第39回講義

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2017.10.26 録音

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王維作詩の背景



「王維年譜」



「唐王朝年表」

王維年譜1 699年 1歳 ~727年 29歳
王維年譜2 730年 32歳 ~747年 49歳
王維年譜3 750年 52歳 ~761年 63歳

唐王朝年表1 618年 高 祖 ~779年 代 宗
唐王朝年表2 779年 徳 宗 ~907年 哀 宗


中国文学地図

地名  長安  洛陽  襄陽  荊州・江陵  郢(エイ)
山名  秦嶺山脈(地図)  秦嶺山脈(説明)
川名・湖名  黄河  渭水  漢水  洞庭湖


春秋列国の形勢

     


人名用語書名」

人名  王維  張九齢  張説  玄宗皇帝(李隆基)  楊貴妃  則天武后  杜甫  安禄山  肅宗 孟浩然  李林甫  舜帝

用語  科挙  開元の治  拾遺  雲夢澤  武漢三鎮

     


 

再掲(第1回講義 2014.01.23 )


春 暁   唐 孟浩然

漢詩を楽しむ16頁 全唐詩卷一百二十六


 春曉
     孟浩然

春眠不覺曉

處處聞啼鳥

夜來風雨聲

花落知多少


 春暁しゅんぎょう
   とう 孟浩然もうこうねん

春眠しゅんみん 暁 あかつきおぼえず

処処しょしょ 啼鳥ていちょう<

夜来やらい 風雨ふううこえ

花落はなおつることんぬ多少たしょう


 真篠平○上●
   平○ 敬皓先去●上●敬平○

真先物覚篠平○平○入●入●上●

御御文斉篠去●去●平○平○上●

灰東遇庚去●平○平○去●平○

麻薬支歌篠平○入●平○平○上●


字句解釈

(漢)は漢詩の場合の意味、(和)は日本語としての意味です。
同じ漢字でも違った意味、あるいは異なったニュアンスで使われることことに注意しましょう。

暁 (漢)(和)1.よあけ、あかつき
(参考)曙 1.あけぼの  暁と曙は同意ですが用例は暁のほうが多いようです。

覚 (漢)1.きづく、さとる 入● (用例)尋胡隠君 2.さめる 去● (和)1.おぼえる
「おぼえず」と読みますが、ここでは「気づかない」の意です。

処々 (漢)1.いたるところ あちらもこちらも (和)1.ところどころ あちらこちら

夜来 (漢)1.ゆうべ (来は助辞で、意なし。) (和)1.ゆうべから

花 (漢)1.うめ、もも (和)1.さくら

知 (漢)1.しる 2.知+疑問詞 しらない I don't know how much.  (用例)題盧五旧居

多少 (漢)1.おおい(用例)江南春  2.おおいかすくないか(疑問詞) (和)1.すこし
「多少」は(和)では、「すくない」、(漢)では「おおい」の意です。
「知多少」は「おおいことをしる」と「おおいかすくないかしらない」の二様の解釈がある。


詩 形

五言古詩
理由 1.不覚暁  下三連 2.各句第二字 眠○処●来○落● これは 拗体です。
この詩が作られたころは、未だ、絶句の形式が確立していませんでした。

  

