねん 客かくを留とどめて 鶏豚足けいとんたる
山重水複疑無路 山重さんちょう 水複すいふく 路無みちなきかと疑うたがえば
柳暗花明又一村 柳暗りゅうあん 花明かめい 又一村またいっそん
簫鼓追随春社近 簫鼓しょうこ 追随ついずい 春社近しゅんしゃちかく
衣冠簡朴古風存 衣冠いかん 簡朴かんぼく 古風存こふうそんす
従今若許閑乗月 今従いまより若もし 閑かんに月つきに乗じょうずるを許ゆるさば
拄丈無時夜叩門 拄丈ちゅうじょう 時ときと無なく 夜よる 門もんを叩たたかん
55p
尋胡隠君(胡隠君こいんくんを尋たずぬ) 明 高 啓こうけい(1332-1370)
渡水又渡水 水みずを渡わたり 又水またみずを渡わたる
看花還看花 花はなを看て 還花またはなを看みる
春風江上路 春風しゅんぷう 江上こうじょうの路みち
不覚到君家 覚おぼえず 君きみが家いえに到いたるを
科 挙
56p
落第長安(長安ちょうあんに落第らくだいす) 唐 常 建じょうけん(708-765?)
家園好在尚留秦 家園かえんは好在こうざいなるも 尚なお秦しんに留とどまる
恥作明時失路人 明時めいじ 路みちを失うしないし人ひとと作なるを恥はず
恐逢故里鶯花笑 恐おそらくは 故里こりの鶯花おうかの笑わらうに逢あわん
且向長安度一春 且しばらく長安ちょうあんに向むかいて一春いっしゅんを度すごさん
56p
再下第(再下第さいかだい) 唐 孟 郊もうこう(751-814)
一夕九起嗟 一夕いっせき 九きゅうたび起おきて嗟なげく
夢短不到家 夢ゆめは短みじかくして 家いえに到いたらず
兩度長安陌 兩ふたたび度わたる 長安ちょうあんの陌みち
空涙涙見花 空むなしく涙なみだを涙もつて花はなを見みる
57p
落第(落第らくだい) 唐 李 廓りかく(818進士)
榜前潛制涙 榜前ぼうぜん 潛ひそかに涙なみだを制せいす
衆裏自嫌身 衆裏しゅうり 自みずから身みを嫌いとう
氣味如中酒 氣味きみ 酒さけに中あたれるが如ごとく
情懷似別人 情懷じょうかい 別人べつじんに似にたり
暖風張樂席 暖風だんぷう 樂席がくせきを張はり
晴日看花塵 晴日せいじつ 花塵かじんを看みる
儘是添愁處 儘ことごとく是これ 愁うれいを添そえる處ところ
深居乞過春 深居しんきょして 春はるの過すぎるを乞こう
58p
偶興(偶興ぐうきょう) 唐 羅 隠らいん(833-909)
逐隊隨行二十春 隊たいを逐おい 行こうに隨したがう二十春にじゅっしゅん
曲江池畔避車塵 曲江きょくこう 池畔ちはん 車塵しゃじんを避さく
如今贏得將衰老 如今じょこん 贏かち得えたり 衰老すいろうを將もつて
閑看人間得意人 閑かんに 人間じんかん得意とくいの人ひとを看みることを
58p
夫下第(夫下第おっとかだい) 唐 趙 氏ちょうし(杜羔の妻)
良人的的有奇才 良人りょうじん 的的てきてきとして奇才きさい有あるに
何事年年被放回 何事なにごとぞ 年年ねんねん 放はなたれて回かえる
如今妾面羞君面 如今じょこん 妾しょうが面かおは 君きみの面かおを羞はず
君若來時近夜來 君きみ 若もし來くる時ときは 夜よるの近ちかきに來きたれ
59p
聞夫杜羔登第(夫杜羔おっととこうの登第とうだいを聞きく) 唐 趙 氏ちょうし(杜羔の妻)
長安此去無多地 長安ちょうあん 此去これより 無多むたの地ち
鬱鬱葱葱佳氣浮 鬱鬱うつうつ 葱葱そうそうとして 佳氣かきに浮うく
良人得意正年少 良人りょうじん 意いを得えて 正まさに年少ねんしょう
今夜醉眠何處樓 今夜こんや 醉眠すいみん 何いずれの處ところの夜よるの樓ろうぞ
59p
登科後(登科後とうかご) 唐 孟 郊もうこう(751-814)
昔日齷齪不足誇 昔日せきじつの齷齪あくせく 誇ほこるに足たらず
今朝放蕩思無涯 今朝こんちょう 放蕩ほうとう 思おもい涯はてなし
春風得意馬蹄疾 春風しゅんぷうに意いを得えて 馬蹄ばてい疾はやく
一日看盡長安花 一日いちにち 看み盡つくす 長安ちょうあんの花はな
望 郷
60p
静夜思(静夜思せいやし) 唐 李 白りはく(701-762)
牀前看月光 牀前しょうぜん 月光げっこうを看みる
疑是地上霜 疑うたがうらくは 是これ地上ちじょうの霜しもかと
挙頭望山月 頭こうべを挙あげて 山月さんげつを望のぞみ
低頭思故郷 頭こうべを低たれて 故郷こきょうを思おもう
60p
九月九日憶山東兄弟(九月九日くがつきゅうじつ 山東さんとうの兄弟けいていを憶おもう) 唐 王 維(699-761)おうい
獨在異郷為異客 獨ひとり異郷いきょうに在あつて異客いかくと為なり
毎逢佳節倍思親 佳節かせつに逢あう毎ごとに 倍ますます親おやを思おもう
遙知兄弟登高處 遙はるかに知しる 兄弟けいてい 高たかきに登のぼる處ところ
遍插茱萸少一人 遍あまねく茱萸しゅゆを插さして 一人いちにんを少かくを
61p
絶句二首其二(絶句ぜっく二首にしゅ其その二に) 唐 杜甫とほ(712-770)
江碧鳥逾白 江碧こうみどりにして 鳥逾白とりいよいよしろく
山青花欲燃 山青やまあおくして 花燃はなもえんとす
今春看又過 今春こんしゅん 看又過みすみすまたすぐ
何日是帰年 何いずれの日ひか 是帰年これきねんならん
61p
渡桑幹(桑幹そうかんを渡わたる) 唐 賈 島かとう(779-843)
客舍並州已十霜 客舍かくしゃ 並州へいしゅうすでに十霜じゅっそう
歸心日夜憶咸陽 歸心きしん 日夜にちや 咸陽かんようを憶おもう
無端更渡桑幹水 端はし無なくも 更さらに渡わたる桑幹そうかんの水みず
卻望並州是故郷 卻かえつて 並州へいしゅうを望のぞめば是これ故郷こきょう
家族愛
62p
遊子吟(遊子吟ゆうしぎん) 唐 孟 郊もうこう(751-814)
慈母手中線 慈母じぼ 手中しゅちゅうの線せん
遊子身上衣 遊子ゆうし 身上しんじょうの衣い
臨行密密縫 行ゆくに臨のぞみ 密密みつみつに縫ぬう
意恐遲遲歸 意いは恐おそる 歸かえりの遲遲ちちたらんことを
誰言寸草心 誰だれか言ゆう 寸草すんそうの心こころ
報得三春暉 三春さんしゅんの暉きに報むくい得えんと
62p
秋思(秋思しゅうし) 唐 張 籍ちょうせき(768-830?)
洛陽城裏見秋風 洛陽城裏らくようじょうり 秋風しゅうふうを見みる
欲作家書意萬重 家書かしょを作つくらんと欲ほつして意萬重いばんちょう
復恐匆匆説不盡 復また恐おそる 匆匆そうそうにして説といて盡つくさざるを
行人臨發又開封 行人こうじん 發はつするに臨のぞんで 又封またふうを開ひらく
63p
九 日(九 日きゅうじつ) 宋 戴復古たいふくこ(1167-?)
醉來風帽半敧斜 醉來すいらい 風帽ふうぼう 半なかば敧斜きしゃす
幾度他郷對菊花 幾度いくどか 他郷たごうにて 菊花きくかに對たいす
最苦酒徒星散後 最もっとも苦くなるは 酒徒しゅと 星散せいさんの後のち
見人兒女倍憶家 人ひとの兒女じじょを見みて 倍ますます家いえを憶おもう
63p
京師得家書(京師けいしにて家書かしょを得えたり) 明 袁 凱えんがい(明初の人)
江水三千里 江水こうすい 三千里さんぜんり
家書十五行 家書かしょ 十五行じゅうごぎょう
行行無別語 行行ぎょうぎょう 別語べつご無なし
只道早還郷 只ただ道いう 早はやく郷きょうに還かえれと
夫婦愛
64p
玉階怨(玉階ぎょくかいの怨えん) 斉 謝 朓しゃちょう(464-499)
夕殿下珠簾 夕殿せきでん 珠簾しゅれんを下おろし
流螢飛復息 流螢りゅうけい 飛とんで復また息やむ
長夜縫羅衣 長夜ちょうや 羅衣らいを縫ぬう
思君此何極 君きみを思おもうこと 此ここに何なんぞ極きわまらん
64p
初入諫司喜家室至(初はじめて諫司れんしに入いり家室かしつの至いたるを喜よろこぶ) 唐 竇 群とうぐん(765-814)
一旦悲歡見孟光 一旦いったん 悲歡ひかん 孟光もうこうを見みる
十年辛苦伴滄浪 十年じゅうねん 辛苦しんく 滄浪そうろうに伴ともなう
不知筆硯縁封事 知しらず 筆硯ひっけんの封事ふうじに縁よるを
猶問傭書日幾行 猶なお問とう 傭書ようしょ 日ひに幾行いくぎょうぞと
65p
沈 園(沈 園しんえん) 宋 陸 游りくゆう(1125-1210)
夢斷香鎖四十年 夢斷ゆめたたれ 香鎖こうきえて 四十年よんじゅうねん
沈園柳老不飛綿 沈園しんえん 柳老やなぎおいて 綿わたを飛とばさず
此身行作稽山土 此この身み 行ゆくゆく 稽山けいざんの土つちと作ならんとするに
猶弔遺蹤一泫然 猶なお 遺蹤いしょうを弔とむらって 一ひとたび泫然げんぜんたり
65p
寄 夫(夫ふに寄よす) 唐 陳玉蘭ちんぎょくらん(1125-1210)
夫戍邊關妾在呉 夫ふは邊關へんかんを戍まもり 妾しょうは呉ごに在あり
西風吹妾妾憂夫 西風せいふう 妾しょうを吹ふき 妾しょうは夫ふを憂うれう
一行書信千行涙 一行いちぎょの書信しょしん 千行せんこうの涙なみだ
寒到君邊衣到無 寒かんは君きみの邊へんに到いたり 衣いは到いたるや無いなや
閨 閤
66p
閨 怨(閨 怨けいえん) 唐 王昌齢おうしょうれい(698-755?)
