第36回講義

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2017.06.22 録音

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王維作詩の背景



「王維年譜」



「唐王朝年表」

王維年譜1 699年 1歳 ~727年 29歳
王維年譜2 730年 32歳 ~747年 49歳
王維年譜3 750年 52歳 ~761年 63歳

唐王朝年表1 618年 高 宗 ~779年 代 宗
唐王朝年表2 779年 徳 宗 ~907年 哀 宗


中国文学地図

地名  長安  洛陽  永斎
川名・湖名  黄河


「人名・用語・書名」

人名  陸游  王維  玄宗皇帝  則天武后  陶淵明
用語  開元の治  貞観の治  科挙  登高

     
 

再掲


九月九日憶山東兄弟   唐 王 維

漢詩を楽しむ60頁 唐詩選下82頁 漢詩鑑賞辞典182頁 全唐詩卷四百六十


 九月九日憶山東兄弟
       王 維
        時歳十七

獨在異郷為異客,

毎逢佳節倍思親。

遙知兄弟登高處,

遍插茱萸少一人。


 九月九日くがつきゅうじつ山東さんとう兄弟けいていおも
       王 維おうい
        ときとし十七じゅうしち
ひと異郷いきょうりて 異客いかく

佳節かせつごとに ますますおやおも

はるかにる 兄弟けいていたかきにのぼところ

あまね茱萸しゅゆすも 一人いちにんくを


字句解釈

山東   「山中」とも。崋山の東。

憶   おもう。追憶、思い出す。おもうには、憶、想、思、惟、念、懐ーー。いろいろある。

佳節   重陽の節句。奇数が陽、偶数が陰。1月1日正月、3月3日上巳、5月5日端午、7月7日七夕、9月9日重陽。

親   親族、親、兄弟。

登高處   「たかきにのぼるところ。」であって「こうしょにのぼる。」ではない。處はときの意。

茱萸   赤い実がなる。重陽の日に頭に飾って高いところに上る風習。

     

詩の鑑賞

王維17歳の作。九月九日重陽の節句については古来、文章、詩が多い。 最古は、文選に、陶淵明全集、 陶淵明伝の紹介がある。
陶淵明嘗九月九日無酒,於宅邊菊叢内,摘盈把坐其側久,望見白衣人至,乃弘送酒也。即便. 就酌,醉而復歸。(《北唐書 ...



 

九日  唐 崔國輔

唐詩選下138頁 全唐詩卷一百一十九


 九日  崔國輔

江邊楓落菊花黄,

少長登高一望郷。

九日陶家雖載酒,

三年楚客已沾裳。


 九日きゅうじつ  崔國輔さいこくほ

江邊こうへん 楓落かえでおちて 菊花黄きくかきなり

少長しょうちょう たかきにのぼりて ひとへにきょうのぞ

九日きゅうじつ 陶家とうか さけすといえども

三年さんねん 楚客そかく すでしょううるお


字句解釈

崔國輔

載酒     酒を携えて。

楚客     左遷されて楚にいた。

沾裳     涙が衣をうるおす。


詩の鑑賞

九月九日の作例のひとつ。


 

九日送別  唐 王之渙

唐詩選下144頁 全唐詩卷二百五十三


 九日送別  王之渙

薊庭蕭瑟故人稀,

何處登高且送歸。

今日暫同芳菊酒,

明朝應作斷蓬飛


 九日送別きゅうじつそうべつ  王之渙おうしかん

薊庭そてい 蕭瑟しょうひつ 故人稀こじんまれなり

いずれところか たかきにのぼりて しばらくかえるをおくらん

今日こんじつ しばらくともにせん 芳菊ほうきくさけ

明朝みょうちょう まさ斷蓬だんぽうりてぶべし


字句解釈

王之渙

薊庭     「あざみ」の生える北方の寂しい故郷。

斷蓬     根無し草。「転蓬」とも。


詩の鑑賞

九月九日送別の一例。


 

九日宴  唐 張 諤

唐詩選下251頁 全唐詩卷一百一十


 九日宴  張 諤

秋葉風吹黄颯颯,

晴雲日照白鱗鱗。

歸來得問茱萸女,

今日登高醉幾人。


 九日きゅうじつえん  張 諤ちょうがく

秋葉しゅうよう 風吹かぜふいて 黄颯颯こうさつさつ

晴雲せいうん 日照ひてらして 白鱗鱗はくりんりん

歸來きらい とうをえたり 茱萸しゅゆじょ

今日こんじつ 登高とうこう 幾人いくにんをかわしめし


字句解釈

張 諤

黄颯颯     黄葉がさっと降るさま。

白鱗鱗     青雲(うろこぐも)が白々と照るさま。


詩の鑑賞

九月九日の風習がしのばれる。


 