作者紹介

孟 浩然 (689-740)  盛唐  襄陽の人
生年689、12年後、李白、さらに、10年後、杜甫が生まれ、絶句、律詩等の形式が整備され唐詩の最盛期を迎えた。 その先駆をなした詩人である。
唐代には2回天下泰平を謳歌する豊かで平和な時期があった。第1回は2代皇帝太宗の御代(626-649)で、第2回は 6代玄宗皇帝の御代である。それぞれ 貞観の治、 開元の治と呼ばれるが作者は開元の治に生きた人である。 作者の没年740年は楊貴妃が玄宗皇帝の後宮に入った年であり、翌年改元されて天宝となったが、この時から唐王朝の 混乱が始まることになる。
襄陽は、揚子江第1の支流、漢水(漢江)の中流に位置する。漢水の上流には、漢の発生の地、漢中があり中国歴史上 重要な地である。しかし、漢の遷都により、襄陽を含む漢水流域、荊州の地は後世長く 天荒の地となった。
20代、科挙のために長安に上った。このとき、荊州に滞在した李白と、武昌の 黄鶴楼で会合し、李白は送別の1詩 《黄鶴樓送孟浩然之廣陵》を賦した。
行路は、長江を下り揚州、大運河を経て長安にいたる迂回路であった。襄陽から漢水を上流に上れば長安に近いがわざわざ迂回路を採った のは科挙に応ずるにあたり見分を広めるためであった。しかし、科挙には成功せず襄陽で過すこととなった。
40代再度長安に至って出仕の機会をうかがった。長安での猟官運動は王維の援助もあり、玄宗皇帝に 拝謁して自作の1詩 《歳暮歸南山》 を奉る機会もあったが皇帝の意に添わず仕官は叶わず、46歳再び襄陽に戻り鹿門山に隠棲した。
この詩は襄陽で隠棲していたころの作である。51歳、襄陽に没す。


詩の鑑賞

この詩は、清代の 唐汝詢、 簡野道明 説にあるように、古来、転句、結句に重きを置き、夜来の風雨に沢山の花の散るのを想い春を惜しむ、所謂「 惜春の詩 」とみる見方がなされている。唐汝詢は「非妙悟者不能道」(妙悟の者にあらざれば道(ゆく)あたわざる)境地といっている。
また、この詩は起句の「春眠不覚暁」から、世俗の巷を低くみて春眠を貪る、所謂、陶淵明 白居易に連なる「 高士の詩」とする 見方もなされている。
講者は後者を採取りたい。さらに一歩進めて、結句の「知多少」を重く見て、花の散るのが、多かろうが少なかろうがわれ関せず というくらい、この世を超越して、わが道を誇る境地を示す詩と見てはどうだろうか。 この詩は古今の最高傑作のひとつである。この一作によって孟浩然の名は未来永劫消えることはないであろう。




 

再掲


望洞庭湖贈張丞相   唐 孟浩然

漢詩鑑賞辞典129頁 全唐詩卷一百二十六


 望洞庭湖贈張丞相 孟浩然

八月湖水平,涵虚混太清。

氣蒸雲夢澤,波撼岳陽城。

欲濟無舟楫,端居恥聖明。

坐觀垂釣者,空有羨魚情。

    

 洞庭湖どうていこを望み張丞相ちょうじょうしょうに贈る  孟浩然もうこうねん

八月 湖水 平らかに、きょしたして太清たいせいこんず。

す 雲夢うんぼうたくなみゆるが岳陽城がくようじょう

わたらんとほっして 舟楫しゅうしゅうなく、端居たんきょして聖明せいめいず。

そぞろ垂釣すいちょうものては、むなしくうおうらやむのじょうあり。


字句解釈

洞庭湖 中国第2の大湖、湖南省にあり、揚子江と接続する。ちなみに第1の 大湖は青海湖(海抜3,200m)である。 八月(現九月)は増水期にあたり、一面大湖となる。

張丞相 丞相は大臣、あるいは、総理大臣。張は張九齢であろう。張エツとの説もある。
張九齢は荊州の江陵に左遷されたことがある。そのころ孟浩然が訪ねて就活運動をしたようだ。

涵虚  虚空を水中にひたす。おおぞらを水浸しにする。

太清  大空。空と水が一体になる。

氣蒸  雲・霧・霞などが立ち上ること。

雲夢澤 洞庭湖とその北の大きな沼沢地。雲澤と夢澤があった。夢は暗いの意がある。前漢武帝に仕えた司馬相如 に「子虚賦」がある。賦は文章の意で、文選に録されている。「楚には7つの湖あり、広さ方900里。(1里=500m)」