閨中少婦不知愁 閨中けいちゅうの少婦しょうふ 愁うれいを知しらず
春日凝粧上翠樓 春日しゅんじつ 粧しょうを凝こらして 翠樓すいろうに上のぼる
忽見陌頭楊柳色 忽たちまち 陌頭楊柳はくとうりょうゆうの色いろを見みて
悔教夫婿覓封侯 悔くゆらくは 夫婿ふせいをして封侯ほうこうを覓もとめしめしことを
66p
怨 情(怨 情えんじょう) 唐 李 白りはく(701-762)
美人捲珠簾 美人びじん 珠簾しゅれんを捲まく
深坐顰蛾眉 深坐しんざ 蛾眉がびを顰ひそむ
但見涙痕濕 但見ただみる 涙痕るいこんの濕うるおうを
不知心恨誰 知しらず 心こころに誰だれをか恨うらむ
67p
秋閨思(秋閨思しゅうけいし) 唐 張仲素ちょうちゅうそ(769-719?)
碧窓斜日藹深暉 碧窓へきそう 斜日しゃじつ 深暉しんき藹あいたり
愁聽寒螿涙濕衣 寒螿かんしょうを愁うれえ聽きいて 涙衣なみだころもを濕うるおす
夢裏分明見關塞 夢裏むり 分明ぶんめいに關塞かんさいを見みる
不知何路向金微 知しらず 何いずれの路みちか 金微きんびに向むかいし
67p
新嫁娘詞(新嫁娘しんかじょうの詞うた) 唐 王 建おうけん(768?-730?)
三日入廚下 三日みっかにして 廚下ちゅうかに入いり
洗手作羹湯 手てを洗あらって 羹湯こうとうを作つくる
未諳姑食性 未いまだ 姑この食性しょくせいを諳そらんぜず
先遣小姑嘗 先まず 小姑しょうこをして嘗なめしむ
後宮怨
68p
西宮春怨(西宮春怨せいきゅうしゅんえん) 唐 王昌齢おうしょうれい(698-755?)
西宮夜靜百花香 西宮せいきゅう 夜靜よるしずかにして 百花香ひゃくかかんばし
欲卷珠簾春恨長 珠簾しゅんれんを卷まかんろして 春恨しゅんこん長ながし
斜抱雲和深見月 斜ななめに 雲和うんかを抱いだいて 深ふかく月つきを見みれば
朦朧樹色隱昭陽 朦朧ろうろうたる樹色じゅしょく昭陽しょうようを隱かくす
68p
西宮秋怨(西宮秋怨せいきゅうしゅうえん) 唐 王昌齢おうしょうれい(698-755?)
芙蓉不及美人粧 芙蓉ふようも及およばず 美人びじんの粧よそおい
水殿風來珠翠香 水殿すいでん 風來かぜきたって珠翠香しゅすいかんばし
却恨含情掩秋扇 却かえって恨うらむ 情じょうを含ふくんで秋扇しゅうせんを掩おおい
空懸明月待君王 空むなしく明月めいげつを懸かけて君王くんおうを待まつ
69p
宮 怨(宮 怨きゅうえん) 唐 司馬紮しばれい(晩唐の人)
柳色參差掩畫樓 柳色りゅうしょく 參差しんし 畫樓がろうを掩おおい
曉鶯啼送滿宮愁 曉鶯ぎょうおう 啼なき送おくる 滿宮まんきゅうの愁うれい
年年花落無人見 年年ねんねん 花落はなおち 人ひとの見みる無なく
空逐春泉出禦溝 空むなしく春泉しゅんせんを逐おいて禦溝ぎょこうを出いず
69p
宮 詞(宮 詞きゅうし) 唐 李建勳りけんくん(?-952?)
宮門長閉舞衣閑 宮門きゅうもん 長ながく閉とじて 舞衣ぶい閑かんなり
略識君王鬢已斑 略ほぼ 君王くんおうを識しりて 鬢已びんすでに斑はんなり
卻羨落花春不管 卻かえつて羨うらやむ 落花らくか 春管はるかんせず
禦溝流得到人間 禦溝ぎょこうに流ながれ得えて 人間じんかんに到いたるを
70p
王昭君(王昭君おうしょうくん) 唐 李 白りはく(701-762)
昭君拂玉鞍 昭君しょうくん 玉鞍ぎょくあんを拂はらう
上馬啼紅頬 馬うまに上のぼって 紅頬こうきょうを啼なく
今日漢宮人 今日こんにち 漢宮かんきゅうの人ひと
明朝胡地妾 明朝みょうちょう 胡地こちの妾しょう
傾 城
71p
清平調飼三首其一 唐 李 白りはく(701-762)
(清平調飼三首其一せいへいちょうしさんしゅそのいち)
雲想衣装花想容 雲くもには衣装いしょうを想おもい 花はなには容ようを想おもう
春風払檻露華濃 春風しゅんぷう 檻かんを払はらいて 露華濃ろかこまやかなり
若非群玉山頭見 若もし 群玉山頭ぐんぎょうくさんとうに見みるに非あらずんば
会向瑶台月下逢 会かならず 瑶台ようだい 月下げっかに向むかいて逢あわん
71p
其 二 (其 二そのに) 唐 李 白りはく(701-762)
一枝濃艶露凝香 一枝いっし 濃艶のうえん 露香ろこうを凝こらす
雲雨巫山枉断腸 雲雨うんう 巫山ふざん 枉むなしく断腸だんちょう
借問漢宮誰得似 借問しゃもんす 漢宮かんきゅう 誰だれか似にるを得えたる
可憐飛燕倚新粧 可憐かれんの飛燕ひえん 新粧しんしょうに倚よる
72p
其 三 (其 三そのさん) 唐 李 白りはく(701-762)
名花傾國兩相歡 名花めいか 傾國けいこく 兩ふたつながら相歡あいよろこぶ
長得君王帶笑看 長ながく 君王くんおうの 笑わらいを帶おびて看みるを得えたり
解釋春風無限恨 春風しゅんぷう無限むげんの恨うらみを解釋かいしゃくして
沈香亭北倚闌幹 沈香ちんこう亭北ていほく 闌幹らんかんに倚よる
72p
玉樹後庭花(玉樹後庭花ぎょくじゅこうていか) 陳 陳後主ちんこうしゅ(553-604)
麗宇芳林對高閣 麗宇れいう 芳林ほうりん 高閣こうかくに對たいす
新妝艶質本傾城 新妝しんしょうの艶質えんしつは本もとより傾城けいせい
映戸凝嬌乍不進 戸とに映えいじ嬌きょうを凝こらして乍たちまち進すすまず
出帷含態笑相迎 帷とばりを出いでて態たいを含ふくみ笑わらいて相迎あいむかう
妖姫臉似花含露 妖姫ようきの臉かおは似にたり花はなの露つゆを含ふくむに
玉樹流光照後庭 玉樹ぎょくじゅ 流光りゅうこう 後庭こうていを照てらす
妓 女
73p
悼亡妓(亡妓ぼうぎを悼いたむ) 唐 朱 褒しゅほう(?-?)
魂歸溟漠魄歸泉 魂こんは溟漠めいばくに歸きし 魄はくは泉せんに歸きす
只住人間十五年 只ただ人間じんかんに住じゅうすること十五年じゅうごねん
昨日施僧裙帶上 昨日さくじつ 僧そうに施ほどこす 裙帶くんたいの上うえ
斷腸猶繋琵琶絃 斷腸だんちょうす 猶なお 琵琶びわの絃げんを繋かくるに
73p
病中遣妓(病中びょうちゅう妓ぎを遣やる) 唐 司空曙しくうしょ(740-790?)
萬事傷心在目前 萬事ばんじ 心こころを傷いたましむこと 目前もくぜんに在あり
一身憔悴對花眠 一身いっしん 憔悴しょうすいして 花はなに對たいして眠ねむる
黄金用盡教歌舞 黄金おうごん 用もちい盡つくして 歌舞かぶを教おしえ
留與他人樂少年 他人たにんに留與りゅうよして 少年しょうねんを樂たのしましむ
74p
別柳枝(柳枝りゅうしに別わかる) 唐 白居易はくきょい(772-846)
兩枝楊柳小樓中 兩枝りょうしの楊柳ようりゅう 小樓しょうろうの中うち
嫋嫋多年伴醉翁 嫋嫋じょうじょうとして 多年たなん 醉翁すいおうに伴ともなう
明日放歸歸去後 明日みょうにち 放はなち歸かえすも 歸かえり去さりて後のち
世間應不要春風 世間せけんに 應まさに春風しゅんぷうを要もとめざるべし
男女愛情
75p
迢迢牽牛星(迢迢ちょうちょうたる牽牛星けんぎゅうせい) 漢 無名氏むめいし(漢代古詩 前206-後220)
迢迢牽牛星 迢迢ちょうちょうたる牽牛星けんぎゅうせい
皎皎河漢女 皎皎こうこうたる河漢かかんの女じょ
繊繊擢素手 繊繊せんせんとして素手そしゅを擢のばし
札札弄機杼 札札さつさつとして機杼きじょを弄ろうす
終日不成章 終日しゅうじつ 章しょうを成なさず
泣涕零如雨 泣涕きゅうてい 零おつること雨あめの如ごとし
河漢清且淺 河漢かかん 清きよく且かつ淺あさく
相去復幾許 相去あいさること復幾許またいくばくぞ
盈盈一水間 盈盈えいえいたる一水いっすいの間かん
脈脈不得語 脈脈みゃくみゃくとして語かたるを得えず
76p
贈別二首其二(贈別ぞうべつ二首其二みしゅそのに) 唐 杜 牧とぼく(803-852)
多情卻似總無情 多情たじょうなるは卻かえって總すべて無情むじょうなるに似にたり
唯覺尊前笑不成 唯覺ただおぼゆ 尊前そんぜんに 笑わらいの成ならざるを
蝋燭有心還惜別 蝋燭ろうそく 心有こころありて 還また別わかれを惜おしみ
替人垂涙到天明 人ひとに替かわって涙なみだを垂たれ天明てんめいに到いたる
76p
歎花(花はなを歎なげく) 唐 杜 牧とぼく(803-852)
自恨尋芳到已遲 自みずから恨うらむ 芳ほうを尋たずねて到いたること已すでに遲おそきを
往年曾見未開時 往年おうねん 曾かつて見みる 未いまだ開ひらかざる時とき
如今風擺花狼藉 如今じょこん 風擺かぜふるいて 花狼藉はなろうぜき
綠葉成陰子滿枝 綠葉りょくよう 陰かげを成なし 子こは枝えだに滿みつ
77p
金縷衣(金縷きんるの衣い) 唐 杜秋娘としゅうじょう(?-?)
