第13回講義 特別講義 「杜甫の詩を読みとく」 櫻庭愼吾先生 音声を聞くにはプラグインが必要です。 (ブラウザの設定にもよりますが音声を聞くには 「ブロックされているコンテンツを許可」し、 スタートボタンをクリックしてください。) |
「漢詩鑑賞会A 「杜甫」講義資料」 |
1)畫 鷹 引用文献 「中国詩人選・杜甫上」黒川洋一 1959刊 岩波書店 2)曲 江 二首 一 引用文献 「中国詩人選・杜甫上」黒川洋一 1959刊 岩波書店 3)秦州雑詩 二十首 録十首一 引用文献 「漢詩選九・杜甫」 目加田誠 1996年刊 集英社 4)秦州雑詩 二十首 録十首二 引用文献 「漢詩選九・杜甫」 目加田誠 1996年刊 集英社 5)秦州雑詩 二十首 録十首四 引用文献 「漢詩選九・杜甫」 目加田誠 1996年刊 集英社 6)月夜憶舎弟 引用文献 「漢詩選九・杜甫」 目加田 誠 1996年刊 集英社 7)夢李白 二首 一 引用文献 「漢詩選九・杜甫」 目加田 誠 1996年刊 集英社 8)江 亭 引用文献 「漢詩選九・杜甫」 目加田 誠 1996年刊 集英社 9)宗武生日 引用文献 「漢詩選九・杜甫」 目加田 誠 1996年刊 集英社 10)秋 野 五首 二 引用文献 「中国詩人選・杜甫上」黒川洋一 1959刊 岩波書店 |
「詩人杜甫の 足あと」 |
「杜甫ー詩と生涯」馮 至1952原著刊 橋川時雄訳1977刊筑摩書房より採取 |
「杜甫年譜」 |
「中国詩人選集・杜甫・下」黒川洋一 杜甫年譜1 712年 1歳 ~739年 28歳 杜甫年譜2 740年 29歳 ~755年 44歳 杜甫年譜3 756年 45歳 ~763年 52歳 杜甫年譜4 764年 53歳 ~739年 59歳 |
「漢詩と私(その2) 杜甫を懷ふ」 |
櫻庭愼吾先生北大同窓会誌寄稿文 |
曲 江 二首 その二 唐 杜 甫 漢詩鑑賞辞典 304頁 全唐詩 巻二百二十五 |
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詩の鑑賞 |
杜甫47歳、左拾遺として長安にあり、 房琯の無実を肅宗皇帝に上奏して貶せられ、周囲の人からも無視される ようになったころの作である。注目すべきは 穿花蛺蝶深深見,點水蜻蜓款款飛。 蝶々と蜻蛉を精密に観察していて、杜甫の動物に対するやさしさ、いとおしみがうかがえ、自然のなりたちにたいする洞察が みえるところである。それが次の 傳語風光共流轉,暫時相賞莫相違。 「風光(春景色)に傳語する(伝える)よ、共(一緒に)に流轉して(とびまわって)暫くのあいだも 相賞して(お互いに評価しあって)相違う(互いに裏切らない)ようにしようよ」につがる。 この詩は、朝廷の仲間からも裏切られひとりになった杜甫にとって、信頼できるものは自然であるという、 杜甫の「うめき」「呻吟」「悲鳴」である。 |
曲 江 二首 その一 唐 杜 甫 講義資料2) 全唐詩 巻二百二十五 |
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詩の鑑賞 |
この詩の大事なところは 細推物理須行樂, 「細やか(つぶさ)に物理(ものの理屈、道理)を推し(考え)て行楽(ennjoy)すべし」である。であるからして 何用浮名絆此身。 浮名(官職など)に縛られる必要があろうかと自問自答している。 杜甫の物理 (物が具有している道理、蝶々や蜻蛉のふるまう自然の摂理、互いに侵し合わないで生を全うしている道理) をみつめた詩である。 言いたいことを誘導するために直前に 江上小堂巣翡翠,苑邊高塚臥麒麟。 昔栄えたものが今はない、万物必滅の見方が伏線として示されている。杜甫の詩に往々用いられる手法である。 また、この詩は杜甫の詩の中でもっともデカダン(頽唐なげやり)な詩のひとつである。 |
曲江對酒 唐 杜 甫 唐詩選(中)284頁 全唐詩 巻二百二十五 |
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詩の鑑賞 |
