第23回講義

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2016.03.24 録音

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白居易 作詩の背景




「白楽天年譜」

白楽天年譜1 772年 1歳 ~800年 29歳
白楽天年譜2 801年 30歳 ~815年 44歳
白楽天年譜3 816年 45歳 ~826年 55歳
白楽天年譜4 827年 56歳 ~839年 68歳
白楽天年譜5 842年 71歳 ~846年 75歳


「白居易関係事項」

人名  孟浩然  李白  杜甫  王維  王昌齢  永王 璘  韓愈  元稹  劉禹錫  武元衡  清少納言
地名  洛陽(鞏県きょうけん)  長安  九江  四川省(成都)  蘇州
山名  蘆山
川名・湖名  長江  洞庭湖  鄱陽湖  西湖
用語  安史の乱  県南節度使  科挙  司馬  刺史
書名  和漢朗詠集  枕草子  白氏文集

     

 


香爐峰下新卜山居草堂初成偶題東壁   唐 白居易
漢詩を楽しむ18頁 漢詩鑑賞辞典499頁  全唐詩卷四百三十九


 香爐峰下新卜山居
 草堂初成偶題東壁  白居易

日高睡足猶慵起,

小閣重衾不怕寒。

遺愛寺鐘欹枕聽,

香爐峰雪撥簾看。

匡廬便是逃名地,

司馬仍為送老官。

心泰身寧是歸處,

故郷何獨在長安。


 香爐峰下こうろほうかあらた山居さんきょぼく
 草堂そうどうはじめてたまたま東壁とうへきだいす   白居易はくきょい

日高ひたかねむれるもくるにものう

小閣しょうかくきんかさねてさむさをおそれず

遺愛寺いあいじかねまくらそばだてて

香爐峰こうろほうゆきすだれかかげて

匡廬きょうろ便すなわのがるるの

司馬しばろうおくるの官為かんた

心泰こころやす身寧みやすきは するところ

故郷こきょうなんひと長安ちょうあんのみにらんや


字句解釈

香爐峰     廬山にある香爐の形をした山。独立峰ではなく連山。 廬山の廬はいおり。廬山には李白も一時いたことがある。

卜山居    卜はうらなう。卜居は家を建てること。

草堂     草ぶきの粗末な家、自分の家。

題     書きつける。

初成     初めてできたのではなく、できたばかりの意。

猶慵起     起きるのが面倒だ。

小閣     二階建ての小さな家。閣は2階建。

重衾     衾(しとね)はどてら、か。

香爐峰雪撥簾看     清少納言 枕草子 第二百九十九段 
「雪のいと高う降りたるを例ならず御格子まゐりて、炭びつに火おこして、物語などして集まりさぶらうに、 「少納言よ、香炉峰の雪いかならむ。」と仰せらるれば、御格子上げさせて、御簾を高く上げたれば、 笑はせたまふ。人々も「さることは知り、歌などにさへ歌へど、思ひこそよらざりつれ。 なほ、この官の人にはさべきなめり。」と言ふ。」

欹枕     枕をちょっと立てる。

匡廬     廬山のこと。

逃名     名声など俗世間のことから逃れた。

司馬     長官は刺史、司馬はその補佐。本来は馬を司る官だが実際は左遷された人の閑職。

歸處     落ち着くところ。

     

詩の鑑賞

中唐の大詩人、白居易(号は白楽天)の詩の中で日本人に最もよく知られた詩である。
44歳の時に長安の宮廷の派閥闘争に敗れて左遷の身となり、司馬となって蘆山に居をなした時の詩であり 不遇の身の屈折した感情が読み取れる。
心中に憤懣が渦巻いているがそれを表に出さず、閑職の朝寝を幸いとして落ち着くところは長安のみではなかろうと嘯いている。
悪く言えば負け惜しみ、よく言えば精神の強さがあり、孟浩然、杜甫とはまた違った趣がある。



 

関連詩


不出門   菅原道真
漢詩を楽しむ119頁


 不出門   菅原道真

一從謫落在柴荊

萬死兢兢跼蹐情

都府樓纔看瓦色

觀音寺只聽鐘聲

中懷好逐孤雲去

外物相逢滿月迎

此地雖身無檢繋

何爲寸歩出門行


 もんいでず   菅原道真すがわらみちざね

ひとたび謫落たくらくして柴荊さいけいりてより

萬死ばんし兢兢きょうきょうたり 跼蹐きょくせきじょう

都府樓とふろうわずかに瓦 色がしょく

觀音寺かんのんじ鐘聲しょうせいくのみ

中懷ちゅうかい孤雲こうんいて

外物がいぶつ滿月まんげつ相逢あいおうてむか

 檢繋けんけいしといえども

何爲なんすれ寸 歩すんぽもんでてかん


字句解釈

謫落    左遷されて。

柴荊    いばらの家、粗末な家。

兢兢    恐れ慎むさま。

跼蹐    背を曲げてうずくまる。杞憂の故事あり。

都府樓纔看瓦色ーー     この対句は白居易(80年前)の詩からの影響あり。

     

詩の鑑賞

菅原道真が大宰府に左遷され謹慎しているときの詩。白居易の影響大。



 