九日  宋 戴復古

漢詩を楽しむ63頁


 九日  戴復古

醉來風帽半欹斜,

幾度他郷對菊花。

最苦酒徒星散後,

見人兒女倍思家。


 九日きゅうじつ  戴復古さいふくこ

醉來すいらい 風帽ふうぼう なか欹斜きしゃ

幾度いくたびか 他郷たきょうにて 菊花きくかたい

もっとなるは 酒徒しゅと 星散ほしさんずるののち

ひと兒女じょじて ますますいえおも


字句解釈

戴復古

醉來     ようて。「來」は添え字で意味なし。


詩の鑑賞

九月九日、左遷の独り身が思いやられる。


 

九日侍宴同賦
   菊散一叢金応製
     日本 菅原道真


漢詩を楽しむ118頁


 九日侍宴同賦
   菊散一叢金応製
        日本 菅原道真

不是秋江練白沙,

黄金化出菊叢花。

微臣把得嬴中満,

豈若一経遺在家。


 九日きゅうじつ えん
    ともす きくさんず  一叢いっそうきん 応製おうせい
       日本にほん 菅原道真すがわらみちざね

れ 秋江しゅうこうに 白沙はくさるにあらず

黄金おうごん づる 菊叢きくそうはな

微臣びしん て 嬴中えいちゅうたすも

かんや 一経いっけいの のこしていえるおや


字句解釈

応製     天皇の求めに応じてつくる。

菅原道真

練白沙     白絹をさらす。

黄金化出菊叢花     黄金からできたような菊のくさむらの花。

嬴  かご。

豈若一経遺在家     家にある四書五経の一書に値しようか、いやしない。


詩の鑑賞

道真流の捻った一詩。
日本では九月九日の風習はないが、漢詩の世界では重九と言えば、登高、菊、酒、陶淵明である。


 

清如玉壺冰
   唐 王 維


全唐詩 卷一百二十七


 賦得清如玉壺冰
  京兆府試,時年十九
 王 維

  藏冰玉壺裏,

冰水類方諸。

未共銷丹日,

還同照綺疏。

抱明中不隱,

含淨外疑虚。

氣似庭霜積,

光言砌月餘。

曉凌飛鵲鏡,

宵映聚螢書。

若向夫君比,

清心尚不如。


 たりきよきこと玉壺ぎょくここおりごと
 京兆府試きょうちょうふしときとし十九じゅうく  王 維おうい

こおりぞうす 玉壺ぎょくこうち

冰水ひょうすい 方諸ほうしょるい

いまともに 丹日たんじつしょうせず

おなじく 綺疏きそらす

めいいだきて ちゅうかくさず

じょうふくんで そときょなるをうたが

庭霜ていそうむに

ひかり砌月せいげつ

あかつきには飛鵲ひじゃくかがみしの

よいには聚螢しゅうけいしょえい

夫君ふくんむかってすれば

清心せいしん かず


字句解釈

賦得     題を与えられて作った。

京兆府試     科挙の地方試験(郷詩)の首都圏(長安)版で全国版より難関だったが、 王維は首席だった。この詩はその時のものである。科挙の漢詩は五言排律が多い。

清如玉壺冰     典故は文選にあり。南朝宋(420ー479)鮑照「白頭吟」。 直如朱絲繩、 清如玉壺冰。 何慚宿昔意、 猜恨坐相仍。 人情賤恩舊、世議逐衰興。
卓文君司馬相如伝承による。
この故事によるがこれに基づく作例詩は多い。例 昌齡王 「芙蓉樓送辛漸

方諸     はまぐり。はまぐりを月の夜にさらすと、あたかも月からやってきたように露がつく。

銷丹日     赤い太陽にも消えない。

綺疏     美しい窓。韻の関係で窓を疏としたか。

砌月餘     砌は石畳。石畳の月の光のなごり(餘)。

飛鵲鏡     鵲(かささぎ)が情を伝えた故事から、鏡には鵲の模様が描かれる。

聚螢書     南北朝北宋の故事。螢雪功(けいせつのこう)。

若向夫君比,清心尚不如。    玉壺の清らかさは、夫に対する私の清らかな心に比べれべ及ばない。


詩の鑑賞

王維19歳の作。典故盛りだが、若さのためか、わかり難い。


 

