第21回講義

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2016.01.28 録音

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杜 甫 作詩の背景




「杜甫年譜」

杜甫年譜3 756年 45歳 ~763年 52歳
杜甫年譜4 764年 53歳 ~770年 59歳


「詩人杜甫の
足あと」


人名  秦始皇帝  玄宗皇帝  厳武  安禄山
地名  洛陽  長安  華州(華山、潼関)  秦州(隴山、天水)  同谷  四川省(成都)  剣閣
川名  黄河  渭水  長江  嘉陵江  岷江
用語  司功参軍  浣花草堂

     


 


参考 再掲


蜀 相  唐 杜 甫

漢詩を楽しむ 31頁  漢詩鑑賞辞典 314頁  全唐詩 巻二百二十六


 蜀 相  杜甫

丞相祠堂何處尋,

錦官城外柏森森。

映階碧草自春色,

隔葉黄鸝空好音。

三顧頻煩天下計,

兩朝開濟老臣心。

出師未捷身先死,

長使英雄涙滿襟。



 蜀 相しょくしょう  杜 甫とほ

丞相じょうしょう祠堂しどう いずれのところにかたずねん

錦官城外きんかんじょうがい柏森森はくしんしん

かいえいずる碧草へきそう おのずか春色しゅんしょく

へだ黄鸝こうり むなしく好音こういん

三顧さんこ 頻煩ひんぱん 天下てんかけい

兩朝りょうちょう 開濟かいさい 老臣ろうしんこころ

出師すいし いまたざるに 身先みま

とこしえ英雄えいゆうをして なみだえり滿たしむ


字句解釈

蜀相、丞相     天子を補佐する最高の大臣。 諸葛亮。 後漢末期から三国時代の蜀漢の政治家・軍人。字は孔明(こうめい)。 蜀漢の建国者である劉備の創業を助け、 その子の劉禅の丞相としてよく補佐した。伏龍、臥龍とも呼ばれる。 今も成都や南陽には諸葛亮を祀る武侯祠がある。  三国志  三国志演義  曹操  孫権  曹丕  司馬懿  周瑜  白帝城  文選  襄陽

祠堂     祠ほこら。武侯廟

錦官城     成都。絹糸、錦の産地。岷江の支流の錦江が流れている。

     「かしわ」ではなく「ひのき」の一種、冬も落葉しない。このてかしわ。

   黄鸝     朝鮮うぐいす。日本の鴬より大型。

三顧     三顧礼

天下計     天下三分計

開濟     ものごとを開き(創業)、護る(守成)。

出師     兵を出すこと。出師の表  岳飛  五丈原

     

詩の鑑賞

成都での5年間は杜甫の生活が最も安定していた。対句がよい。律詩の手本。




 


参考 再掲


江 村  唐 杜 甫

漢詩鑑賞辞典 318頁


 江 村  杜 甫

清江一曲抱村流,

長夏江村事事幽。

自去自來梁上燕,

相親相近水中鷗。

老妻畫紙為棋局,

稚子敲針作釣鉤。

多病所須唯藥物,

微軀此外更何求。


 江 村こうそん    杜 甫とほ

清江せいこう 一曲いっきょく むらいだいてなが

長夏ちょうか 江村こうそん 事事幽じじゆうなり

おのずからり おのずからきたる 梁上りょうじょうつばめ

相親あいしたしみ 相近あいちかづく 水中すいちゅうかもめ

老妻ろうさいは かみえがいて 棋局ききょくつく

稚子ちしは はりたたいて 釣鉤つりばりつく

多病たびょう ところは 藥物やくぶつ

微軀びく ほかに さらなにをかもとめん


字句解釈

清江     清らかな川。。

事事幽     事事、ことごとく、すべてのこと。幽、奥深くて物静か。

自去自來     思いのまま、来たり、去ったりする。

相親相近     相、互いにではなく、対象がある場合に使う添え字。

水中鷗     「列子」に故事あり。悪意のある者には鴎は近づかない。

棋局     碁盤。

釣鉤     つりばり。

所須     必要とするところ。須、すべからく、もちいる、まつ。

     

詩の鑑賞

穏やかな家庭内の描写が上手な対句を使ってなされている。




 