勸君莫惜金縷衣 君きみに勸すすむ 惜おしむ莫なかれ 金縷きんるの衣い
勸君須惜少年時 君きみに勸すすむ 須すべからく惜おしむべし 少年しょうねんの時とき
花開堪折直須折 花開はなひらいて 折おるに堪たえなば 直ただちに須すべからく折おるべし
莫待無花空折枝 花無はななきを待まって 空むなしく枝えだを折おる莫なかれ
77p
傷曹娘(曹娘そうじょうを傷いたむ) 唐 宋之問そうしもん(656?-712)
鳳飛樓伎絶 鳳飛ほうとんで 樓伎ろうぎ絶たえ
鸞死鏡臺空 鸞死らんしして 鏡臺きょうだい空むなし
獨憐脂粉氣 獨ひとり憐あわれむ 脂粉しふんの氣き
猶著舞衣中 猶なお著ちゃくす 舞衣ぶいの中うち
78p
江南意(江南こうなんの意おもい) 唐 宇 鵠うこく(745-?)
閑向江邊採白蘋 閑のどかに江邊こうへんに向おいて 白蘋はくひんを採とり
還隨女伴賽江神 還また 女伴じょはんに隨したがって 江神こうしんに賽さいす
衆中不敢分明語 衆中しゅうちゅう 敢あえて 分明ぶんめいに語かたらず
暗擲金錢卜遠人 暗ひそかに金錢きんせんを擲なげて 遠人えんじんを卜ぼくす
78p
江樓感懐(江樓こうろうの感懐かんかい) 唐 趙 嘏ちょうか(815-?)
獨上江樓思渺然 獨ひとり江樓こうろうに上のぼって 思おもい渺然びょうぜんたり
月光如水水如天 月光げっこう 水みずの如ごとく 水みず天てんの如ごとし
同來翫月人何處 同おなじく來きたって月つきを翫もてあそびし人ひと何いずれの處ところぞ
風影依稀似去年 風影ふうえいは依稀いきとして去年きょねんに似にたり
79p
無 題(無 題むだい) 唐 李商隠りしょういん(812-858)
相見時難別亦難 相見あいみる時ときは難かたく 別わかるるも亦難またかたし
東風無力百花殘 東風とうふうは力無ちからなく 百花ひゃくか 殘くずる
春蠶到死絲方盡 春蠶しゅんさんは死しに到いたりて 絲方いとまさに盡つき
蝋炬成灰涙始乾 蝋炬ろうきょは灰はいと成なって 涙始なみだはじめて乾かわく
曉鏡但愁雲鬢改 曉鏡ぎょうきょうに但ただ愁うれう 雲鬢うんぴんの改あらたまるを
夜吟應覺月光寒 夜吟やぎんに應まさに覺おぼゆべし 月光げっこうの寒さむきを
蓬山此去無多路 蓬山ほうざん 此ここより去さって多路たろ無なし
青鳥殷勤為探看 青鳥せいちょう 殷勤いんぎんに 為ために探看たんかんせよ
交友・友情
80p
八月十五日夜禁中獨直,對月憶元九 唐 白居易はくきょい(772-846)
(八月十五日夜はちがつじゅうごにちよる、禁中きんちゅうに獨ひとり直ちょくし、
月つきに對たいして元九げんきゅうを憶おもう)
銀台金闕夕沈沈 銀台ぎんたい 金闕きんけつ 夕沈沈ゆっべちんちん
獨宿相思在翰林 獨ひとり宿しゅくし 相思あいおもいて 翰林かんりんに在あり
三五夜中新月色 三五夜中さんごやちゅう 新月しんげつの色いろ
二千裏外故人心 二千裏外にせんりがい 故人こじんの心こころ
渚宮東面煙波冷 渚宮しょきゅうの東面とうめん 煙波冷えんぱひややかに
浴殿西頭鐘漏深 浴殿よくでんの西頭せいとう 鐘漏しょうろ深ふかし
猶恐清光不同見 猶なお恐おそる 清光せいこう 同おなじく見みざらんことを
江陵卑濕足秋陰 江陵こうりょう卑濕ひしつにして 秋陰しゅういん足おおからん
81p
聞白樂天左降江州司馬 唐 元 稹げんしん(779-831)
(白樂天はくらくてんの江州司馬こうしゅうしばに左降さこうさるるを聞きく)
殘燈無ᯊ影幢幢 殘燈ざんとう ᯊ無ほのうなく 影幢幢かげとうとうたり
此夕聞君謫九江 此この夕聞ゆうべきく 君きみが九江きゅうこうに謫たくせららるるを
垂死病中驚起坐 垂死すいしの病中びょうちゅう 驚おどろいて起坐きざすれば
暗風吹面入寒窗 暗風あんぷう 面めんを吹ふいて 寒窗かんそうに入いる
81p
尋隱者不遇 唐 賈 島かとう(779-842)
(隱者いんじゃを尋たずねて遇あわず)
松下問童子 松下しょうか 童子どうじに問とう
言師採藥去 言いう 師しは藥やくを採とるに去さると
只在此山中 只ただ 此この山中さんちゅうに在あらんと
雲深不知處 雲深くもふかうして 處ところを知しらず
82p
送宋處士歸山 唐 許 渾きょこん(791-854)
(宋處士そうしょしの山やまに歸かえるを送おくる)
賣藥修琴歸去遲 藥くすりを賣うり 琴ことを修おさめ 歸かえり去さること遲おそし
山風吹盡桂花枝 山風吹さんぷうふき盡つくすならん 桂花けいかの枝えだ
世間甲子須臾事 世間せけんの甲子こうし 須臾しゅゆの事こと
逢著仙人莫看棋 仙人せんにんに逢著ほうちゃくするも 棋きを看みること莫なかれ
82p
逢鄭三游山 唐 盧 仝きょこん(795-834)
(鄭 三ていさんの山やまに游あそぶに逢あう)
相逢之處草茸茸 相逢あいあうの處ところ 草くさ 茸茸じょうじょうたり
峭壁攢峰千萬重 峭壁しょうへき 攢峰さんぽう 千萬重せんまんちょう
他日期君何處好 他日たじつ 君きみと期きするに 何いずれの處ところか好よからん
寒流石上一株松 寒流かんりゅう 石上せきじょう 一株いっしょうの松まつ
客 路
83p
除夜作 唐 高 適こうせき(702-765)
(除夜じょやの作さく)
旅館寒燈獨不眠 旅館りょかんの寒燈かんとう 獨ひとり眠ねむらず
客心何事轉淒然 客心きゃくしん 何事なにごとぞ 轉うたた淒然せいぜん
故郷今夜思千里 故郷こきょう 今夜こんや 千里せんりを思おもう
愁鬢明朝又一年 愁鬢しゅうびん 明朝みょうちょう 又一年またいちねん
83p
逢入京使 唐 岑 參しんじん(715-770)
(京きょうに入いる使つかいに逢あう)
故園東望路漫漫 故園こえん 東望とうぼうすれば 路漫漫みちまんまん
雙袖龍鍾涙不乾 雙袖そうしゅう 龍鍾りゅうしょうとして 涙乾なみだかわかず
馬上相逢無紙筆 故郷こきょう 今夜こんや 千里せんりを思おもう
憑君傳語報平安 君きみに憑よって 傳語でんごして 平安へいあんを報ほうぜん
84p
嶺上逢久別者又別 唐 權德輿けんとくよ(759-818)
(嶺上れいじょうにて久別きゅうべつの者ものに逢あい又別またわかる)
十年曾一別 十年じゅうねん 曾かつて一別いちべつ
征路此相逢 征路せいろ 此ここに相逢あいあう
馬首向何處 馬首ばしゅ 何いずれの處ところにか向むかう
夕陽千萬峰 夕陽せきよう 千萬峰せんまんほう
旅 遊
85p
秋下荊門(秋あき 荊門けいもんを下くだる) 唐 李 白りはく(701-762)
霜落荊門江樹空 霜落しもおちて 荊門けいもん 江樹空こうじゅむなひ
布帆無恙掛秋風 布帆ふはん 恙無つつがなく 秋風しゅうふうに掛かく
此行不為鱸魚鱠 此この行こう 鱸魚ろぎょの鱠かいの爲ためならず
自愛名山入剡中 自みずから 名山めいざんを愛あいして 剡中せんちゅうに入いる
85p
念昔遊(昔遊せきゆうを念おもう) 唐 杜 牧とぼく(803-852)
李白題詩水西寺 李白りはく 詩しを題だいす 水西寺すいせいじ
古木回岩樓閣風 古木こぼく 回岩かいがん 樓閣ろうかくの風かぜく
半醒半醉遊三日 半醒はんせい 半醉はんすい 遊あそぶこと三日みっか
紅白花開山雨中 紅白こうはく 花開はなひらく 山雨さんうの中うち
86p
初至巴陵與李十二白同汎洞庭湖 唐 杜 牧とぼく(803-852)
(初ほじめて巴陵はりょうに至いたり李十二白りじゅうにと
同ともに洞庭湖どうていこに汎うかぶ)
楓岸紛紛落葉多 楓岸ふうがん紛紛ふんぷんとして 落葉多らくようおおし
洞庭秋水晩來波 洞庭どうていの秋水しゅうすい 晩來波ばんらいなみだつ
乘興輕舟無近遠 興きょうに興じょうじて輕舟けいしゅう近遠無きんえんなし
白雲明月吊湘娥 白雲はくうん 明月めいげつ 湘娥しょうがを吊とむらう
86p
渡 江(江こうを渡わたる) 清 文 点ぶんてん( )
青山如故人 青山せいざんは故人こじんの如ごとく
江水似美酒 江水こうすいは美酒びしゅに似にたり
今日重相逢 今日こんにち 重かさねて相逢あいあい
把酒對良友 酒さけを把とって 良友りょうゆうに對たいす
左 遷
87p
與史郎中欽聽黄鶴樓上吹笛 唐 李 白りはく(701-762)
(史郎中欽しろうちゅうきんと黄鶴樓上こうかくろうじょうに吹笛すいてきを聽きく)
一為遷客去長沙 一ひとたび遷客せんきゃくと為なって長沙ちょうさに去さる
