第37回講義

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2017.07.27 録音

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王維作詩の背景



「王維年譜」



「唐王朝年表」

王維年譜1 699年 1歳 ~727年 29歳
王維年譜2 730年 32歳 ~747年 49歳
王維年譜3 750年 52歳 ~761年 63歳

唐王朝年表1 618年 高 祖 ~779年 代 宗
唐王朝年表2 779年 徳 宗 ~907年 哀 宗


中国文学地図

地名  長安  洛陽  永斎
川名・湖名  黄河


「人名・用語・書名」

人名  王維  高祖(李淵)  太宗(李世民)  高宗  則天武后  中宗  韋皇后  安楽公主  睿宗  李賢  玄宗皇帝(李隆基)  李隆范  李亀年  李廷年  漢武帝

用語  開元の治  貞観の治  科挙  公主  傾城傾国

書名  貞観政要  淮南子(えなんじ/わいなんし)

     
 

再掲


從岐王過楊氏別業應教   唐 王 維

全唐詩卷一百二十六


 從岐王過楊氏別業
  應教   王 維

楊子談經所,

淮王載酒過。

興闌啼鳥換,

坐久落花多。

徑轉回銀燭,

林開散玉珂。

嚴城時未啟,

前路擁笙歌。


 岐王きおうしたが楊氏ようし別業べつぎょうよぎ
  應教おうきょう   王 維おうい

楊子ようし けいだんずるところ

淮王わいおう さけせてぎる

興闌きょうたけなわにして 啼鳥ていちょうかわ

坐久ざひさしくして 落花多らくかおお

こみちてんじて 銀燭ぎんしょくめぐ

はやしひらいて 玉珂ぎょくかさん

嚴城げんじょう ときいまひらかず

前路ぜんろ 笙歌しょうかよう


字句解釈

岐王   李憲(賢)、玄宗皇帝の兄。

過   よぎる。単に通過するのではなく。訪問の意。

別業   別荘。

楊氏   楊氏は名門。隋王朝は楊氏。

應教   皇帝の需に応ずるのが應成、王の需に応ずるのが應教。教は「しむ」の意。

楊子   前漢の儒者。

淮王   劉 安。前漢、「淮南子」の著者。

玉珂   馬車の馬かざり。門で別れるときに鳴る。

嚴城   街の城門。

     

詩の鑑賞

王維は21歳で科挙に合格した。棋書画に通じ、琵琶の上手であり、故事典籍に通じ、 高位高官の人々との付き合いがあった。この詩は、王維の若く華やいだころのもので 王維にとっても思い出の一詩であろう。




 

再掲


江南逢李龜年  唐 杜 甫
漢詩鑑賞辞典345頁  全唐詩卷二百三十二


 江南逢李龜年  杜 甫

岐王宅裏尋常見,

崔九堂前幾度聞。

正是江南好風景,

落花時節又逢君。


 江南こうなんにて李龜年りきねんう   杜 甫と ほ

岐王きおう宅裏たくり 尋常じんじょう

崔九さいきゅう堂前どうぜん 幾度いくたび

まさこれ 江南こうなん好風景こうふうけい

落花らっか時節じせつ またきみ


字句解釈

李龜年  うたうたい。 李白の 「清平調詞」を玄宗皇帝の前で歌った。

岐 王   玄宗の兄。

崔 九   貴族。杜甫の母は崔氏。


詩の鑑賞

長安で華やかな宴で歌っていた李龜年に、お互い落ちぶれて、江南の地で偶然に逢った。
大暦5年(770)杜甫59歳、最晩年の作。杜甫は王維より12歳若い。




 

再掲


清平調詞三首其一  唐 李 白
漢詩を楽しむ71頁、漢詩鑑賞辞典213頁、唐詩選下34頁


 清平調詞三首其一  李白

雲想衣裳花想容

春風払檻露華濃

若非群玉山頭見

会向瑶台月下逢


 清平調詞三首其一せいへいちょうしさんしゅそのいち   李白りはく

くもには衣裳いしょうおもい はなにはようおも

春風しゅんぷう かんはらいて 露華ろかまやかなり

し 群玉山頭ぐんぎょくさんとうるにあらずんば

かならず 瑶台ようだい 月下げっかいてわん


字句解釈

清平調詞    清平は歌の調子。清調は高い調子。 想衣裳    想はおもう、連想する。楊貴妃の衣装を連想する。

容    かお。かんばせ。

檻    てすり。

濃    あでやかで美しい。 群玉山頭    崑崙山脈の中にある空想伝説の山。

瑶台    仙人の住む美しい宮殿。

     
 