参考 再掲


客 至  唐 杜 甫

漢詩を楽しむ 111頁  漢詩鑑賞辞典 320頁  全唐詩 巻二百二十六


 客 至  杜 甫

舍南舍北皆春水,

但見群鷗日日來。

花徑不曾緣客掃,

蓬門今始為君開。

盤餐市遠無兼味,,

樽酒家貧只舊醅。

肯與鄰翁相對飲,

隔籬呼取盡餘杯。


 客 至かくいたる    杜 甫とほ

舍南しゃなん 舍北しゃほく 皆春水みなしゅんすい

但見ただみる 群鷗ぐんおうの 日日來ひびきたるを

花徑かけい かつかくよつはらわず

蓬門ほうもん 今始いまはじめて きみためひら

盤餐ばんそん 市遠いちとおくして 兼味けんみ

樽酒そんしゅ 家貧いえひんにして 舊醅きゅうばいあり

鄰翁りんおう相對あいたいしてむをがえんぜば

かきへだてて り 餘杯よはいつくさん


字句解釈

客至     全唐詩原注に、「喜崔明府相過」崔、明府のあい過るを喜ぶ、とある。崔は母崔氏の縁戚か?  明府は群、県の長官。中国は省・郡・県で県長は日本の町長、村長級。

舍南舍北     家の南方、北方。

蓬門     よもぎのもん。そまつな門。謙遜語。

盤餐     盤は、皿のこと、餐は、たべもの。

兼味     あじをかねる。いろいろなあじ。無兼味、いろいろはない、一品。

舊醅     ふるいどぶろく。

肯與鄰翁相對飲    読み2通り。 あえてりんおうとあいたいしてのまんや。 りんおうとあいたいしてのむをがえんぜば。意味は同じ。

     

詩の鑑賞

平仄、対句、完璧。律詩の手本。陶淵明の心境に近づいたか、穏やかな味わいがする。




 


参考 再掲


絶句二首 其一  唐 杜 甫

漢詩を楽しむ 51頁  漢詩鑑賞辞典 330頁  全唐詩 巻二百二十八


 絶句二首 其一  杜 甫

遲日江山麗,

春風花草香。

泥融飛燕子,

沙暖睡鴛鴦。


 絶句二首ぜっくにしゅ  いち   杜 甫とほ

遲日ちじつ 江山麗こうざんうるわしく

春風しゅんぷう 花草かそうかんば

泥融どろとけて 燕子飛えんしと

沙暖すなあたたかにして 鴛鴦睡えんおうねむ


字句解釈

遲日     春の日。

燕子     つばめ。子は子供ではなく、かわいいい燕の意。

鴛鴦     おしどり。鴛はおす、鴦はめす。

     

詩の鑑賞

杜甫に絶句は珍しい。 764年、53歳、浣花草堂 での作。長閑な春の情景。起承2句、転結2句、それぞれ、対句構成。杜甫の絶句は自然に対句をなす。 杜甫は自然に対句ができる、が、4句とも情景描写で起承転結に欠ける。




 


参考 再掲


絶句二首 其二  唐 杜 甫

漢詩を楽しむ 61頁  漢詩鑑賞辞典 331頁  全唐詩 巻二百二十八


 絶句二首 其二  杜 甫

江碧鳥逾白,

山青花欲燃。

今春看又過,

何日是歸年。


 絶句二首ぜっくにしゅ     杜 甫とほ

江碧こうみどりにして 鳥逾白とりいよいよしろ

山青やまあおくして 花燃はなもえんとほつ

今春こんしゅん 看又過みすみすまたす

いずれのか 是歸年これきねんならん


字句解釈

     みどり、青のこと。碧玉、サファイア。翆、みどり。翡翠。

     いよいよ。兪、愈、逾、弥(彌)、いずれも、いよいよ。愈は景色など、弥栄(いやさか)国字など、 使い方いろいろ。

     「みすみす」すぎてゆく。見ているだけでどうしようもない。「まのあたりに」すぎてゆく、もある。

     

詩の鑑賞

故郷に帰りたい思いがある。起承転結見事。この翌年、厳武が死亡し、杜甫は長江を下ることになる。




 