岳陽城 洞庭湖の東北端にある町。城壁に取り巻かれた岳陽の町。

濟   1.わたる。2.すくう。(経世済民、「経済」ほ日本人作。) ここでは「わたる」。

舟楫  船と楫(かい)。書経に故事あり。若濟巨川用汝為舟楫。若し巨川を濟らば、汝を用いて舟楫と為さん。 解釈に「才能がない。」と「つてがない。」の2説あり。

端居  へいぼんな生活。

聖明  天子(玄宗皇帝)の徳。

坐觀  ただ何となく見る。

垂釣者 魚を釣る人。

羨魚情 魚をほしいと思う気持ち。漢書に故事あり。臨淵羨魚不如退而結網。淵に臨んで魚を羨まば、退きて網を結ぶべし。 「魚が欲しければ網を結え。」


詩 形


五言律詩
律詩は漢詩の近体詩の一。一句が五言または七言の八句からなる。各々二句ずつを一組(聯レン)とし初めから、 起聯・頷連(前聯)・頸聯(後聯)・尾聯といい、絶句の起・承・転・結にあたる。原則として第三句と第四句、 第五句と第六句が対句を構成し、押韻、五言は二・四・六・八句の末尾、七言では一・二・四・六・八句の末尾の 文字にふむ。第一句の二字めを平で始める平起式と、仄で始める仄起式とがある。唐代に定まった詩形。 (文体明弁、近体律詩)--大漢語林

七言律詩では二四不同、二六対、下三連禁止、四字目孤平不可。五言律詩では二四不同、下三連禁止、二字目の孤平不可。

テキスト138頁参照。


詩の鑑賞

この詩は、頷聯の対が見事で古来五言律詩の絶唱とされている。

氣蒸雲夢澤
波撼岳陽城

洞庭湖を詠んだ詩として、この詩と並び称されるのは杜甫の「登岳陽楼」であり、その頷聯もまた古来絶賛されている。








再 掲

登岳陽樓 唐 杜 甫

漢詩を楽しむ34頁  全唐詩卷二百三十三

孟浩然「望洞庭湖贈張丞相」と古来、双璧と称される杜甫の絶唱です。



 登岳陽樓 杜 甫

昔聞洞庭水,今上岳陽樓。

呉楚東南拆,乾坤日夜浮。

親朋無一字,老病有孤舟。

戎馬關山北,憑軒涕泗流。


 岳陽樓がくようろう登る  杜 甫と ほ

昔聞く 洞庭の水  今 のぼる 岳陽樓がくようろう

呉楚ごそ 東南にけ、 乾坤けんこん 日夜浮ぶ

親朋しんぽう 一字無く、 老病ろうびょう 孤舟こしゅう有り。

戎馬じゅうば 關山かんざん、 けんりて 涕泗ていし流る。


字句解釈

昔聞洞庭水 昔、洞庭湖についての神話伝説故事来歴を聞いた。

呉楚    呉の国と楚の国

乾坤    天地。

親朋    親しい友人。

戎馬    戦争用の馬。

關山北   北方の関山は杜甫の古里。

憑軒    軒欄(てすり)に依る。三国時代の詩に用例あり。

涕泗    涕(なみだ)と泗(はなじる)。


詩 形


五言律詩


詩の鑑賞

この詩は、杜甫晩年の作で、対の見事な頷聯

呉楚東南拆
乾坤日夜浮

が古来絶唱とされている。 洞庭湖を詠んだ詩の双璧は、孟浩然(730頃)と杜甫(770頃)のこの詩である。
また、洞庭湖には神話伝説が多い。日本でいえば国引き伝説などの多い出雲がこれに近い。




 

再掲


歳暮歸南山    唐 孟浩然
漢詩鑑賞辞典129頁  全唐詩卷一百六十


 歳暮歸南山 孟浩然

北闕休上書,

南山歸敝廬。

不才明主棄,

多病故人疏。

白髮催年老,

青陽逼歳除。

永懷愁不寐,

松月夜窗虚。


 歳暮さいぼ 南山なんざんかえる   孟浩然もうこうねん

北闕ほくけつに しょたてまつるを

南山なんざん 敝廬へいろかえ

不才ふさい 明主めいしゅすてられ

多病たびょう 故人こじんうと

白髮催はくはつもよおし 年老としお

青陽せいよう 歳除さいじょせま

ながうれいいだいてねむらず

松月しょうげつ 夜窗やそうむな


詩の鑑賞

孟浩然は40代の頃、長安に至って出仕の機会をうかがった。 長安での猟官運動は王維の援助もあり、玄宗皇帝に拝謁する機会があった。 そのときに提出したのがこの詩である。
しかし、初対面なのに「不才明主棄」とあることが、皇帝の意に添わず仕官叶わず襄陽に戻り隠棲した。