芙蓉樓送辛漸  唐 芙蓉樓送辛漸

唐詩選下78頁 全唐詩卷一百四十三


 芙蓉樓送辛漸  王昌齡

寒雨連天夜入湖,

平明送客楚山孤。

洛陽親友如相問,

一片冰心在玉壺。


 芙蓉樓ふようろう辛漸しんぜんおくる  王昌齡おうしょうれい

寒雨かんう てんつらなり 夜湖よるこ

平明へいめい かくおくり 楚山そざんなり

洛陽らくようの 親友しんゆう はば

一片いっぺんの 冰心ひょうしん 玉壺ぎょくこ


字句解釈

王昌齡

冰心     氷のような清らかな心。


詩の鑑賞

王昌齡が南方に左遷されていたころの作。





詩 吟  三村公二様

 黄鶴樓送孟浩然之廣陵
       李 白




 黄鶴樓送孟浩然之廣陵
        李 白

故人西辭黄鶴樓,

煙花三月下揚州。

孤帆遠影碧山盡,

唯見長江天際流。

 黄鶴楼こうかくろうにて孟浩然もうこうねん広陵こうりょうくをおくる  李白りはく

故人こじん 西にしのかた 黄鶴楼こうかくろう

烟花えんか 三月さんがつ 揚州ようしゅうくだ

孤帆こはん遠影えんえい 碧空へきくう

ただる 長江ちょうこう天際てんさいながるるを



 

息夫人   唐 王 維

王維100選   全唐詩卷一百二十八


 息夫人  王 維
    時歳二十

莫以今時寵,

難忘舊日恩。

看花滿眼涙,

不共楚王言。

 息夫人そくふじん    王 維おうい
         時に歳二十

今時こんじちょうって

舊日きゅうじおんわすかた

はなる 滿眼まんがんなみだ

楚王そおうと ともわず


字句解釈

息夫人  楚は大国で、息国は蔡国の近くにあった。

詩の鑑賞

 王維20歳、寧王、李憲の宴遊の席での作品、この詩に感じ、 寧王はほどなくこの女性を解放した。



 

題桃花夫人廟   唐 杜 牧

全唐詩卷五百二十三


 題桃花夫人廟
       杜 牧

細腰宮裏露桃新,

脈脈無言度幾春。

至竟息亡縁底事,

可憐金谷墜樓人。


 桃花夫人とうかふじんびょうだい
       杜 牧とぼく
細腰さいよう 宮裏きゅうり 露桃ろとうあらたなり

脈脈きゃくみゃく げんく いくたびのはるをかわた

至竟しきょう そくほろぶは底事なにごとにか

あわれむべし金谷きんこく 墜樓だろうひと


字句解釈

細腰   楚の宮廷では、腰の細い美人が好かれた。唐は豊満美女。

脈脈   じっとみつめること。肉月偏は目偏と同じ。 詩経に「牽牛織女」あり。

露桃   露井(井戸)のそばの桃の花(美人)。

至竟   しかしけっきょく。

金谷墜樓人

     

詩の鑑賞

杜牧のひねった詩。




 

古詩十九首其十「迢迢牽牛星」

詩経


 迢迢牽牛星
       詩経

皎皎河漢女

纖纖擢素手

劄劄弄機杼

終日不成章

泣涕零如雨

河漢清且淺

相去複幾許

盈盈一水間

脈脈不得語


 迢迢ちょうちょうたる牽牛星けんぎゅうせい
       詩 経しきょう

皎皎こうこうたる 河漢かかんじょ

纖纖せんせんくとして 素手そしゅ

劄劄さつさつとして 機杼きじょろう

終日しゅうじつ しょうさず

泣涕きゅうてい ちてあめごと

河漢かかん きよあさ

相去あいさること 幾許いくばく

盈盈えいえいたる 一水いっすいかん

脈脈みゃくみゃくとして かたるを



 

從岐王過楊氏別業應教   唐 王 維

全唐詩卷一百二十六


 從岐王過楊氏別業應教
       王 維

楊子談經所,

淮王載酒過。

興闌啼鳥換,

坐久落花多。

徑轉回銀燭,

林開散玉珂。

嚴城時未啟,

前路擁笙歌。


 岐王きおうしたが楊氏ようし別業べつぎょうよぎ應教おうきょう
           王 維おうい

楊子ようし けいだんずるところ

淮王わいおう さけせてぎる

興闌きょうたけなわにして 啼鳥ていちょうかわ

坐久ざひさしくして 落花多らくかおお

こみちてんじて 銀燭ぎんしょくめぐ

はやしひらいて 玉珂ぎょくかさん

嚴城げんじょう ときいまひらかず

前路ぜんろ 笙歌しょうかよう


字句解釈

岐王

楊氏   名門金持ちか?。

應教   皇帝の需に応ずるのが應成、王の需に応ずるのが應教。教は「しむ」の意。

楊子   前漢の儒者。

淮王   前漢、「淮南子」の著者。

玉珂   馬車の馬かざり。門で別れるときに鳴る。

嚴城   街の城門。

     

詩の鑑賞

王維は若年から、故事典籍に通じ、高位高官の人々との付き合いがあった。




Last modified    First updated 2017/07/10