参考 再掲


絶 句  唐 杜 甫

漢詩鑑賞辞典 332頁  全唐詩 巻二百二十八


 絶 句  杜 甫

兩個黄鸝鳴翠柳,

一行白鷺上青天。

窗含西嶺千秋雪,

門泊東呉萬里船。


 絶 句ぜっく   杜 甫とほ

兩個りょうこの 黄鸝こうり 翠柳すいりゅう

一行いっこうの 白鷺はくろ 青天せいてんのぼ

まどにはふくむ 西嶺せいれい 千秋せんしゅうゆき

かどにははくす 東呉とうご 萬里ばんりふね


字句解釈

黄鸝     うぐいす。

     「窓」の本字。

     門前。

西嶺     西方の山なみ。

千秋雪     万年雪。

東呉     当方の呉のくに。

     

詩の鑑賞

兩個・一行、黄鸝・白鷺、鳴翠柳・上青天、窗含・門泊、西嶺・東呉、千秋雪・萬里船、 それぞれ対語であり、句もまたそれぞれ対句をなす。見事である。長江を下る船を描写して望郷の思いを詠う。




 


杜 甫 作詩の背景




「杜甫年譜」

杜甫年譜3 756年 45歳 ~763年 52歳
杜甫年譜4 764年 53歳 ~770年 59歳


「詩人杜甫の
足あと」


人名  秦始皇帝  玄宗皇帝  厳武  安禄山
地名  洛陽  長安  華州(華山、潼関)  秦州(隴山、天水)  同谷  四川省(成都)  剣閣
川名  黄河  渭水  長江  嘉陵江  岷江
用語  司功参軍  浣花草堂

     


 


旅夜書懷  唐 杜 甫

漢詩鑑賞辞典 336頁  全唐詩 巻二百二十九


 旅夜書懷  杜 甫

細草微風岸,

危檣獨夜舟。

星垂平野闊,

月湧大江流。

名豈文章著,

官將老病休。

飄飄何所似,

天地一沙鷗。


 旅夜書懷りょやしょかい   杜 甫とほ

細草さいそう 微風びふうきし

危檣きしょう 獨夜どくやふね

星垂ほしたれて 平野闊へいやひろ

月湧つきわいて 大江流たいこうなが

に 文章ぶんしょうにてあらわれんや

かんまさに 老病ろうびょうにてむべし

飄飄ひょうひょう なにたるところ

天地てんちの 一沙鷗いちさおう


字句解釈

旅夜     たびのよる。

書懷     おもいを書き記す。

細草     こまやかな草。はっぱが細い草。

危檣     「危」は高い。高いほばしら。

獨夜     ①ひとりでさびしくいる夜。②ひとり眠れずにいる夜。

文章     文学。杜甫の場合は詩のこと。

     まさにーーーすべし。再読文字。①推量 であろう。②指定 --に違いない。

     やむ。やめる。 中国語では完全にやめる意、日本語では一時てきにやめる。例 休職。

飄飄     さまようさま、風に吹かれてひるがえるさま、風がふくさま。漂泊の感じ。 「飄」「翻」はともに、ひるがえる、だが、「翻」は元気がある。例 旗が翻る。

沙鷗     砂場、水辺であそんでいるかもめ。



     

詩の鑑賞

「細草微風岸」と「危檣獨夜舟」、および、「星垂平野闊」と「月湧大江流」は、それぞれ、見事な対句である。 また、この主聯と頷聯の対比も見事である。詩の前半は情景描写、後半は心情描写。
官將老病休の解釈 ①官吏としてのつとめはやめるのが当然である。 石川忠久先生 ②官職はやめねばならなくなった。 黒川洋一先生
「天地一沙鷗」天地の間を彷徨う鴎のようにあわれなものだ。心細い哀れな感じがよく出ている。 李白「峨眉山月歌」との対比がおもしろい。 この後、杜甫は長江を下り「夔州」に到る。






