第34回講義

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2017.04.27 録音

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白居易 作詩の背景




「白楽天年譜」




「唐王朝年表」

白楽天年譜1 772年 1歳 ~800年 29歳
白楽天年譜2 801年 30歳 ~815年 44歳
白楽天年譜3 816年 45歳 ~826年 55歳
白楽天年譜4 827年 56歳 ~839年 68歳
白楽天年譜5 842年 71歳 ~846年 75歳


唐王朝年表1 618年 高 宗 ~779年 代 宗
唐王朝年表2 779年 徳 宗 ~907年 哀 宗



中国文学地図

地名  長 安  洛陽  蘇州  履道里
川名・湖名  長江  黄河  淮河  渭水  卞水


「人名・用語・書名」

人名  白居易  元 稹  劉禹錫  牛僧儒  李徳裕  憲 宗  穆 宗  徳 宗  順 宗
用語  牛李の党争

     
 

再掲


喜入新年自詠   唐 白居易

全唐詩卷四百五十九


 喜入新年自詠  白居易

白須如雪五朝臣,

又値新正第七旬。

老過占他藍尾酒,

病餘收得到頭身。

銷磨歳月成高位,

比類時流是幸人。

大暦年中騎竹馬,

幾人得見會昌春。


 新年しんねんるをよろこみずかえいず   白居易はくきょい

白須はくしゅ ゆきごとし 五朝ごちょうしん

新正しんせいう 第七旬だいしちじゅん

ぎて藍尾らんびさけ

病餘びょうよ おさたり 到頭とうとう

歳月さいげつ銷磨しょうまして 高位こうい

時流じりゅう比類ひるいすれば 幸人こうじん

大暦たいれき 年中ねんちゅう 竹馬ちくば

幾人いくにんか るをたる 會昌かいしょうはる


字句解釈

白須   白いひげ。

第七旬   旬は念。第七十年

五朝   806年(憲宗)~842年(文宗)、白居易のつかえた5つの朝廷。政争が多く、いずれも短命。

他藍尾酒   他(か)は「あの」、藍(らん)は「むさぼる」。例の一座の最後に飲む酒。

收得   收身、官界から身を引くこと。自分の身を取り返す。

到頭   とうとう、とどのつまり。

銷磨  けす、すりへらす。

時流   その時代。

大暦   唐の代宗の治世最後に使用された元号。大暦元年(776年)~大暦14年(779年) 大暦7年生まれ。

會昌   唐代の武宗の治世で用いられた元号。會昌元年(841年)~ 會昌6年(846年) 現在、會昌2年。

     

詩の鑑賞

842年、70歳になった白居易は、長生きしたことを手放しに喜んでいる。

別に一詩あり。
達哉樂天行(全唐詩卷四百五十九 )
未歸且住亦不惡,饑餐樂飲安穩眠。死生無可無不可,達哉達哉白樂天。




 

奉和思黯自題南莊見示兼呈夢得   唐 白居易

全唐詩卷四百五十七


 奉和思黯自題南莊見示兼呈夢得  白居易

謝家別墅最新奇,

山展屏風花夾籬。

曉月漸沈橋脚底,

晨光初照屋梁時。

台頭有酒鶯呼客,

水面無塵風洗池。

除卻吟詩兩閑客,

此中情状更誰知。

 思黯しあんみずか南莊なんそうだいしめれるたてまつねて夢得ぼうとくていす   白居易はくきょい

謝家しゃか別墅べっしょ もっと新奇しんきなり

やま屏風へいふうひろはなまがきさしはさ

曉月ぎょうげつ ようや橋脚きょうきゃくしずてい

晨光しんこう はじめて屋梁おくりょうらすとき

台頭だいとう さけりて うぐいすかく

水面すいめん ちりく かぜいけあら

吟詩ぎんし兩閑客りょうかんかく除卻じょきゃくすれば

なか情状じょうじょう さらだれらん


字句解釈

思黯   唐、牛僧孺の字。(参考)牛李之争

夢得   唐、劉禹錫の字。

謝家   東晋の大貴族。(参照)劉禹錫 烏衣巷

別墅   別荘、別宅。

漸   ようやく、次第に、徐々に。

屋梁   屋根、家のうつばり。

除卻   除く、却は助辞、例 滅却。

情状   ありさま、様子、又 心と形状。

更   さらに、その上に、(仄字)。


詩の鑑賞

 此の詩、恐らくは文宗の大和元年(827)白居易56歳の頃の作と思われる。この前年作者は蘇州刺史を免官し、 長安、新昌里に帰り住んだ。翌大和2年には劉禹錫が主客郎中となり、大和3年には李宗閔が宰相に任じ翌大和4年には 牛僧孺が宰相に返り咲いた。
此の日、劉禹錫と共に牛僧孺の別荘に招かれ、詩の応酬を楽しんだ時のものであろう。
杜甫と違い、白居易はなかなかしたたか、世渡り上手である。嫌味なく自然に時の権力者に取り入っていら。
対句が面白い。
曉月漸沈橋脚底,
晨光初照屋梁時。