西望長安不見家 西にしのかた長安ちょうあんを望のぞめば 家いえを見みず
黄鶴樓中吹玉笛 黄鶴樓中こうかくろうちゅう 玉笛ぎょくてきを吹ふく
江城五月落梅花 江城こうじょう 五月ごがつ 落梅花らくばいか
87p
重送裴郎中貶吉州 唐 劉長卿りゅうちょうけい(709-785)
(重かさねて裴郎中はいちゅうろうが吉州きつしゅうに貶へんせらるるを送おくる)
猿啼客散暮江頭 猿啼さるなき客散かくさんず 暮江ぼこうの頭ほとり
人自傷心水自流 人ひと 自おのずから心こころを傷いたましめ 水みず自おのずから流ながる
同作逐臣君更遠 同おなじく逐臣ちくしんと作なって 君更きみさらに遠とおし
青山萬里一孤舟 青山せいざん 萬里ばんり 一孤舟いちこしゅう
88p
左遷至藍關示姪孫湘 唐 韓 愈かんゆ(768-824)
(左遷させんされて藍關らんかんに至いたり姪孫てつそんの湘しょうに示しめす)
一封朝奏九重天 一封いっぷう 朝あしたに奏そうす 九重きゅうちょうの天てん
夕貶潮州路八千 夕ゆうべに潮州ちょうしゅうに貶へんせらる 路八千みちはっせん
欲為聖朝除弊事 聖朝せいちょうの為ために 弊事へいじを除のぞかんと欲ほつす
肯將衰朽惜殘年 肯あえて衰朽すいきゅうを將もつて殘年ざんねんを惜おしまんや
雲橫秦嶺家何在 雲くもは秦嶺しんれいに橫よこたわって 家いえ何いずくにか在ある
雪擁藍關馬不前 雪ゆきは藍關らんかんを擁ようして馬うま前すすまず
知汝遠來應有意 知しる 汝なんじが遠とく來きたる 應まさに意い有あるべし
好收吾骨瘴江邊 好よし 吾わが骨ほねを收おさめよ 瘴江しょうこうの邊ほとり
89p
元和十一年自朗州召至京戲贈看花諸君子 唐 劉禹錫りゅううしゃく(772-842)
(元和十一年げんなじゅういちねん、朗州ろうしゅうより召めされて京けいに
至いたり、戲たわむれに花はなを看みる諸君子しょくんしに贈おくる)
紫陌紅塵拂面來 紫陌しはく 紅塵こうじん 面めんを拂はらいて來きたる
無人不道看花回 人ひとの花はなを看みて回まわると道いわざる無なし
玄都觀裏桃千樹 玄都觀裏げんとかんり 桃千樹ももせんじゅ
儘是劉郎去後栽 儘ことごとく是これ 劉郎りゅうろう去さって後のち栽うう
89p
初貶官過望秦嶺 唐 白居易はくきょい(772-846)
(初はじめて官かんを貶へんせられ望秦嶺ぼうしんれいを過すぐ)
草草辭家憂後事 草草そうそう 家いえを辭じして後事こうじを憂うれい
遲遲去國問前途 遲遲ちち 國くにを去さつて 前途ぜんとを問とう
望秦嶺上回頭立 望秦嶺上ぼうしんれいじょう 頭こうべを回めぐらして立たてば
無限秋風吹白鬚 無限むげんの秋風しゅうふう 白鬚はくしゅを吹ふく
送 別
90p
別董大(董大くんだいに別わかる) 唐 高 適こうせき(702-765)
十裏黄雲白日曛 十裏じゅうりの黄雲こううん 白日曛はくじつくらし
北風吹雁雪紛紛 北風ほくふう 雁がんを吹ふいて 雪紛紛ゆきふんぷん
莫愁前路無知己 愁うれうる莫なかれ 前路ぜんろ 知己無ちきなきを
天下誰人不識君 天下てんか 誰人だれひとか君きみを識しらざらん
90p
送李侍郎赴常州 唐 賈 至かし(718-772)
(李侍郎りじろうの常州じょうしゅうに赴おもむくを送おくる)
雪晴雲散北風寒 雪晴ゆきはれ雲散こもさにじて 北風寒ほくふうさむし
楚水呉山道路難 楚水そすい 呉山ござん 道路難どうろかたし
今日送君須盡醉 今日こんにち 君きみを送おくる 須すべからく醉よいを盡つくすべし
明朝相憶路漫漫 明朝みょうちょう 相憶あいおもえども 路漫漫みちまんまん
91p
曾山送別 唐 皇甫冉こうほぜん(721-767)
(曾山そうざんにて送別そうべつす)
淒淒遊子苦飄蓬 淒淒せいせいたる遊子ゆうし 飄蓬ひょうほうに苦くるしむ
明月清樽祇暫同 明月めいげつ 清樽せいそん 祇ただ 暫しばらく同おなじうす
南望千山如黛色 今日こんにち 君きみを送おくる 須すべからく醉よいを盡つくすべし
愁君客路在其中 愁うれう 君きみが客路かくろ其中そのうちに在あるを
91p
江上別李秀才 唐 韋 莊いそう(836-910)
(江上こうじょうにて李秀才りしゅうさいに別わかる)
前年相送灞陵春 前年ぜんねん 相送あいおくる 灞陵はりょうの春はる
今日天涯各避秦 今日こんにち 天涯てんがい 各秦おのおのしんを避さく
莫向尊前惜沈醉 尊前そんぜんに向おいて沈醉ちんすいを惜おしむ莫なかれ
與君倶是異郷人 君きみと倶ともに 是これ 異郷いきょうの人ひと
悼 友
92p
題盧五旧居(盧五ろごの旧居きゅうきょに題だいす) 唐 李 頎りき(690-751)
物在人亡無見期 物在ものあり 人亡ひとなくして 見期無けんきなし
間庭繋馬不勝悲 間庭かんていに馬うまを繋ゆないで 悲かなしみに勝たええず
窓前緑竹生空地 窓前そうぜんの緑竹りょくちく 空地くうちに生しょうじ
門外青山似旧時 門外もんがいの青山せいざん 旧時きゅうじに 似にたり
悵望秋天鳴墜葉 悵望ちょうぼうす秋天しゅうてんに 墜葉鳴ついようり
巑岏枯柳宿寒鴟 巑岏さんげんたる枯柳こりゅうに 寒鴟宿かんしやどる
憶君落涙東流水 君きみを憶おもいて涙なみだは落おつ 東流とうりゅうの水みず
歳歳花開知為誰 歳歳さいさい 花開はなひらく 知しんぬ誰だれが為ためぞ
93p
哭晁卿衡
(晁卿衡ちょうけいこうを哭こくす) 唐 李 白りはく(701-762)
日本晁卿辞帝都 日本にっぽんの晁卿ちょうけい 帝都ていとを辞じし
征帆一片繞蓬壺 征帆せいはん一片いっぺん 蓬壺ほうこを繞めぐる
明月不帰沈碧海 明月めいげつ 帰かえらず 碧海へきかいに沈しずみ
白雲愁色満蒼梧 白雲はくうん 愁色しゅうしょく 蒼梧そうごに満みつ
93p
哭孟寂
(孟寂もうしゅくを哭こくす) 唐 張 籍ちょうせきく(768-830)
曲江院裏題名処 曲江きょくこう 院裏いんり名なを題だいする処ところ
十九人中最年少 十九じゅうきゅう人中にんちゅう 最年少さいねんしょう
今日風光君不見 今日こんじつ 風光ふうこう 君きみ見みえず
杏花零落寺門前 杏花きょうか 零落れいらく 寺門じもんの前まえ
酒
94p
雑詩十二首其一
(雑詩十二首其ざっしじゅうにしゅその一いち) 唐 李 白りはく(701-762)
人生無根帯 人生じんせい 根帯無こんたいなく
飄如陌上塵 飄ひょうとして 陌上はくじょうの塵ちりの如ごとし
分散逐風轉 分散ぶんさんして 風かぜを逐おいて轉てんず
此已非常身 此これ已すでに 常つねの身みに非あらず
落地爲兄弟 落ちに落おちて 兄弟けいていと爲なる
何必骨肉親 何なんぞ必かならずしも骨肉こつにくの親しんならんや
得歓當作樂 歓かんを得えて 當まさに樂たのしみを作なし
斗酒聚比隣 斗酒としゅ 比隣ひりんを聚あつむべし
盛年不重來 盛年せいねん 重かさねて來きたらず
一日難再晨 一日いちにち 再ふたたび晨しんなり難かたし
及時當勉励 時ときに及およんで 當まさに勉励べんれいすべし
歳月不待人 歳月さいげつ 人ひとを待またず
95p
少年行
(少年行しょうねんこう) 唐 李 白りはく(701-762)
五稜年少金市東 五稜ごりょうの年少ねんしょう 金市きんしの東ひがし
銀鞍白馬度春風 銀鞍ぎんあん 白馬はくば 春風しゅんぷうを度わたる錦衣きんいす
落花踏尽遊何処 落花らくか 踏ふみ尽つくして 何いずれの処ところにか遊あそぶ
咲入胡姫酒肆中 咲わらって入いる 胡姫こき 酒肆しゅしの中うち
95p
山中対酌
(山中対酌さんちゅうたいしゃく) 唐 李 白りはく(701-762)
両人対酌山花開 両人りょうにん 対酌たいしゃく 山花開さんか開ひらく
一杯一杯復一杯 一杯いっぱい 一杯いっぱい 復一杯またいっぱい
我酔欲眠君且去 我酔われよ眠ねむらんと欲ほつす 君何きみ且しばらく去され
明朝有意抱琴来 明朝みょうちょう 意い有あらば 琴ことを抱いだいて来きたれ
96p
春思二首其二
(春思二首其しゅんしにしゅその二に) 唐 賈 至かし(718-772)
紅粉當壚弱柳垂 紅粉こうふん 壚ろに當あたって 弱柳じゃくりゅう垂たる
金花臘酒解酴醿 金花きんか 臘酒ろうしゅ 酴醿とびを解とく
笙歌日暮能留客 笙歌しょうか 日暮にちぼ 能よく客かくを留とどめ
醉殺長安輕薄兒 醉殺すいさつす 長安ちょうあんの輕薄兒けいはくじ
96p
勸 酒
(酒さけを勸すすむ) 唐 宇武陵うぶりょう(810-?)