関連詩



聞樂天授江州司馬  唐 元 稹
漢詩を楽しむ81頁  全唐詩卷四百一十五


 聞白樂天左降江州司馬  元 稹

殘燈無焔影幢幢,

此夕聞君謫九江。

垂死病中驚起坐,

暗風吹面入寒窗。


 白樂天はくらくてん江州司馬こうしゅうしば左降さこうさるるをく   元 稹げんしん

殘燈ざんとう 焔無ほのおなく かげ幢幢とうとうたり

夕聞ゆうべきく きみ九江きゅうこうたくせらるるを

垂死すいし病中びょうちゅう おどろいて起坐きざすれば

暗風あんぷう めんいて 寒窗かんそう


字句解釈

殘燈    朝方の火の小さくなった燈火。

幢幢    ゆらゆら。

謫    左遷。

垂死    死にかけ。
     

詩の鑑賞

白居易の左遷を、自身、左遷の身であった親友、元稹が聞いて、白居易に贈った詩。一読、楽天曰く、
「此句他人尚不可聞況僕心哉至今毎吟猶惻惻耳」
此の句、他人なお聞くべからず、況や僕の心おや。今に至るも吟ずるごとに、猶、惻惻たるのみ。



 


江南送北客,因憑寄徐州兄弟書  唐 白居易
全唐詩卷四百三十六


 江南送北客,因憑寄徐州兄弟書
      時年十五  白居易

故園望斷欲何如,

楚水呉山萬里餘。

今日因君訪兄弟,

數行郷涙一封書。


 江南こうなんにて北客ほくかくおくってたのんで
 徐州じょしゅう兄弟けいていしょす     ときとし十五   白居易はくきょい

故園こえん 望斷ぼうだんして 何如いかんせんとほっす

楚水そすい 呉山ござん 萬里ばんり

今日こんにち きみって兄弟けいてい

數行すうこう郷涙きょうるい 一封いっぷうしょ


字句解釈

因憑寄    因:理由  憑:たのむ、よりかかる 寄:おくる。

故園    ふるさと。

望斷    ひたすらに望む。じっとみる。斷:助辞、強調 例:吹断 かぜがつよい。

欲何如    どうしようというのか、どうすることもできない。

郷涙    故郷を思って流す涙。

     

詩の鑑賞

白居易十五歳の詩。父、兄弟は徐州、自分は江州にあって、遥かに故郷を憶う。




関連詩



送李侍郎赴常州  唐 賈 至

漢詩を楽しむ90頁  全唐詩卷二百三十五


 送李侍郎赴常州  賈 至

雪晴雲散北風寒,

楚水呉山道路難。

今日送君須盡醉,

明朝相憶路漫漫。


 李侍郎りじろう常州じょうしゅうおもむくをおくる   賈 至かし

雪晴ゆきはれ 雲散くもさんじて 北風ほくふうさむ

楚水そすい 呉山ござん 道路どうろかた

今日こんにち きみおくる すべからよいつくすべし

明朝みょうちょう 相憶あいおもえども みち漫漫まんまん


字句解釈

常州  蘇州と陽州の中間。

漫漫  遥かに遠い。


詩の鑑賞

楚水呉山調子よし。



 


賦得古原草送別  唐 白居易
漢詩鑑賞辞典 頁  全唐詩卷四百三十六


 賦得古原草送別  白居易

離離原上草,

一歳一枯榮。

野火燒不盡,

春風吹又生。

遠芳侵古道,

晴翠接荒城。

又送王孫去,

萋萋滿別情。


 古原こげんくさたり 送別そうべつ  白居易はくきょい

離離りり 原上げんじょうくさ

一歳いっさいに ひとたび枯榮こえい

野火やか けどもつき

春風しゅんぷう いてしょう

遠芳えんぽう 古道こどうおか

晴翠せいすい 荒城こじょうっす

王孫おうそんるをおくれば

萋萋せいせいとして 別情べつじょう滿


字句解釈

離離   草木の繁茂するさま。

遠芳   遠くまで芳しい草が続いている。

侵古道   古い道にかぶさる。

晴翠   晴れた日の緑の草。

王孫   皇帝、諸侯の子供。

萋萋   草木の盛んに茂るさま。

別情   別れの悲しみ。


詩の鑑賞

五言律詩。白居易十六歳の作。これをみて 顧況は絶賛し、出世作となった。
その後、「居易」(やすきにいる)「楽天」(てんをたのしむ)の名の如き一生を送ることになった。
中庸「君子居易以俟命。小人行險以徼幸。」(君子は易きに居て以て命を俟ち、小人は險を行いて以て幸を徼す。)
易経「楽天知命故不憂」(天を楽しみ命を知る。故に憂えず。)

この詩の解釈
①別れてもまた会える日もあるだろうという希望を託している。
②落ちぶれて去る人にまた芽が出ることもあるよと励ましている。
③この去ってゆく人には以後決して会うことはないであろうという悲しみを詠っている。
(草木は枯れてもまた生えるがそうではなくて(別情べつのかなしみ)「王孫不歸」のごとく決して再会できない別れである。)
さてどれが正解でしょう?





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Last modified    First updated 2015/12/10