台頭有酒鶯呼客,
水面無塵風洗池。

客字が2度あり。白居易には破格の詩が結構多い。



 

再掲


胡吉鄭劉盧張   唐 白居易

全唐詩卷四百六十


 胡吉鄭劉盧張等六賢皆多年壽予亦次焉 偶於弊居合成尚齒之會 七老相顧既醉且歡靜而思之 此會稀有因成七言六韻 以紀之傳好事者  白居易

七人五百七十歳,

拖紫紆朱垂白須。

手裏無金莫嗟歎,

尊中有酒且歡娯。

詩吟兩句神還王,

酒飲三杯氣尚麤。

嵬峨狂歌教婢拍,

婆娑醉舞遣孫扶。

天年高過二疏傅,

人數多於四皓圖。

除卻三山五天竺,

人間此會更應無。


三仙山・五天竺圖、多老壽者

前懐州司馬安定胡杲、年八十九。
衛尉卿致仕馮翊吉皎、年八十六。
前右龍武軍長史榮陽鄭據、年八十四。
前磁州刺史廣平劉眞、 年八十二。
前侍御史内供奉官范陽盧貞、 年八十二。
前永州刺史清河張渾、年七十四。
刑部尚書致仕太源白居易、年七十四。
已上七人、合五百七十歳。 會昌五年三月二十一日、於白家履道宅同宴、宴罷賦
詩。時秘書監狄兼謨、河南尹盧貞、以年未七十、雖與會而不及列。


 胡吉鄭劉盧張等こきつていりゅうろちょうら六賢ろくけんみな年壽ねんじゅおおく、これぐ。
たまたま弊居へいきょおいいて尚齒之會しょうしのかい合成ごうせいす。
七老相顧ななろうあいかえりみ すでいてよろこぶ。 しずかにしてこれおもえば、
かい ることまれなり。 りて七言六韻ななごんろくいんして
ってこれしるし、好事こうずものつたう   白居易はくきょい

七人しちにん 五百ごひゃく 七十歳しちしんさい

むらさきき しゅまとい 白須はくしゅう

手裏しゅりかねくも 嗟歎さたんするかれ

尊中そんちゅうさけり しばら歡娯かんごせん

兩句りょうくぎんじて 神還しんまさかんなり

さけ三杯さんばいみて 氣尚きなあら

嵬峨かいがたる 狂歌きょうか をしてたしめ

婆娑ばさたる 醉舞すいぶ まごをしてささえしむ

天年てんねん たか二疏にそ

人數にんずう 四皓しこうよりおお

三山五天竺さんざんごてんじく除卻じょきゃくすれば

人間じんかんに かい さらまさかるべし


三仙山さんせんざん五天竺圖ごてんじくずには、老壽ろうじゅものおお

さき懐州司馬かいしゅうしば 安定あんてい胡杲ここうとし八十九。
衛尉卿えいいけい致仕ちし 馮翊ひょうよく吉皎きっこうとし八十六。
さき右龍武軍長史ゆうりゅうぶぐんちょうし 榮陽えいよう鄭據ていきょとし八十四。
さき磁州刺史じしゅうしし 廣平こうへい劉眞りゅうしんとし八十二。
さき侍御史内供奉官じぎょしないきょうほうかん 范陽はんよう盧貞ろていとし八十二。
さき永州刺史えいしゅうしし 清河せいが張渾ちょうこんとし七十四。
刑部尚書致仕けいぶしょうしちし 太源たいげん白居易はくきょいの七十四。
已上いじょう七人しちにんわせて五百七十歳ごひゃくしちじゅっさい會昌五年三月二十一日かいしょうごねんさんがつにじゅういちにち白家履道宅はくかりどうたく
いてともえんし、えんみてす。 とき秘書監ひしょかん狄兼謨てきけんぼ河南尹かなんいん盧貞ろていは、
年未としいま七十しちじゅうならざるをもつて、 かいあずかるといえどれつするに およばず。