勸君金屈卮 君きみに勸すすむ金屈卮きんくつし
滿酌不須辭 滿酌まんしゃく 辭じするを 須もちいず
花發多風雨 花發はなひらき 風雨ふうう多おおし
人生足別離 人生じんせいす 別離べつり足たる
97p
送王十八歸山寄題仙遊寺 唐 白居易はくきょい(772-846)
(王十八おうじゅうはちの山やまに歸かえるを
送おくり仙遊寺せんゆうじに寄題きだいす)
曾於太白峰前住 曾かつて 太白峰前たいはくほうぜんに於おいて住すみ
數到仙遊寺裏來 數しばしば 仙遊寺裏せんゆうじりに到いたって來きたる
黑水澄時潭底出 黑水こくすい 澄すめる時とき 潭底たんてい出いで
白雲破處洞門開 白雲はくうん 破やぶるる處ところ 洞門とうもん開うらく
林間煖酒燒紅葉 林間りかんに酒さけを煖あたためて 紅葉こうようを燒やき
石上題詩掃綠苔 石上せきじょうに詩しを題だいして 綠苔りょくたいを掃はく
惆悵舊遊無複到 惆悵ちゅうちょうす 舊遊きゅうゆう 複いたること無なきを
菊花時節羨君廻 菊花きくかの時節じせつ 君きみの廻かえるを羨うらやむ
征戦
98p
述 懐
(述 懐じゅっかい) 唐 魏 徴ぎちょう(580-643)
中原還逐鹿, 中原ちゅうげんに 還また 鹿しかを逐おう、
投筆事戎軒。 筆ふでを投とうじて 戎軒じゅうけんを事こととす。
縱橫計不就, 縱橫じゅうおう 計はかりごとは就ならざりしも、
慷慨志猶存。 慷慨こうがい 志こころざしは猶なお存そんす。
策杖謁天子, 杖つえを策ひいて天子てんしに謁えつし、
驅馬出關門。 馬うまを驅かって關門かんもんを出いず。
請纓羈南越, 纓えいを請こうて南越なんえつを羈つなぎ、
憑軾下東藩。 軾しょくに憑ついて東藩とうはんを下くださん。
郁紆陟高岫, 郁紆いくう 高岫こうしゅうに陟のぼり、
出沒望平原。 出沒しゅつぼつ 平原へいげんを望のぞむ。
古木吟寒鳥, 古木こぼくに寒鳥かんちょうを吟ぎんじ、
空山啼夜猿。 空山くうざんに夜猿やえん啼なく。
既傷千里目, 既すでに千里せんりの目めを傷いたましめ、
還驚九折魂。 還また九折きゅうせいの魂こんを驚おどろかす。
豈不憚艱險, 豈あに艱險けんかんを憚はばからざらんや、
深懷國士恩。 深ふかく國士こくしの恩おんを懷おもう。
季布無二諾, 季布きふ 二諾にだ無なく、
侯瀛重一言。 侯瀛こうえい 一言いちごんを重おもんず。
人生感意氣, 人生じんせい 意氣いきに感かんじては、
功名誰複論。 功名こうみょう 誰だれか複また論ろんぜん。
99p
從軍北征
(軍ぐんに從したがって北征ほくせいす) 唐 李 益りえき(748-827)
天山雪後海風寒 天山てんざん 雪後せつご 海風寒かいふうさむし
橫笛偏吹行路難 橫笛おうてき 偏ひとえに吹ふく 行路難こうろなん
磧裏征人三十萬 磧裏せきり 征人せいじん 三十萬さんじゅうまん
一時回向月中看 一時いちじに 回こうべを回めぐらして月中げつちゅうに看みる
99p
塞下曲其二
(塞下さいかの曲其きょくその二に) 唐 張仲素ちょうちゅうそ(769-819)
朔雪飄飄開雁門 朔雪さくせつ 飄飄ひょうひょうとして 雁門がんもんを開ひらき
平沙歴亂捲蓬根 平沙へいさ 歴亂れきらんとして 蓬根ほうこんを捲まく
功名恥計擒生數 磧裏せきり 征人せいじん 三十萬さんじゅうまん
直斬樓蘭報國恩 直ただちに樓蘭ろうらんを斬きって國恩こくおんに報むくいん
100p
贈喬侍御
(喬侍御きょうじぎょに贈おくる) 唐 陳子昂ちんすこう(661-702)
漢庭榮巧宦 漢庭こうてい 巧宦こうかん榮さかえ
雲閣薄邊功 雲閣うんかく 邊功へんこうを薄うすんず
可憐驄馬使 憐あわれむべし 驄馬そうばの使し
白首為誰雄 白首はくしゅ 誰たが為ためにか雄ゆうなる
慨 世
101p
去者日以疎
(去さる者もの日ひに以もつて疎うとし) 無名氏むめいし(漢代古詩)(前206-後220)
去者日以疎 去さる者ものは 日ひに以もつて疎うとく
來者日以親 來くる者ものは 日ひに以もつて親したしむ
出郭門直視 郭門かくもんを出いでて直視ちょくしすれば
但見丘輿墳 但ただ 丘きゅうと墳ふんを見みるのみ
古墓犂爲田 古墓こぼは犂すかれて田たと爲なり
松柏摧爲薪 松柏しょうはくくは摧くだかれて薪たきぎと爲なる
白楊多悲風 白楊はくよう 悲風ひふう多おおく
蕭蕭愁殺人 蕭蕭しょうしょうとして人ひとを愁殺しゅうさつす雄ゆうなる
思還故里閭 故里こりの閭りょに還かえらんと思おもい
歸歸道無因 歸かえらんと歸ほつするも 道みち 因よる無なし
102p
己亥歳
(己亥きがいの歳とし) 唐 曹 松そうしょう(830-901)
澤國江山入戰圖 澤國たくこく 江山こうざん 戰圖せんとに入いり
生民何計樂樵蘇 生民せいみん 何なんの計けいあってか樵蘇しょうそを樂たのしまん
憑君莫話封侯事 君きみに憑よる 話かたる莫なかれ封侯ふうこうの事こと
一將功成萬骨枯 一將いっしょう 功成こうなりって 萬骨枯ばんこつかる
102p
州 橋
(州 橋しゅうきょう) 南宋 范成大はんせいだい(1126-1193)
州橋南北是天街 州橋しゅうきょうの南北なんぽく 是これ 天街てんがい
父老年年等駕回 父老ふろう 年年ねんねん 駕がの回かえるを等まつ
忍涙失聲詢使者 涙なみだを忍しのび 聲こえを失うしなって使者ししゃに詢たずぬ
幾時眞有六軍來 幾時いくときにか眞まことに 六軍りくぐんの來くること有ありやと
103p
過零丁洋
(零丁洋れいていようを過すぐ) 南宋 范成大はんせいだい(1126-1193)
辛苦遭逢起一經 辛苦しんくたる遭逢そうほうは 一經いっけいより起おこる
干戈落落四周星 干戈かんか 落落らくらく 四周星ししゅうせい
山河破碎風漂絮 山河さんか破碎はさいして 風絮かぜじょを漂ただよわし
身世飄揺雨打萍 身世飄揺しんせいひょうようして 雨萍あめへいを打うつ
皇恐灘邊説皇恐 皇恐こうきょう灘邊だんぺんくに皇恐こうきょうを説とき
零丁洋裏嘆零丁 零丁れいてい洋裏ようりに零丁れいていを嘆なげく
人生自古誰無死 人生じんせい 古いにしえより誰だれか死無しきなからん
留取丹心照汗青 丹心たんしんを留取りゅうしゅして 汗青かんせいを照てらさん
農民・税
104p
碩 鼠
(碩 鼠せきそ) 詩經魏風(周代)(前1100-前600)
碩鼠碩鼠 碩鼠せきそよ 碩鼠せきそよ
無食我黍 我わが黍きびを食くらうこと無なかれ
三歳貫女 三歳さんさい 女にの貫したがいしが
莫我肯顧 我われを肯あえて顧かえりみること莫なし
逝將去女 逝ゆきて 將まさに女なんじを去さり
適彼樂土 彼かの樂土らくどに適ゆかんとす
樂土樂土 樂土らくど 樂土らくど
爰得我所 爰ここに我わが所ところを得えん
以下略
105p
古風二首其一
(古風二首其こふうにしその一いち) 唐 李 紳りしん(780-846)
鋤禾日當午 禾かを鋤すいて 日ひ 午ごに當あたれば
汗滴禾下土 汗あせは禾下かかの土つちに滴したたる
誰知盤中餐 誰だれか知しらん 盤中ばんちゅうの餐さん
粒粒皆辛苦 粒粒りゅうりゅう 皆みな 辛苦しんくなるを
105p
秋日田園雑興其五
(秋日田園雑興其しゅうじつでんえんざつきょうその五ご) 宋 范成大はんせいだい(1126-1193)
垂成穡事苦艱難 成なるに垂なんなんとして穡事しょくじは苦はなはだ艱難かんなんなり
忌雨嫌風更怯寒 雨あめを忌いみ 風かぜを嫌きらい更さらに寒かんに怯おびゆ
牋訴天公休掠剰 牋せんもて天公てんこうに訴うったう 掠剰りゃくじょうを休やめよ
半償私債半輸官 半なかばは私債しさいを償つぐない半なかばは官かんに輸いたす
106p
夏日田園雑興其十一
(夏日田園雑興其かじつでんえんざつきょうその十一じゅういち) 宋 范成大はんせいだい(1126-1193)
采菱辛苦廃犂鉏 菱ひしを采とるに辛苦しんくして 犂鉏すきくわを廃すつ
血指流丹鬼質枯 血ちの指ゆびは 丹たんを流ながして鬼質きしつ枯かる
無力買田聊種水 力ちからの田たを買かう無なく 聊いささか水みずに種うえれば