再掲


清平調詞三首其二  唐 李 白
漢詩を楽しむ71頁


 清平調詞三首其二  李白

一枝濃艶露凝香

雲雨巫山枉断腸

借問漢宮誰得似

可憐飛燕倚新裳


 清平調詞三首其二せいへいちょうしさんしゅそのに   李白りはく

一枝いっし 濃艶のうえん つゆかおりをらす

雲雨うんう 巫山ふさん むなしく断腸だんちょう

借問しゃもんす 漢宮かんきゅう たれるを

可憐かれん飛燕ひえん 新裳しんしょう


字句解釈

雲雨巫山枉断腸    巫山の襄王はむなしく断腸の思いをした。

借問    おたずねしますが。 飛燕    趙 飛燕(ちょう ひえん、? - 紀元前1年)は前漢成帝の皇后。元名を宜主と称した。 正史である『漢書』での趙飛燕に関する記述は非常に簡単なものであるが、稗史においては美貌を以って記述されており、 優れた容姿を表現する環肥燕?の燕痩が示すのが趙飛燕である(環とは楊貴妃の事、幼名・玉環による)。

新裳    新しい衣裳、お化粧。

     
 

再掲


清平調詞三首其三  唐 李 白
漢詩を楽しむ72頁


 清平調詞三首其三  李白

名花傾国両相歓

長得君王帯笑看

解釈春風無限恨

沈香亭北倚闌干


 清平調詞三首其三せいへいちょうしさんしゅそのさん   李白りはく

名花めいか 傾国けいこく ふたつながらあいよろこ

ながく 君王くんおうの わらいをびてるをたり

春風しゅんぷう無限むげんうらみを解釈かいしゃくして

沈香ちんこう亭北ていほく 闌干らんかん


字句解釈

傾国    国を傾けるほどの美女。ここでは楊貴妃のこと。

     

詩の鑑賞

この詩は、李白が酔いのなかで、即興で作ったものであるが、李白の詩にしては、やや上っ調子で深みに乏しい。
李白43歳、道士とともに長安に上り玄宗皇帝にお目見えし、翰林供奉となる。 翌天宝4年、牡丹の花見が行われた。「松窓録」、「本事詩」などに記事がある。
また下記に詳細な説明がある。
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/cat_60288107.html







詩 吟  伊藤光子様

 春夜洛城聞笛  李 白
漢詩を楽しむ44頁 漢詩鑑賞辞典194頁


 春夜洛城聞笛   李白

誰家玉笛暗飛声

散入春風満洛城

此夜曲中聞折柳

何人不起故園情

 春夜しゅんや洛城らくじょうふえく   李白りはく

いえ玉笛ぎょくてきか あんこえばす

さんじて春風しゅんぷうって 洛城らくじょう

 曲中きょくちゅう 折柳せつりゅう

何人なんびとか こさざらん 故園こえんじょう



 

被出濟州     唐 王 維

王維100選   全唐詩 卷一百二十六


 被出濟州  王 維

微官易得罪,

謫去濟川陰。

執政方持法,

明君無此心。

閭閻河潤上,

井邑海雲深。

縱有歸來日,

多愁年鬢侵。

 濟州せいしゅうださる   王 維おうい

微官びかん つみやす

謫去たくきょす 濟川せいしゅういん

執政しっせい まさほう

明君めいくん こころ

閭閻りょえん 河潤かじゅんのぼ

井邑せいゆう 海雲かいうんふかからん

たと歸來きらいるも

多愁たしゅう 年鬢ねんぴんおかされん 


字句解釈

濟川   山東省濟川(せいしゅう)。

陰   川の南側。山は北側が陰。

微官   下級官僚。小職。下名。

謫去   左遷、謫落、謫遷、謫居。

執政   役人。

明君   玄宗皇帝。

閭閻   25軒を里とした、村の入り口と中の門。

河潤   川の湿気。

井邑   農村。井形の区画。邑 は、 古代中国の行政区画。4井が1邑で、4邑が1丘


詩の鑑賞

開元2年、王維22歳、この年ことに坐して濟川に左遷の身となる。
ただ、とばされてもすぐ帰ることを思っている。深刻感がない。



 

再掲


左遷至藍關示侄孫湘    唐 韓 愈
漢詩を楽しむ88頁 全唐詩卷三百四十四


 左遷至藍關示侄孫湘
           韓 愈

一封朝奏九重天,

夕貶潮州路八千。

欲為聖朝除弊事,

肯將衰朽惜殘年。

雲橫秦嶺家何在,

雪擁藍關馬不前。

知汝遠來應有意,

好收吾骨瘴江邊。


 左遷させんされて藍關らんかんいた侄孫てつそんしょうしめ
                    韓 愈かんゆ

一封いっぷう あしたそうす 九重きゅうちょうてん

ゆうべには潮州ちょうしゅうへんせらる 路八千みちはっせん

聖朝せいめいため弊事へいじのぞかんとほつ

あえ衰朽すいきゅうもつて 殘年ざんねんおしまんや

くも秦嶺しんれいよこたわり いえいずくにか

くも藍關らんかんようして うますすまず

る 汝遠なんじとおたる まさ意有いあるべし

し 吾骨わがほねおさめよ瘴江しょうこうほとり


字句解釈

韓愈   中唐の大詩人。李白、杜甫と韓愈、白居易はまるで生まれ変わりのような関係にある。
李白701ー762、杜甫712-770、韓愈768-824、白居易772-846。