字句解釈

弊居   私の家。

尚齒   齒は年齢。長寿をとうとぶ。

七言六韻   一句七言、六韻の排律

七十歳   平仄の関係で「しちしんさい」と、十を平に読む。これは、白居易の創案で後世、杜牧が「江南春」でまねた。

拖紫    むらさきをひきずる。紫衣(高官の衣)を着る。

麤    粗い。

  嵬峨  高い山転じて、声が高いさま、酒に酔ったさま。

婆娑   舞うさま。よっぱらってでたらめにまうさま。

二疏傅   漢書の疏廣

四皓圖   中国,秦の始皇帝の時,国乱を避けて,陝西の商山に入った東園公,綺里季,夏黄公,里(ろくり)先生の 4人の隠士を画題とする絵画。4人は鬚眉(しゅび)みな白かったことから,商山四皓と呼ばれた。

三山五天竺    三神山:蓬莱、方丈、瀛州(司馬遷『史記』巻百十八『淮南衡山列伝』)
五天竺:昔、天竺(インド)を東・西・南・北および中央の五地方に分けて呼んだものの総称。

人間   人間世界。

     

詩の鑑賞

白居易74歳のとき、74歳以上の長老7名が白居易宅に集まって尚歯の会を催し、長寿を祝い、詩を作った。
「尚歯会」のはじめである。
七言六韻の排律。科挙では五言六韻の詩が多い。





詩 吟  高津有二様

菊  白居易
御定佩文齋詠物詩選《卷三百五十七》


 菊  白居易

一夜新霜著瓦輕

芭蕉新折敗荷傾

耐寒唯有東籬菊

金粟初開曉更清


(参考)

 霜  歐陽修

一夜新霜著瓦輕

芭蕉心折敗荷傾。

奈寒惟有東籬菊

金蕊繁開曉更清。

 きく  白居易はくきょい

一夜いちや 新霜しんそう かわらいてかる

芭蕉ばしょう あらたにれて 敗荷はいかかたむ

かんえ り 東籬とうりきく

金粟きんりゅう はじめひらき あかつきさらきよ




 しも  歐陽修おうようしゅう

一夜いちや 新霜しんそう かわらいてかる

芭蕉ばしょうしんれて 敗荷はいかかたむ

なんするものぞかん 東籬とうりきく

金蕊きんしん 繁開はんかい あかつきさらきよ



 

九老圖詩   唐 白居易

全唐詩卷四百六十二


 九老圖詩  白居易

洛中遺老李元爽年一百三十六
歸洛僧如滿年九十五

雪作鬚眉雲作衣,

遼東華表暮雙歸。

當時一鶴猶稀有,

何況今逢兩令威。











 九老圖詩きゅうろうずし    白居易はくきょい

洛中らくちゅう遺老いろう李元爽りげんそう とし一百三十六いっぴゃくさんじゅうろく
歸洛きらくそう如滿にょまん とし九十五きゅうじゅうご

ゆき鬚眉しゅびし くも

遼東りょうとう華表かひょう くれならかえ

當時とうじ一鶴いっかくすらることまれなり

なんいわんや 今兩令威いまりょうれいうをや


じょ
會昌五年(845)三月、胡杲ここう八十九・吉皎きっこう八十六・劉眞りゅうしん八十二・ 鄭據ていきょ八十四・盧貞ろてい八十二・
ちょうこん
七十七の六賢人と洛陽で尚齒會しょうしかいを催した。その夏、また二人の老人が洛陽に
帰ってきた。それで、九人の老人の肖像をかいて九老圖とした。


字句解釈

雪作鬚眉雲作衣    =鬚眉如雪衣如雲。

遼東華表       華表は鳥居。遼東丁令威 の故事「捜神記」を踏まえる。

     

詩の鑑賞

2回目の「尚齒會」。

九老圖詩序
會昌五年三月。胡、吉、鄭、劉、盧、張、等六賢。於東都敝居履道坊合尚齒之會。其年夏。又有二老。年貌絶倫。同歸故
郷。亦來斯會。續命書姓名年齒。寫其形貌。附於圖右。與前七老。題爲九老圖。仍以一絶贈之。二老謂洛中遺老李元
爽。年一百三十六歸洛。僧如滿。年九十五歳。

雪作鬚眉雲作衣,
遼東華表暮雙歸。
當時一鶴猶稀有,
何況今逢兩令威。

會昌五年三月かいしょうごねんさんがつ胡、吉、鄭、劉、盧、張、等六賢こ きつ てい りゅう ろ ちょう とうろっけん東都敝居履道坊とうとへいきょりどうぼうおい尚齒之會しょうしのかいう。 としなつまた 二老にろうり。年貌絶倫ねんぼうぜつりんおなじ故郷こきょうかえる。
かいたる。 つづけて姓名年齒せいめいねんしかしむ。 形貌けいぼううつし。 みぎす。 さき七老しちろうともだいして九老圖きゅうろうずす。 よつ一絶いちぜつもつこれおくる。 二老にろう洛中らくちゅう遺老いろう 李元爽りげんそう
年一百三十六歸洛としいっぴゃくさんじゅうろくきらく僧如滿そうにょまん年九十五歳としきゅうじゅうごさい