曲江のほとりで酒を飲む詩。 縱飲久拚人共棄,懶朝真與世相違。 杜甫は自分だけが窓際に追いやられて世の人と違っているという思いにさいなまれている。そして 吏情更覺滄洲遠,老大悲傷未拂衣。 官吏勤めの自分の心境としては、滄洲(自分のあこがれる仙人の住んでいる自由な境地)に遠くなっていて、 老大(老年の自分)は、衣を拂わないで(官吏を辞職しないで)いまだに世事にこだわっていることだなあ。 と自分の生きざまを、これでいいのか、と考えて(傷んで)いる詩である。 |
石壕吏 唐 杜 甫 漢詩鑑賞辞典 308頁 全唐詩 巻二百十七 |
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詩の鑑賞 |
房琯を弁護した杜甫は華州 に左遷された。そのころ各地で見た人民の悲惨な状況を詠った三吏三別の詩の中の最も傑作とされる一詩である。 杜甫の気持ちが、皇帝に供奉することから人民の側に付く方向に変わったことを示している。 杜甫は自分の周囲の外物から、物事を抽出して詩にそなえている。すなわち、詩の中で物事に語ら(代弁)せている。詩の作者は起句と結句の後前2,3句 に現れるのみで、他の部分は、杜甫が客観的に見ている外物の情景描写である。この手法は「春望」においても同様である。 |
再 掲 春 望 唐 杜 甫 漢詩を楽しむ 17頁 漢詩鑑賞辞典295頁 全唐詩 巻二百二十四 |
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詩の鑑賞 |
国は破れたが山河はあり、草木、花、鳥、は自然の摂理に従って存在している。山河、草木、花、鳥、といった 外物を心象風景としてとらえ、自分の代弁者として語らせている。その後、家族のこと、自分のことを詠っている。 杜甫の作詩の手法がよく現れている。杜甫の一貫した態度である。 |
秦州雜詩二十首 録十首一 唐 杜 甫 資料3) 全唐詩 巻二百二十五 |
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詩の鑑賞 |
「石壕吏」を作った年、大飢饉となり長安に住むことが困難となったこともあり、また 政治・政争に対する絶望から官職を捨てる覚悟の固まったこともあって、家族を伴い長安を去り渭水を遡り、 渭源に到った。 隴山を越えれば砂漠地帯となる辺境の地の不気味な様子が読み込まれている。ここに心もくずれ折れて 暫く逗留することとなった。 |
秦州雜詩二十首 録十首二 唐 杜 甫 資料4) 全唐詩 巻二百二十五 |
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詩の鑑賞 |
秦州の名所旧跡の、 今は人もなく空しい有様を詠んでいる。対句がすばらしい。 月明垂葉露, 雲逐渡溪風。 「月明」「雲逐」のごとく、まず主語の状態をズバリ言い切った後で、補語の形で 「垂葉露」「渡溪風」と言う、杜甫の手法の見本である。杜甫は対句の名人である。 渭水は無情の極みである、なぜなら、杜甫は東(長安)に帰りたいのに西に向かわざるを得ない、 それなのにつれなくも渭水は東に向かうから。心象風景がよく読み込まれている。 |
秦州雜詩二十首 録十首四 唐 杜 甫 資料5) 全唐詩 巻二百二十五 |
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詩の鑑賞 |
吾道竟何之 道路と儒の道(自分の進べき道)を懸けている。 鼓角は「たいことつのぶえ」、川原は「中に川が流れている荒れ野」。 「寒蝉」、「獨鳥」は自分の心象を描き出すための杜甫自身の仮託である。 この後、杜甫は、成都に草庵を営んだ頃、「詩は、これ、我が家のこと」という、次男に与えた言葉に見るように、 自分の生きる道を自覚したのであろう、最も多くの詩を残している。 |
月夜憶舍弟 唐 杜 甫 資料6) 全唐詩 巻二百二十五 |
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詩の鑑賞 |
杜甫は4人兄弟で弟が3人あり、兄弟おもいであった。秦州の時代の作。 |
夢李白二首 唐 杜 甫 資料7) 全唐詩 巻二百一十八 |
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詩の鑑賞 |