近來湖面亦収租 近來きんらい 湖面こめんも亦また 租そを収おさむ
詠史・懐古
107p
易水送別
(易水えきすいの送別そうべつ) 唐 駱賓王らくひんおうく(650-701)
此地別燕丹 此この地ちにて 燕丹えんたんに別わかれ
壯士髪衝冠 壯士そうし 髪はつ 冠かんむりを衝つく
昔時人已沒 昔時せきじの人ひと 已すでに沒ぼつし
今日水猶寒 今日こんにち 水猶みずなお寒さむし
107p
越中覧古
(越中覧古えっちゅうらんこ) 唐 李 白りはく (701-762)
越王勾践破呉帰 越王勾践えつおうこうせん 呉ごを破やぶって帰かえる
義士還郷尽錦衣 義士ぎし 郷きょうに還かえって尽ことごとく錦衣きんいす
宮女如花満春殿 宮女きゅうじょ 花はなの如ごとく春殿しゅんでんに満みつ
只今惟有鷓鴣飛 只今ただいま 惟ただ鷓鴣しゃこの飛とぶ有あるのみ
108p
韓信廟
(韓信廟かんしんびょう) 唐 劉禹錫りゅううしゃく(772-842)
將略兵機命世雄 將略しょうりゃく 兵機へいき 命世めいせの雄ゆう
蒼黄漢室歎良弓 蒼黄そうこうたる漢室かんしつに 良弓りょうきゅうを歎なげく
遂令後代登壇者 遂ついに 後代登壇こうだいとうだんの者ものをして
毎一尋思怕立功 一ひとたび尋思じんしする毎ごとに 立功りっこう/ruby>を怕おそれしむ
108p
王昭君
(王昭君おうしょうくん) 唐 白居易はくきょい(772-846)
漢使卻回憑寄語 漢使かんし 卻回きゃくかい 憑よって語ごを寄よす
黄金何日贖蛾眉 黄金おうごん 何いずれの日ひか蛾眉がびを贖あがななわん
君王若問妾顏色 君王くんおう 若もし妾しょうの顏色がんしょくを問とわば
莫道不如宮裏時 道いうこと莫なかれ宮裏きゅうりの時とき/ruby>に時とき/ruby>如しかずと
109p
故行宮
(故行宮こあんぐう) 唐 王 建おうけん(779-831)
寥落古行宮 寥落りょうらくたり 古行宮こあんぐう
宮花寂寞紅 宮花きゅうか 寂寞せきばくとして紅くれないなり
白頭宮女在 白頭はくとうの宮女きゅうじょ在あり
閑坐説玄宗 閑坐かんざして玄宗げんそうを説とく
109p
焚書坑
(焚書坑ふんしょこう) 唐 章 碣しょうけつ(837-?)
竹帛煙銷帝業虚 竹帛ちくはく 煙銷けむりきえて 帝業ていぎょう虚むなし
關河空鎖祖龍居 關河かんか 空むなしく鎖とざす祖龍そりゅうの居きょ
坑灰未冷山東亂 坑灰こうかい 未いまだ冷ひえざるに 山東さんとう亂みだる
劉項元來不讀書 劉項りゅうこう 元來がんら 書しょを讀よまず
閑 適
110p
竹裏館
(竹裏館ちくりかん) 唐 王 維おうい(701-761)
獨坐幽篁裏 獨ひとり坐ざす 幽篁ゆうこうの裏うちし
彈琴複長嘯 彈琴だんきん 複長嘯またちょうしょうす
深林人不知 深林しんりん 人不知ひとしらず
明月來相照 明月めいげつ 來きたり相照あいてらす
110p
江村即事
(江村即事こうそんそくじ) 唐 司空曙しくうしょ(740-790?)
釣罷歸來不繋船 釣つりを罷やめて歸來きらい 船ふねを繋つながず
江村月落正堪眠 江村こうそん 月落るきおちて正まさに眠ねむるに堪たえたり
縱然一夜風吹去 縱然たとい 一夜いちや 風吹かぜふき去さるも
唯在蘆花淺水邊 唯ただ 蘆花淺水ろかせんすいの邊へんに在あらん
111p
客 至(客至かくいたる) 唐 杜 甫とほ(712-770)
舍南舍北皆春水 舍南しゃなん 舍北しゃほく 皆春水みなしゅんすい
但見群鷗日日來 但見ただみる 群鷗ぐんおうの日日來ひびきたるを
花徑不曾縁客掃 花徑かけい 曾かつて客かくに縁よって掃はかず
蓬門今始為君開 蓬門ほうもん 今始いまはじめて君きみが為ために開ひらく
盤餐市遠無兼味 盤餐ばんそん 市遠いちとおくして 兼味けんみ無なく
樽酒家貧只舊醅 樽酒そんしゅ 家貧いえひんにして 只舊醅ただきゅうばい
肯與鄰翁相對飲 鄰翁りんのうと相對あいたいして飲のむを肯がえんぜば
隔籬呼取盡餘杯 籬まがきを隔へだてて呼よび取とって餘杯よはいを盡つくさん
112p
自題酒庫(自みずから酒庫しゅこに題だいす) 唐 白居易はくきょい(772-746)
野鶴一辭籠 野鶴やかく 一ひとたび籠ろうを辭じし
虚舟長任風 虚舟きょしゅう 長とこしえに風かぜに任まかす
送愁還鬧處 愁うれいを送おくりて鬧處どうしょに還かえし
移老入閑中 老おいを移うつして閑中かんちゅうに入いるく
身更求何事 身み 更さらに何事なにごとをか求もとめん
天將富此翁 天てん 將まさに此この翁おうを富とましめんとす
此翁何處當 此この翁おう 何いずれの處ところにか> 富とむ
酒庫不曾空 酒庫しゅこ 曾かつて空むなしからず
113p
冬日田園雑興其八 宋 范成大はんせいだい(1126-1193)
(冬日田園雑興其とうじつでんえんざっきょうその八はち)
榾柮無煙雪夜長 榾柮こつとつに煙無けむりなく 雪夜長せつやながし
地爐29032酒煖如湯 地爐ちろ 29032酒わいしゅ 煖あたたかきこと湯ゆの如ごとし
莫嗔老婦無盤39139 老婦ろうふに嗔いかる莫なかれ盤39139ばんてい無なきを
笑指灰中芋栗香 笑わらいて指さす灰中かいちゅう 芋栗うりつの香かんばしきを
113p
銷夏詩 清 袁 枚えんばい(1716-1797)
(銷夏しょうかの詩し) 宋 范成大はんせいだい(1126-1193)
不着衣冠近半年 衣冠いかんを着つけざること 半年はんねんに近ちかし
水雲深處抱花眠 水雲すいうん 深ふかき處ところ 花はな抱いだいて眠ねむる
平生自思無冠樂 平生へいぜい 自みずから思おもう 無冠むかんの樂たのしみ
第一驕人六月天 第一だいいち 人ひとに驕おごる 六月ろくがつの天てん
桂冠
114p
歸去來辭
(歸去來ききょらいの辭じ) 晋 陶淵明とうえんめい辭(365-427)
歸去來兮 歸去來兮かえりなんいざ
田園將蕪胡不歸 田園将でんえんまさに蕪あれなんとす 胡なんぞ帰かえらざる
既自以心爲形役 既すでに 自みずから心こころを以もつて形かたちの役やくと爲なす
奚惆悵而獨悲 奚なんぞ惆悵ちゅうちょうして獨ひとり悲かなしむや
悟已往之不諫 已往きおうの諫いさむまじきを悟さとり
知來者之可追 来者らいしゃの追おう可べきを知しる
實迷途其未遠 実まことに 途みちに迷まようこと其それ未いまだ遠とおからず
覺今是而昨非 今いまの是ぜにして昨さくの非ひなるを覚さとりぬ
舟遙遙以輕颺 舟ふねは遙遙ようようとして以もつて輕かるく颺あがり
風飄飄而吹衣 風かぜは飄飄ひょうひょうとして衣ころもを吹ふく
問征夫以前路 征夫せいふに問とうに前路ぜんろを以もつてし
恨晨光之熹微 晨光しんこうの熹微きびなるを恨うらむ
乃瞻衡宇 乃すなわち衡宇こううを瞻みて
載欣載奔 載すなわち欣よろこび載すなわち奔はしる
僮僕歡迎 僮僕どうぼくは歡よろこび迎むかえ
稚子候門 稚子ちしは門もんに候まつ
三逕就荒 三径さんけいは荒こうに就つくも
松菊猶存 松菊しょうきく猶なお存そんす
攜幼入室 幼ようを携たずさえて室しつに入いれば
有酒盈樽 酒有さけあつて樽たるに盈みつ
引壺觴以自酌 壺觴こしょうを引ひいて以もつて自みじから酌くみ
眄庭柯以怡顏 庭柯ていかを眄みて以もつて顏かおを怡よろこばしむ
倚南窗以寄傲 南窓なんそうに倚よつて以もつて寄傲きごうし
審容膝之易安 膝ひざを容いるるの安やすんじ易やすきを審つまびらかにす
園日渉以成趣 園えんには日ひ渉わたつて以もつて趣おもむきを成なし
門雖設而常關 門もんは設もうくと雖いえども常つねに関とざす
策扶老以流憩 扶老ふろうを策つえつきて以もつて流憩りゅうけいし
時矯首而游觀 時ときに首こうべを矯まげて游觀ゆうかんす
雲無心以出岫 雲くもは無心むしんにして以もつて岫みねを出いで
鳥倦飛而知還 鳥とりは飛とぶに倦あきて還かえるを知しる
景翳翳以將入 景ひは翳翳えいえいとして以もつて將まさに入いらんとし
撫孤松而盤桓 孤松こしょうを撫なでて盤桓ばんかんす
以下略
116p
歸園田居三首其一 晋 陶淵明とうえんめい(365-427)