参考 再掲


峨眉山月歌 唐 李白

漢詩を楽しむ30頁、漢詩鑑賞辞典187頁、岩波唐詩選下39頁




 峨眉山月歌  李白

峨眉山月半輪秋

影入平羌江水流

夜発清溪向三峡

思君不見下渝州


 峨眉山月がびさんげつうた   李白りはく

峨眉山月がびさんげつ 半輪はんりんあき

かげは 平羌江水へいきょうこうすいってなが

よる 清溪せいけいはっして三峡さんきょうかう

きみおもえどもえず 渝州ゆしゅうくだ


字句解釈

峨眉山    成都南西の山、高さ3099m。普賢菩薩を祀る一大仏教聖地。北方から見ると眉のように見えるという。 峨眉山写真 峨、蛾、娥、いずれも美人の眉に用いられれる。

半輪     半月。15日が満月で半月は7,8日の月。

影      川に射す月の光。

平羌江水    成都南部の川。別名青衣江。峨眉山の北を流れ、大渡河に注ぐ。大渡河は岷江びんこう(長江)に合流する。

清溪    宿場の名。大渡河と岷江の合流点から下流へ少し下がったところにある。

三峡    峡谷の名。瞿塘くとう峡、峡、西陵峡。 三峡写真

君     月のこと。峡谷であるために直接には月は見えない。或は友人、知人、思い人。

渝州    現在の重慶。隋の時代に渝州と名付けられた。

     

詩の鑑賞

李白は5歳のころから清蓮郷に育ち、若年にして成都において已に司馬相如に比す天才を認められた。 幼いころから多くの詩をつくったであろうが、今残っているいる詩の中でこの詩が最も若年のころの作である。
開元12年(724)、24歳の秋いよいよ成都を離れ波乱の人生行路を歩み始めることとなった。この詩はその時の作で、 大いなる希望と一抹の不安が漂う青年期の代表作であり、また、李白一生の中でも最も優れた傑作中の傑作 とされている。
詩の中に多くの固有名詞、峨眉山、平羌江、清溪、三峡、渝州、が上手に読み込まれている。峨、眉、平、羌、清、渝など 詩の内容にふさわしい文字が使われている。




 


詩 吟  三上光敏様

絶句二首 其二  唐 杜 甫

漢詩を楽しむ 61頁  漢詩鑑賞辞典 331頁  全唐詩 巻二百二十八


 絶句二首 其二  杜 甫

江碧鳥逾白,

山青花欲燃。

今春看又過,

何日是歸年。


 絶句二首ぜっくにしゅ     杜 甫とほ

江碧こうみどりにして 鳥逾白とりいよいよしろ

山青やまあおくして 花燃はなもえんとほつ

今春こんしゅん 看又過みすみすまたす

いずれのか 是歸年これきねんならん


字句解釈

     みどり、青のこと。碧玉、サファイア。翆、みどり。翡翠。

     いよいよ。兪、愈、逾、弥(彌)、いずれも、いよいよ。愈は景色など、弥栄(いやさか)国字など、 使い方いろいろ。

     「みすみす」すぎてゆく。見ているだけでどうしようもない。「まのあたりに」すぎてゆく、もある。

     

詩の鑑賞

故郷に帰りたい思いがある。この翌年、厳武が死亡し、杜甫は長江を下ることになる。






詩 吟  三上光敏様

春夜洛城聞笛  唐 李 白

漢詩を楽しむ44頁 漢詩鑑賞辞典194頁




 春夜洛城聞笛   李白

誰家玉笛暗飛声

散入春風満洛城

此夜曲中聞折柳

何人不起故園情


 春夜しゅんや洛城らくじょうふえく   李白りはく

いえ玉笛ぎょくてきか あんこえばす

さんじて春風しゅんぷうって 洛城らくじょう

 曲中きょくちゅう 折柳せつりゅう

何人なんびとか こさざらん 故園こえんじょう


字句解釈

洛城    洛陽の町。長安は西京で政治の都、洛陽は東京で文化の都。 函谷関の外、洛水の北にある。(参考)山は南が陽、北が陰。川は北が陽、南が陰。洛陽には文化人が多く、 好い文を作ると紙の値が上がる。「洛陽の紙価高し。」という。 西晋では杜預が『春秋』経文と『左伝』とを一つにして注釈を施した 『春秋経伝集解』を作り、以後、春秋学のスタンダードとなり紙価が上がった。