杜甫は33歳(744年)のとき、洛陽 で李白(44歳)に会い、足掛け3年間共に過ごした。李白と杜甫のこの出会いは、文学史上、太陽と月の出会いと称される。 その後、安史の乱に際し、李白が永王璘に従ったために罪に問われた。 杜甫はその報に接して、心配のあまり3度、李白の夢を見た。杜甫は兄弟おもいであり、友情にもあつかった。 |
詩 吟 春 夜 宋 蘇 軾 |
江 亭 唐 杜 甫 資料8) 全唐詩 巻二百二十六 |
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詩の鑑賞 |
杜甫は秦州から、成都に移った。 成都は神奈川県同様蜜柑ができる暖かな地である。 この詩の眼目は「物自私」(ものみずからわたくしす。)にある。 自然(植物、動物を含め)はそれぞれ自分の生の営みを全うしている。 杜甫自身もその中の一物として自然の流れの中で時を過ごすことを願っているようだ。 「曲江」にくらべ「江亭」は自然に対して、より親密であり、自然に対して共感をもって接している。 杜甫の自然を見る見方が変わった。 秦州時代を含め、これまでの苦しみ、悲しみがかてとなり、心の成長があったことがこの詩に読み取れる。 |
茅屋為秋風所破歌 唐 杜 甫 漢詩鑑賞辞典 324頁 全唐詩 巻二百一十九 |
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詩の鑑賞 |
安得廣廈千萬間, 大庇天下寒士倶歡顏, 風雨不動安如山。 嗚呼何時眼前突兀見此屋, 吾廬獨破受凍死亦足。 自分のことだけではなく、他に目が及んでいて、杜甫の心境の変化が現れている。 現在の成都に、杜甫の夢見た廣廈が立ち並んでいるのを見ると、詩人の先見性に驚く。 |
春夜喜雨 唐 杜 甫 漢詩鑑賞辞典 321頁 全唐詩 巻二百一十六 |
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詩の鑑賞 |
「錦官城」は成都の別名である。錦を織って朝廷に納めていた。 當春乃發生 春は草木の「發生」の(萌えいづる)時節、秋は収穫の時節である。 頷聯は情景の観察が鋭く、よく春の特徴を詠い、 隨風潛入夜,潤物細無聲。 頸聯は「黒」と「明」を鮮やかに対比し、スローモーション画像を見るようである。 野徑雲倶黑,江船火獨明。 「暗」(こころの意識)ではなく、「黒」(ズバリくろ)であるところが力強く唐詩らしい。 心象風景を叙するのが詩であるとするなら、この時期、杜甫の心は落ち着いていたといえる。 |
旅夜書懷 唐 杜 甫 漢詩鑑賞辞典 336頁 全唐詩 巻二百二十九 |
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詩の鑑賞 |
杜甫は長安に帰るため、岷江を下り重慶(渝州)を経て 忠州に到った。忠州での作。 この詩の優れたところは頷聯である。 星垂平野闊,月湧大江流 人間の及ばぬ、ものの道理、天地の運行、陰陽の循環、自然の流れを、尊重し、信じて、 それにひたり、身をまかせる生きざまを理想とした杜甫の姿がみえる。 自然の大きさに対して自分の身のいかにも小さいこと、振り返れば自分が官吏として できたことがいかにも少なかったことを恥じる思いがこの詩を作らせたのであろう。 |
登 高 唐 杜 甫 漢詩鑑賞辞典 341頁 全唐詩 巻二百二十七 |
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詩の鑑賞 |
無邊落木蕭蕭下,不盡長江滾滾來。 「無邊」「不盡」という表現は永遠の持続に対する杜甫の確信の現れである。 杜甫の、天地の運行、自然のうごきに対する、安心信頼の表明である。 これを伏線にして、杜甫はつぎに自分自身を表白するのが常である。 杜甫は、常に客であり、多病であり、艱難であり、今は酒を停めている。これもみな自然の営みである。 永遠に持続する自然に対し敬意を表し、その自然に抱かれ、自然とともに生きることを願う自分を表現している。 杜甫の詩は年齢とともに変化している。 「曲江」;デカダン 「石壕吏」;社会性 「秦州」;苦労、寂しさ 「江亭」「春夜喜雨」;心の落ち着き 「登高」;自然の受容 しかし、杜甫の一生は、一貫して自分の生き方を「私」する一生であった。 |