(園田えんでんの居きょに歸かえる三首其さんしゅその一 いち)
少無適俗韻 少わかきより俗ぞくに適かなうの韻無いんなく
性本愛邱山 性せい 本もと 邱山きゅうざんを愛あいす
誤落塵網中 誤あやまって塵網じんもうの中うちに落おち
一去十三年 一去いっきょ 十三年じゅうさんねん
羈鳥戀舊林 羈鳥きちょう 舊林きゅうりんを戀こい
池魚思故淵 池魚ちぎょ 故淵こえんを思おもう
開荒南野際 荒こうを南野なんやの際さいに開ひらき
守拙歸田園 拙せつを守まもって田園でんえんに歸かえる
方宅十餘畝 方宅ほうたく 十餘畝じゅうよほ
草屋八九間 草屋そうおく 八九間はちくけん
楡柳蔭後簷 楡柳やりゅう 後簷こうえんを蔭おおい
桃李羅堂前 桃李とうり 堂前どうぜんに羅つらなる
曖曖遠人村 曖曖あいあいたり 遠人えんじんの村むら
依依墟里煙 依依いいたり 墟里きょりの煙けむり
狗吠深巷中 狗いぬは深巷しんこうの中うちに吠ほえ
鶏鳴桑樹顛 鶏とりは桑樹そうじゅの顛いただきに鳴なく
戸庭無塵雜 戸庭こてい 塵雜じんざつ無なく
虚室有餘閑 虚室きょしつ 餘閑よかん有あり
久在樊籠中 久ひさしく樊籠はんろうの中うちに在ありしが
復得返自然 復また 自然しぜんに返かえるを得えたり
四、日本人の漢詩
118p
九月十日
(九月十日くがつとうか) 菅原道真すがわらみちざね(845-903)
去年今夜侍清涼 去年きょねんの今夜こんや 清涼せいりょうに侍じす
秋思詩編獨断腸 秋思しゅうしの詩編しへん 獨ひとり断腸だんちょう
恩賜御衣今在此 恩賜おんしの御衣ぎょい 今此いまここに在あり
俸持毎日拝餘香 俸持ほうじして毎日まいにち餘香よこうを拝はいす
118p
九日侍宴同賦菊散一叢金応制 菅原道真すがわらみちざね(845-903)
(九日宴きゅうじつえんに侍じし「菊きくは散さんず一叢いっそうの金きん」を賦ふ
す応制おうせいを同おなじゅうす)
不是秋江錬白沙 是これ 秋江しゅうこうに白沙はくさを錬ねるならず
黄金化出菊叢花 黄金おうごん 化かし出いずる菊叢きくそうの花はな
微臣把得籝中満 微臣びしん 把とり得えて籝中えいちゅうに満みたすも
豈若一經遺在家 豈若あにしかんや一經いっけいの遺のこして家いえに在あるに
119p
(不出門門を出でず) 菅原道真すがわらみちざね(845-903)
一従謫落在柴荊 一ひとたび謫落して柴荊さいけいに在ありて従より
萬死兢兢跼蹟情 萬死兢兢ばんしきょうきょうたり 跼蹟きょくせきの情じょう
都府樓纔看瓦色 都府樓とふろうは纔わずかに瓦色がしょくを看み
観音寺只聴鐘聲 観音寺かんのんじは只ただ鐘聲しょうせいを聴きくのみ
中懐好逐孤雲去 中懐ちゅうかいは好よし孤雲こうんを逐おいて去さり
外物相逢満月迎 外物がいぶつは満月まんげつを相逢あいおうて迎むかう
此地雖身無檢繋 此この地ち 身みに檢繋けんけい無なしと雖いえども
何爲寸歩出門行 何爲なんすれぞ寸歩すんぽも門もんを出いでて行ゆかん
120p
応制賦三山(応制三山おうせいさんざんを賦ふす) (僧)絶海中津ぜっかいちゅうしん(1236-1405)
熊野峰前徐福祠 熊野峰前くまのほうぜん 徐福じょふくの祠し
満山薬草雨余肥 満山まんざんの薬草やくそう 雨余うよに肥こゆ
只今海上波涛穏 只今ただいま 海上波涛穏かいじょうなみおだやかなり
万里好風須早帰 万里好風ばんりこうふう 須すべからく早はやく帰かえるべし
120p
九月十三夜(九月十三夜くがつじゅうさんや) 上杉謙信うえすぎけんしん(1530-1578)
霜満軍営秋氣清 霜しもは軍営ぐんえいに満みちて 秋氣しゅうき清きよし
數行過雁月三更 數行すうこうの過雁かがん 月三更つきさんこう
越山併得能州景 越山併えつざんあわせ得えたり 能州のうしゅうの景けい
遮莫家郷憶遠征 遮莫さもあらばあれ 家郷かきょうの遠征えんせいを憶おもうを
121p
朝鮮役載一梅而歸栽之後園詩以記 伊達政宗だてまさむね(1567-1636)
(朝鮮ちょうせんの役えきに一梅いちばいを載のせて歸かえり、之これを後園こうえん
に栽うう、詩以しもって記きす)
絶海行軍歸國日 絶海ぜっかいの行軍こうぐん 國くにに歸かえるの日ひ
鐵衣袖裏裹芳芽 鐵衣てつい袖裏しゅうり 芳芽ほうがを裹つつむ
風流千古餘清操 風流ふうりゅう 千古せんこ 清操せいそうを餘あまし
幾度間看異域花 幾度いくたびか間かんに看みる異域いいきの花はな
121p
遣興吟(興きょうを遣やる吟ぎん) 伊達政宗だてまさむね(1567-1636)
馬上青年過, 馬上ばじょうに青年せいねん過すぎ
時平白髪多。 時とき 平へいにして 白髪はくはつ多おおし
殘軀天所許, 殘軀ざんく 天てんの許ゆるす所ところ
不樂復如何。 樂たのしまずば 復また如何いかん
122p
題不識庵撃機山圖 頼 襄らいのぼる(1780-1832)
(識庵撃機山ふしきあんきざんを撃うつの圖ずに題だいす)
鞭聲肅肅夜過河 鞭聲べんせい 肅肅しゅくしゅく 夜河よるかわを過わたる
曉見千兵擁大牙 曉あかつきに見みる千兵せんぺいの大牙たいがを擁ようするを
遺恨十年磨一剣 遺恨いこんなり 十年じゅうねん 一剣いっけんを磨みがく
流星光底逸長蛇 流星光底りゅうせいこうていに長蛇ちょうだを逸いっす
122p
泊天草洋 頼 襄らいのぼる(1780-1832)
(天草洋あまくさように泊はくす)
雲耶山耶呉耶越 雲くもか山やまか 呉ごか越えつか
水天髣髴青一髪 水天すいてん髣髴ほうふつ 青一髪せいいっぱつ
萬里泊舟天草洋 萬里ばんり舟ふねを泊はくす天草あまくさの洋なだ
煙横篷窓日漸没 煙けむりは篷窓ほうそうに横よこたわって日漸ひようやく没ぼつし
瞥見大魚波間跳 瞥見べっけんす大魚たいぐおの波間はかんに跳おどるを
太白當船明似月 太白たいはく 船ふねに當あたって月つきよりも明あきらかなり
123p
本能寺 頼 襄らいのぼる(1780-1832)
(本能寺ほんのうじに泊はくす)
本能寺 本能寺ほんのうじ
溝深幾尺 溝みぞの深ふかさ幾尺いくせきぞ
吾就大事在今夕 吾われ 大事だいじを就なすは今夕こんさきに在あり
茭粽在手併茭食 茭粽こうそう 手てに在あり 茭こうを併あわせ食くらう
四簷梅雨天如墨 四簷しえんの梅雨ばいう 天てん 墨すみの如ごとし
老阪西去備中道 老阪おいさか 西にしに去されば備中びっちゅうの道みち
揚鞭東指天猶早 鞭むちを揚あげて東ひがしに指させば天猶てんなお早はやし
吾敵正在本能寺 吾わが敵てきは正まさに本能寺ほんのうじに在あり
敵在備中汝能備 敵はは備中びっちゅうに在あり 汝能なんじよく備そなえよ
124p
桂林荘雑詠示諸生 広瀬ひろせ 建けん(淡窓たんそう)(1782-1856)
(桂林荘雑詠諸生けいりんそうざつえいしょせいに示しめす)
休道他郷多辛苦 道いうを休やめよ 他郷たきょう辛苦しんく多おおしと
同袍有友自相親 同袍どうほう 友有ともあり 自おのずから相親いしたしむ
柴扉曉出霜如雪 柴扉さいひ 曉あかつきに出いずれれば 霜雪しもゆきの如ごとし
君汲川流我拾薪 君きみは川流せんりゅうを汲くめ 我われは薪たきぎを拾ひろわん
124p
發長崎 広瀬ひろせ 建けん(淡窓たんそう)(1782-1856)
(長崎ながさきを發はつす)
旗亭風笛送離愁 旗亭きていの風笛ふうてき 離愁りしゅうを送おくる
佳境唯疑夢裏遊 佳境かきょう 唯疑ただうたがう夢裏むりに遊あそぶかと
靉靆橋頭二分月 靉靆あいたい橋頭きょうとう 二分にぶんの月つき
瓊江也是小揚州 瓊江けいこう 也是またこれ 小揚州しょうようしゅう
125p
四十七士 大塩平八郎おおしおへいはちろう)(1793-1837)
(四十七士しじゅうしちし)
臥薪嘗胆幾辛酸 臥薪がしん 嘗胆しょうたん 幾辛酸いくしんさん
一夜剣光映雪寒 一夜いちや 剣光けんこう 雪ゆきに映えいじて寒さむし
四十七碑猶護主 四十七碑しじゅうしちひ 猶なお主しゅを護まもる
凜然冷殺奸臣肝 凜然りんぜん 冷殺れいさうす 奸臣かんしんの肝きも
125p