ゆき鬚眉しゅびし くも

遼東りょうとう華表かひょう つるならかえ

當時とうじ一鶴いっかくすらることまれなり

なんいわんや 今兩令威いまりょうれいうをや






 

七老會詩   唐 胡 杲

全唐詩卷四百六十三


 七老會詩  胡 杲 年八十九

閒居同會在三春,

大抵愚年最出群。

霜鬢不嫌杯酒興,

白頭仍愛玉爐熏。

裴回玩柳心猶健,

老大看花意卻勤。

鑿落滿斟判酩酊,

香嚢高掛任氤氳。

搜神得句題紅葉,

望景長吟對白雲。

今日交情何不替,

齊年同事聖明君。


 七老會詩しちろうかいし   胡 杲ここう

閒居かんきょ かいおなじくするは三春さんしゅん

大抵たいてい 愚年ぐねん もっとぐん

霜鬢そうびん きらわず 杯酒はいしゅきょう

白頭はくとう あいす 玉爐ぎょくろくん

裴回はいかいし やなぎもてあそび 心猶こころなすこやかなり

老大おいまさるも はなれば こころかえつうご

鑿落さくらく 滿斟まんしん 酩酊めいていはん

香嚢こうのう たかかかげて 氤氳いんうんまか

搜神そうしん て 紅葉こうようだい

望景ぼうけい 長吟ちょうぎん 白雲はくうんたい

今日こんじつ 交情こうじょう なにかえられず

齊年せいねん 同事どうじ 聖明せいめいくん


字句解釈

玉爐熏   ?

鑿落    さかずき。

氤氳   さかんなこと。

搜神   こころをさぐる。

齊年  としをひとしくす。科挙合格の同期。

同事   おなじくつかえる。

     

詩の鑑賞

尚齒會参加者の一詩。



 

自詠老身示諸家屬   唐 白居易

全唐詩卷四百六十


 自詠老身示諸家屬  白居易

壽及七十五,

俸沾五十千。

夫妻偕老日,

甥姪聚居年。

粥美嘗新米,

袍温換故綿。

家居雖濩落,

眷屬幸團圓。

置榻素屏下,

移爐青帳前。

書聽孫子讀,

湯看侍兒煎。

走筆還詩債,

抽衣當藥錢。

支分閒事了,

爬背向陽眠。


 みずか老身ろうしんえいもろもろ家屬かぞくしめす   白居易はくきょい

じゅ七十五しちしんごおよ

ほう五十千ごじゅうせん

夫妻ふさい 偕老かいろう

甥姪せいてつ 聚居しゅうきょとし

粥美かゆびにして 新米しんべい

袍温ほうあたたかくして 故綿こめん

家居かきょ 濩落かくらくいえど

眷屬けんぞく さいわい團圓だんえんなり

とう素屏そへいした

青帳せいちょうまえうつ

しょ孫子そんしむを

とう侍兒じじまえ

ふではしらせて 詩債しさいかえ

ころもきて 藥錢やくせん

閒事かんじ支分しぶんおわ

きて むかいてねむ


字句解釈

偕老   ともにおいる。

甥姪   甥は姉妹の子、姪は兄弟の子。日本のおい、めいと逆。 (参考)韓愈 左遷至藍關示姪孫湘

五十千   五万。

聚居   集まって居る。

粥美嘗新米,袍温換故綿   平仄の関係で言い方が逆になっている。(参考)送王十八歸山寄題仙遊寺

濩落  がらんとしているさま。謙遜語。

眷屬   一族。

榻   長椅子。

青帳   青いカーテン。

湯   薬湯。

詩債  贈詩に対するお返しの詩。

書  四書、論語・孟子・大学・中庸。

支分  処置する。

     

詩の鑑賞

白居易の絶筆、75歳の作。五言8韻の排律。この年の夏、この世を去った。
子供がなかったこと以外はすべて順調、権力者とも適当に対応した、満足な一生であった。
人生の達人である。




 

参考


江南春   唐 杜 牧

漢詩を楽しむ53頁   全唐詩卷五百二十二


 江南春  杜 牧

千里鶯鳴緑映紅,

水村山郭酒旗風。

南朝四百八十寺,

多少楼台煙雨中。


 江南こうなんはる   杜 牧とぼく

千里せんり 鶯鳴うぐいすないて みどり くれないえい

水村すいそん 山郭さんかく 酒旗しゅきかぜ

南朝なんちょう 四百八十寺しひゃくはっしんじ

多少たしょう楼台ろうだい 煙雨えんううち



Last modified    First updated 2017/05/10