玉笛    美しい笛。玉で作った笛。あるいは美しい笛の音。

暗    暗い。どこからともなく。暗香はどこからともなくやってくる香り。

折柳    折柳の曲。 別れの時に歌う曲。柳を輪にして帰還を願った。柳は垂れた柳。楊は猫やなぎ  上に立ったやなぎ。

故園情    故郷を思う心。

何人不起故園情     漢文の読みとしては「何人か故園の情を起さざらん。」と読む。

     

詩の鑑賞

李白は25歳で成都を離れ揚子江を下ったが、その後、 安陸で結婚した。34,5歳のころ妻子を残して単身、山東、山西を遍歴し、 「客中行」などの望郷の詩を詠んだが、ついに洛陽に到った。この詩は洛陽での作。 「静夜思」、「客中行」と並んで、李白の望郷の3名詩のうちの一つである。
「漢詩鑑賞辞典」にもあるように、「誰」は「暗」に応じ、「飛」と「散」は春風を呼び起こし、「春風」は「春夜」に応じて、 「柳」を呼び起こし、「折柳」は「故園情」、「満」は「何人不起」に応ずる。用字法が巧みである。




 


杜 甫 作詩の背景




「詩人杜甫の
足あと」


人名   懐王
地名   春秋戦国時代地図   夔州   三峡   白帝城
山名   大巴山   巫 山
川名   長江   嘉陵江   岷江
用語   巫山の雲雨
書名   文 選

     


 


参考 再掲


清平調詞三首其二  唐 李 白
漢詩を楽しむ71頁


 清平調詞三首其二  李白

一枝濃艶露凝香

雲雨巫山枉断腸

借問漢宮誰得似

可憐飛燕倚新裳


 清平調詞三首其二せいへいちょうしさんしゅそのに   李白りはく

一枝いっし 濃艶のうえん つゆかおりをらす

雲雨うんう 巫山ふさん むなしく断腸だんちょう

借問しゃもんす 漢宮かんきゅう たれるを

可憐かれん飛燕ひえん 新裳しんしょう


字句解釈

雲雨巫山枉断腸    巫山の襄王はむなしく断腸の思いをした。

借問    おたずねしますが。 飛燕    趙 飛燕(ちょう ひえん、? - 紀元前1年)は前漢成帝の皇后。元名を宜主と称した。 正史である『漢書』での趙飛燕に関する記述は非常に簡単なものであるが、稗史においては美貌を以って記述されており、 優れた容姿を表現する環肥燕?の燕痩が示すのが趙飛燕である(環とは楊貴妃の事、幼名・玉環による)。

新裳    新しい衣裳、お化粧。

     


 


参考 


夜雨寄北  唐 李商隱
漢詩を楽しむ20頁  漢詩鑑賞辞典566頁  全唐詩卷五百三十九


 夜雨寄北  李商隱

君問歸期未有期

巴山夜雨漲秋池

何當共剪西窗燭

卻話巴山夜雨時


 夜雨やう きたす   李商隱りしょういん

きみ 歸期ききえども いまらず

巴山はざん夜雨やう 秋池しゅうちみなぎる

いつか まさともるを

可憐かれん飛燕ひえん 新裳しんしょう


字句解釈

雲雨巫山枉断腸    巫山の襄王はむなしく断腸の思いをした。

借問    おたずねしますが。 飛燕    趙 飛燕(ちょう ひえん、? - 紀元前1年)は前漢成帝の皇后。元名を宜主と称した。 正史である『漢書』での趙飛燕に関する記述は非常に簡単なものであるが、稗史においては美貌を以って記述されており、 優れた容姿を表現する環肥燕?の燕痩が示すのが趙飛燕である(環とは楊貴妃の事、幼名・玉環による)。

新裳    新しい衣裳、お化粧。

     


 