侄孫   兄弟の孫。ここでは韓愈の兄の孫。

藍關   秦嶺山脈中の関所、藍田關

一封朝奏   憲宗の拝佛に対し、「論佛骨表」を奉り、 広東省と福建省の中間の潮州に左遷された。

路八千   八千里=500m*8000里=4000km、直線距離2000km。

聖朝   憲宗皇帝。

馬不前   乃木希典「金州城作」に用例あり。

瘴江   毒気の川。

詩の鑑賞

韓愈が819年潮州に左遷された時の詩。左遷の詩の代表的作品。
韓愈は儒教、白居易は仏教。白居易の詩より悲痛である。
翌年憲宗が毒殺され、韓愈は長安に呼び戻された。



 

再掲


初貶官過望秦嶺  唐 白居易
漢詩を楽しむ89頁 全唐詩卷四百三十八


 初貶官過望秦嶺
       白居易

草草辭家憂後事,

遲遲去國問前途。

望秦嶺上回頭立,

無限秋風吹白鬚。


 はじめかんおとされて望秦嶺ぼうしんれい
                 白居易はくきょい

草草そうそう いえし 後事こうじうれ

遲遲ちち くにり 前途ぜんと

望秦嶺上ぼうしんれいじょう こうべめぐらしててば

無限むげん秋風しゅうふう 白鬚はくしゅ


字句解釈

初貶官   官をやめさせられてすぐ。(最初の左遷の意ではない。)

望秦嶺   秦嶺山脈。秦(秦国)を望む山。

草草   あわてるさま。あわただしいさま。

後事   ①あとのこと。②死後のこと。ここは①。

遲遲   物事の進まないさま。気の進まぬさま。

白鬚   あごひげ。ひげには3種あり。鬚(しゅ):あごひげ、髭(し):くちひげ、髯(ぜん):ほほひげ。

 白居易肖像


詩の鑑賞

江州(九江)に左遷されたときの詩。あわただしい中にも、起句、承句は見事な対句となっている。 平仄まで逆になっている。踏み落とし。



 

齊州送祖三   唐 王 維

全唐詩卷一百二十五


 齊州送祖三   王 維
相逢方一笑,

相送還成泣。

祖帳已傷離,

荒城複愁入。

天寒遠山淨,

日暮長河急。

解纜君已遙,

望君猶佇立。


 齊州せいしゅう祖三とさんおく
       王 維おうい
おうて まさ一笑いっしょう

おくりて きゅう

祖帳そちょう すでわかれをいた

荒城こうじょう うれい

天寒てんさむくして 遠山えんざん;いよ

日暮ひくれて 長河ちょうかきゅうなり

ともづないて 君已きみすではるかにして

きみのぞみ 佇立ちょりつ


字句解釈

祖三   祖一族の三番目。三は排行

祖帳   道祖神のかたわらで、帳(まんまく)をはって別れの宴を催す。

長河   黄河か? 

     

詩の鑑賞

左遷後5年目に祖三が訪ねてくれた。 「相」、「君」、「已」は重字。




 

再掲


黄鶴樓送孟浩然之廣陵  唐 李 白

漢詩を楽しむ 38頁  全唐詩 巻一百七十四


 黄鶴樓送孟浩然之廣陵
            李白

故人西辭黄鶴樓

煙花三月下揚州

孤帆遠影碧山盡

唯見長江天際流


 黄鶴樓こうかくろうにて孟浩然もうこうねん廣陵こうりょうくをおく
             李白りはく

故人こじん 西にしのかた 黄鶴樓こうかくろう

煙花えんか 三月さんがつ 揚州ようしゅうくだ

孤帆こはん遠影えんえい 碧山へきざん

唯見ただみる 長江ちょうこう天際てんさいながるるを



 

王維作詩の背景

崇山隠棲



「王維年譜」


王維年譜1 699年 1歳 ~727年 29歳

五 嶽

泰 山 東岳
(1,545m)
華 山 西岳
(2,154mm)
恒 山 北岳
(2,017m)
嵩 山 中岳
(1,440m)
衡 山 南岳
(1,300m)


封禪
少林寺
菩提達磨


Last modified    First updated 2017/07/10