弘道館賞梅花 徳川斉昭とくがわなりあき(1800-1860)
(弘道館こうどうかんに梅花ばいかを賞しょうす)
弘道館中千樹梅 弘道館中こうぶんかんちゅう 千樹せんじゅの梅うめ
清香馥郁十分開 清香せいこう 馥郁ふくいく 十分じゅうぶんに開ひらく
好文豈是無威武 好文こうぶん 豈是あにこれ 威武無いぶなからんや
雪裏占春天下魁 雪裏せつり 春はるを占しむ 天下てんかの魁かい
126p
芳野懐古 藤井ふじい啓(竹外ちくがい)(1807-1866)
(芳野懐古よしのかいこ)
古陵松柏吼天飆 古陵こりょうの松柏しょうはく 天飆てんぴょうに吼ほゆ
山寺尋春春寂寥 山寺さんじ 春はるを尋たずぬれば 春はる寂寥せきりょう
眉雪老僧時輟帚 眉雪びせつの老僧ろうそう 時ときに帚はくを輟やめ
落花深處説南朝 落花深らくかふかき處ところ 南朝なんちょうを説とく
126p
楠公湊川戰死圖 大槻おおつき清崇(盤渓ばんけい)(1801-1878)
(楠公湊川戰死なんこうみなとがわせんしの圖ず)
王事寧將成敗論 王事おうじ 寧なんぞ成敗せいばいを將もつて論ろんぜん
唯知順逆是忠臣 唯順逆ただじゅんぎゃくを知しる 是忠臣これちゅうしん
斯公ー死兒孫在 斯この公こう ー死いっし 兒孫在じそんあり
護得南朝五十春 護ごし得えたり 南朝なんちょう 五十春ごじゅっしゅん
127p
題児島高徳書桜樹図 齋藤監物さいとうけんもつ( )
(児島高徳こじまたかのり桜樹おうじゅに書しょすの図ずに題だいす)
踏破千山万岳煙 踏ふみ破やぶる千山万岳せんざんばんがくの煙けむり
鸞輿今日到何辺 鸞輿らんよ 今日こんじつ 何いづれの辺へんにか到いたる
単蓑直入虎狼窟 単蓑たんさ 直ただちに入いる虎狼ころうの窟くつ
一匕深探鮫鰐淵 一匕いっぴ 深ふかく 探さぐる鮫鰐こうがくの淵ふち
報国丹心嗟独力 報国ほうこくの 丹心たんしん 独力どくりょくを嗟なげき
回天事業奈空拳 回天かいてんの 事業じぎょう 空拳くうけんを奈いかんせん
数行江涙両行字 数行すうこうの 江涙こうるい 両行りょうこうの字じ
付与桜花奉九天 桜花おうかに 付与ふよして 九天きゅうてんに奉そうす
128p
漫 述 (漫 述まんじつ) 佐久間さくま 啓(象山しょうざん)(1811-1864)
謗者任汝謗 謗そしる者ものは汝なんじの謗そしるに任まかす
嗤者任汝嗤 嗤わらう者ものは汝なんじの嗤わらうに任まかす
天公本知我 天公げんこう 本もと 我われを知しる
不覓他人知 他人たにんの知しるを覓もとめず
128p
訣 別 (訣 別けつべつ) 梅田うめだ定明(雲浜うんぴん)(1815-1859)
妻臥病牀兒泣飢 妻つまは病牀びょうしょうに臥ふし 兒こは飢うえに泣なく
此心誓欲拂戎夷 此この心こころ 誓ちかって 戎夷じゅういを拂はらわんと欲ほつす
今朝死別兼生別 今朝こんちょう 死別しべつ 生別せいべつを兼かぬ
唯有皇天后土知 唯ただ 皇天こうてん 天后こうどの知しる有あり
129p
感 懷 (感 懷かんかい) 西郷隆盛さいごうたかもり(南洲なんしゅう)(1827-1877)
幾歴辛酸志始堅 幾いくたびか辛酸しんさんを歴へて 志こころざし 始はじめて堅かたし
丈夫玉砕恥甎全 丈夫じょうぶ玉砕ぎょくさい 甎全せんぜんを恥はず
我家遺法人知否 我わが家いえの遺法いほう 人知ひとしるや否いなや
不爲兒孫買美田 兒孫じそんの爲ために美田びでんを買かわず
129p
月照和尚忌日賦 (月照和尚げっしょうおしょうの忌日きじつに賦ふす) 西郷隆盛さいごうたかもり(南洲なんしゅう)(1827-1877)
相約投淵無後先 相約あいやくして淵ふちに投とうず 無後先こうせんなし
豈圖波上再生縁 豈圖あにはからんや 波上はじょう 再生さいせいの縁えん
回頭十有餘年夢 我わが家いえの遺法いほう 人知ひとしるや否いなや
空隔幽明哭墓前 空むなしく幽明ゆうめいを隔へだて 墓前ぼぜんに哭こくす
130p
題 壁(壁かべに題だいす) 釈 月照しゃく げっしょう(清狂せいきょう)(1817-1858)
男兒立志出郷關 男兒だんじ志こころざしを立たてて郷關きょうかんを出いず
學若無成死不返 學がく 若もし成ならずんば死しすとも返かえらず
埋骨豈惟墳墓地 骨ほねを埋うむ豈惟墳墓あにただふんぼの地ちのみならんや
人間到處有青山 人間にんげん 到いたる處ところ 青山有せいざんあり
130p
金州城作(金州城きんしゅうじょうの作さく) 乃木希典のぎまれすけ(1849-1912)
山川草木轉荒涼 山川さんせん 草木そうもく 轉荒涼うたたこうりょう
十里風腥新戰場 十里じゅうり 風腥かぜなまぐさし 新戰場しんせんじょう
征馬不前人不語 征馬せいば前すすまず 人語ひとかたらず
金州城外立斜陽 金州城外きんしゅうじょうがい 斜陽しゃように立たつ
五、絶句と律詩の規則と作詩法
(131p)
(一)漢詩の分類
古体詩(古詩・楽譜)
近体詩(絶句・律詩)
詞
(二)四声
現代中国語の四声
一声 二声 三声 四声
一 / U ヽ
(例一) 溜 流 柳 六
(例二) 包 薄 飽 報
漢語の四声
例 平声 上声 去声 入声
韓 簡 漢 角
寒 潸 翰 覚
漢語の四声と現代中国語の四声との関係
現代中国語 一声 二声 三声 四声
漢語 平声・入声 平声・入声 上声・入声 去声・入声
(三)平仄
平声 平声
上声 仄声
去声 仄声
入声 仄声
(四)韻(語尾の母音のひびき)による漢字分類
平声 三十分類
仄声 七十六分類
(合計)一〇六分類 漢字韻目表参照
辞書における韻の表示は、例えば、平声東韻の字は東(左下〇)と示す。
(五)押韻
詩句のきまったところに、同じ韻の文字を用いることを押韻(韻を踏む)という。
漢詩はすべて押韻する。
漢詩押韻の例
秋浦歌 李白
平声陽韻
●●○○●
白髪三千丈 丈は仄声(上声養韻)
○○●●◎
縁愁似箇長 長は平声陽韻・押韻
●○○●●
不知明鏡裏 裏は仄声(上声紙韻)
○●●○◎
何処得秋霜 霜平声陽韻・押韻
(六)絶句の構成と規則
(1)起承転結
絶句(五言絶句・七言絶句)は四句にて構成す。
第一句ーー起句 詠い起こし。
第二句ーー承句 起句を承けて、場面を増幅する。
第三句ーー転句 場面を転換する。
第四句ーー結句 転句を承けつつ、全体をしめくくる。
(2)絶句の押韻
◎五言絶句は、第二句及び第四句の末尾に押韻する。
変格として第一句末尾にも押韻することがある。
韻を踏まない句の末尾は韻字と逆の平仄(韻字が平声の場合は仄声、韻字が
仄声の場合は平声)とする。
◎七言絶句は、第一句・第二句及び第四句の末尾に押韻する。
変格として第一句に押韻しないことがある。これを「踏み落し」という。
第三句の末尾には韻字と逆の平仄の字を用いること、五言絶句の場合と同じ。
(3)絶句の構成
◎起句が平句(二字目が平声)の場合は、承句及び転句は仄句(二字目が仄
声)とし結句は平句とする。
◎起句が仄句の場合はその逆とする。
(4)平仄排列の規則
☆二四不同・二六対
一句の中の平仄の排列の原則で、句の二字目と四字目の平仄を違え、二字目
と六目の平仄を同じくすることをいう。絶句の基本規則。
☆下三連を忌む
各句の下の三字の平仄が同じになることを避ける。
即ち句の末尾を○○○(平三連)、●●●(仄三連)としてはならない。
☆七言句の四宇目、及び五言句の二宇目の孤平を忌む。
七言句の四宇目、五言句の二宇目が平声の場合、その上下の字のいずれかは
必ず平声にすること。即ち●●○●●◎や●○●●◎としては
ならない。
(5)五言絶句の平仄基本形
(2)、(3)項の規則に基づき、基本形は左の四形式となる。
◎平韻(平声で韻を踏む)の場合
五言絶句平韻・仄韻
七言絶句平韻・仄韻
律詩の構成と規則1
律詩の構成と規則2
五言律詩の平仄基本形
七言律詩の平仄基本形
七元絶句・七言律詩の平仄の例
(以下工事中略)
附、漢字韻目表
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