秋興八首  唐 杜 甫
漢詩鑑賞辞典337頁  全唐詩卷二百三十


 秋興八首  杜 甫

玉露凋傷楓樹林,

巫山巫峽氣蕭森。

江間波浪兼天湧,

塞上風雲接地陰。

叢菊兩開他日涙,

孤舟一系故園心。

寒衣處處催刀尺,

白帝城高急暮砧。


 秋興八首しゅうきょうはっしゅ   杜 甫と ほ

玉露ぎょくろ 凋傷ちょうしょうす 楓樹林ふうじゅりん

巫山ふざん 巫峽ふきょう 氣蕭森きしょうしん

江間こうかん波浪はろう てんかね

塞上さいじょう風雲ふううん せつしてくも

叢菊そうぎく ふたたびひら他日たじつなみだ

孤舟こしゅう ひとえつな故園こえんこころ

寒衣かんい 處處しょしょ 刀尺とうせきもよお

白帝城はくていじょうたかくして 暮砧ぼちんきゅうなり


字句解釈

玉露    珠のように美しい露。

凋傷    しぼむ。しぼませる。

楓樹林    「楓」まんさく科ふう属。大木となり、秋にこうようする。

 日本の「楓」かえで。「槭樹」。かえで科かえで属はべつ。(参考)杜 牧「山行」

氣蕭森    「気」は気配。「蕭森」静かで物寂しいさま。

兼天    「兼」は一緒になる意。天にとどく。

塞上    とりでのうえ。

叢菊    群生した菊。

兩開    2年開いた。二度見た。

他日涙    過去を思って流す涙。石川忠久。過去にこぼした涙。黒川洋一。

一系    ひたすらつなぐ。石川忠久。つないだままになっている。黒川洋一。

刀尺    刀と物差し。鋏と物差し。裁縫。秋になったので衣類を繕う。

砧    きぬた。石の台。衣類をついて柔らかくする。(参考)李 白「子夜呉歌」

     

詩の鑑賞

厳武の死により、776年杜甫は長江を下り、夔州に至り2年間滞在した。この夔州時代、2年で 400首の詩を創り、杜甫の詩は最高潮に達した。




 
参考 


山行  唐 杜 牧
漢詩を楽しむ53頁 漢詩鑑賞辞典547頁  全唐詩卷五百二十四


 山行  唐 杜 牧

遠上寒山石徑斜,

白雲生處有人家。

停車坐愛楓林晩,

霜葉紅於二月花。


 山行さんこう   杜 牧とぼく

とお寒山かんざんのぼれば 石徑せきけいななめなり

白雲はくうん しょうずるところ 人家じんか

くるまとどめ そぞろあいす 楓林ふうりんくれ

霜葉そうようは 二月にがつはなよりもくれないなり


字句解釈

紅於    こうお。--よりもくれない。この詩により以降、「紅於」はもみじ「紅葉」の異名となった。

     


 
参考 再掲


子夜呉歌  唐 李 白

漢詩を楽しむ22頁


 子夜呉歌  李白

長安一片月

万戸擣衣声

秋風吹不尽

総是玉関情

何日平胡虜

良人罷遠征


 子夜呉歌しやごか   李白りはく

長安ちょうあん 一片いっぺんつき

万戸ばんこ 擣衣とういこえ

秋風しゅうふう いてきず

すべこれ 玉関ぎょくかんじょう

いずれの 胡虜こりょたいらげて

良人りょうじん 遠征えんせいめん


字句解釈

子夜呉歌    子夜は女性の名。東晋のころの歌の上手。子夜の呉の歌のこと。

一片月    ひとつの月。片割れ月ではない。

擣衣    衣をつく。冬になると綿を洗濯して作り直す。綿をついて柔らかくする。砧(きぬた)ともいう。秋の風物詩。 出征した夫のためについている。

玉関情    玉門関。玉門関に出征している夫にたいする思い。

胡虜    えびす。こいつら。

良人    夫。

     


 


返照  唐 杜 甫
漢詩を楽しむ33頁  全唐詩卷二百三十


 返 照  杜 甫

楚王宮北正黄昏,

白帝城西過雨痕。

返照入江翻石壁,

歸雲擁樹失山村。

衰年肺病唯高枕,

絶塞愁時早閉門。

不可久留豺虎亂,

南方實有未招魂。


 返 照へんしょう   杜 甫と ほ

楚王そおう 宮北きゅうほく まさ黄昏こうこん

白帝はくてい 城西じょうせい 過雨かうこん

返照へんしょう こういって 石壁せきへきひるがえ

歸雲きうん じゅようして 山村さんそんうしな

衰年すいねん はいみ ただまくらたかくし

絶塞ぜっさい ときうれえて はやもん

ひさし豺虎さいこらんとどまからず

南方なんぽう じついまだまねかれざるこんあり


字句解釈

楚王    懐王。

過雨    とおりあめ。

返照    2ヶの山の山影の上の日に当たった部分。

絶塞    都から遠く離れたとりで。

愁時    ①秋のこと。②時世をうれう。

豺虎    山犬と虎。悪いやつ。

南方    都にたいする南。

未招魂    呼びかえされていない魂。屈原の故事あり。帰りたいと思うが帰れない自分(杜甫)がここにいる。

     

詩の鑑賞

杜甫の、故郷に帰りたいのに帰れない、悲痛な叫びである。杜甫の詩の特徴であるが、前半(第1句~第4句)で情景を詠い、 後半で心情を詠っている。




 


登 高  唐 杜 甫
漢詩鑑賞辞典341頁  全唐詩卷二百二十七


 登 高  杜 甫

風急天高猿嘯哀,

渚清沙白鳥飛回。

無邊落木蕭蕭下,

不盡長江袞袞來。

萬里悲秋常作客,

百年多病獨登臺。

艱難苦恨繁霜鬢,

潦倒新停濁酒杯。


 登 高とうこう   杜 甫と ほ

風急かぜきゅうに 天高てんたかくして 猿嘯哀えんしょうかな

渚清なぎさきよく 沙白すなしろくして 鳥飛とりとめぐ

無邊むへんの 落木らくぼく 蕭蕭しょうしょうもと

きず 長江ちょうこう 袞袞來あいあいきたる

萬里ばんりの 悲秋ひしゅう つねかく

百年ひゃくねん 多病たびょう ひとだいのぼ

艱難かんなん はなはうらむ 繁霜はんそうひん

潦倒りょうとう あらたとどむ 濁酒だくしゅはい


詩の鑑賞

古今の七言絶句の最高傑作と言われる杜甫の名詩である。ーー次回。




 


解悶十二首  唐 杜 甫
全唐詩卷二百三十


 解 悶  杜 甫

複憶襄陽孟浩然,

清詩句句盡堪傳。

即今耆舊無新語,

漫釣槎頭縮頸鯿。

?

 解 悶かいもんとうこう   杜 甫と ほ

おもう 襄陽じょうよう孟浩然もうこうねん

清詩せいし 句句くく ことごとつたうるにたえたり

即今そくこん 耆舊ろうもう 新語しんご


字句解釈

襄陽孟浩然    襄陽は孟浩然の生没の地であり、杜甫の先祖の出身地である。

即今    きょうこのごろ。

耆舊    としより。 参考「耆舊伝」

無新語    新しい言葉がない、良い詩がない。

槎頭    いかだ。いけす。

縮頸鯿    首のちじまった鯿(鮒に似た魚)。

     

詩の鑑賞

昔、会った孟浩然を懐かしんで詠んだ。杜甫にとっては手慰みの一首であろう。 杜甫は「耆舊伝」を読んでいて、襄陽出身の杜甫の祖先の記事も見たことであろう。




 


解悶十二首  唐 杜 甫
全唐詩卷二百三十


 解悶 其二  杜 甫

商胡離別下揚州,

憶上西陵故驛樓。

為問淮南米貴賤,

老夫乘興欲東流。


 解悶かいもんとうこう    杜 甫と ほ

商胡しょうこ 離別りべつして 揚州ようしゅうくだる

おもう 西陵せいりょう故驛こえきのくろうのぼりしを

ためう 淮南わいなん こめ貴賤きせん

老夫ろうふ きょうじょうじて 東流とうりゅうせんとほつ


字句解釈

商胡    えびすの商人。

離別    別れのあいさつにきて去った。

揚州    江南第一の大都会。杜甫も曾てここに遊んだ。

西陵    江南、越国にある。

為問    自分のために聞くのだが。

淮南    淮河の南。

米貴賤    米価の高低。

老夫     自分のこと。

     

詩の鑑賞

杜甫は律詩が主であるが、暇なときにできた七言絶句12首をまとめて「解悶」とした。




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Last modified    First updated 2015/12/10