 

送孟六歸襄陽    唐 王 維


全唐詩卷一百二十六


 送孟六歸襄陽 王維

杜門不復出,

久與世情疏。

以此為良策,

勸君歸舊廬。

醉歌田舍酒,

笑讀古人書。

好是一生事,

無勞獻子虚。


 孟六もうろく襄陽じょうようかえるをおくる   王維おうい

もんとざして でず

ひさし世情せじょうなり

れをって 良策りょうさく

きみすすむ 舊廬きゅうろかえるを

うてうたう 田舍でんしゃさけ

わらってむ 古人こじんしょ

れ 一生いっしょうこと

ろうするかれ 子虚しきょけんずるを


字句解釈

杜門   門を閉じる。「杜」やまなし。バラ科の落葉小高木。とじる、ふさぐ。

勸君歸舊廬   杜甫は孟浩然より若い、「舊廬に歸るを」がよい。

田舍酒   田は土地、舎は建物。いなかの酒。

古人書   先人、先哲の書、孔子孟子など。。

無勞獻子虚   「子虚賦」を献じて取り立てられた司馬相如をまねて就職運動などしなさんな。
子虚は、前漢の司馬相如の〈子虚・上林の賦〉に登場する 架空の人物。この賦には子虚,烏有先生,亡是公(ぼうぜこう)の3人の人物が登場して, それぞれに楚王と斉王と天子の狩猟の盛大さを自慢しあうという枠組みで作品が展開する。 詳しくは、子虚


詩の鑑賞

王維36歳、開元22年、 張九齢の推挙によって 右拾遺に抜擢され長安に戻る。
孟浩然と会し、玄宗皇帝に紹介するが、孟浩然の詩 「歳暮歸南山」が皇帝の意に添わず、 孟浩然が襄陽に帰ることになった時の送別の詩。





 

留別王侍御維   唐 孟浩然

全唐詩卷一百二十六


 留別王侍御維
   孟浩然

寂寂竟何待,

朝朝空自歸。

欲尋芳草去,

惜與故人違。

當路誰相假,

知音世所稀。

祇應守索寞,

還掩故園扉。


 別王侍御維おうじぎょい留別りゅうべつ
       孟浩然もうこうねん

寂寂せきせき ついなにをかたん

朝朝ちょうちょう むなしく みずかかえ

芳草ほうそうを たずねてらんとほつすれど

故人こじんたがえんことをおし

當路とうろ だれさん

知音ちいん まれなるところ

ただに まさ索寞せきばくまもるべし

かえりて 故園こえんとびらおおわん

  、

字句解釈

留別   送別される人が記念に残す詩。対語=贈別。

芳草   香りのよい草。徳の高い人。屈原の 離騒に用例「何昔日之芳草兮」がある。

故人違   友人ん別れる。

當路   道の真ん中。枢要の地位にいて権力を握っている人。

假   力を貸す。

知音   よく自分を知る人。伯牙と鍾子の故事あり。

索寞   しずか。

掩故園扉   陶淵明の「歸田園居」の心境。

     

詩の鑑賞

王維が右拾遺として玄宗皇帝のそばに仕えていたころの代表作。このころから王維の詩に変化が見える。




 

雑詩三首   唐  王 維

全唐詩卷一百二十八


 雑詩三首  王 維

其一

家住孟津河,

門對孟津口。

常有江南船,

寄書家中否。


其二

君自故郷來,

應知故郷事。

來日綺窗前,

寒梅著花未。


其三

已見寒梅發,

複聞啼鳥聲。

心心視春草,

畏向階前生。



 雑詩三首ざっしさんしゅ    王 維おうい

其の一

いえじゅうす 孟津河もうしんか

もんたいす 孟津口もうしんこ

つね江南こうなん船有ふねあ

しょ家中かちゅうするやいな


其の二

きみ 故郷こきょうよりきた

まさ故郷こきょうことるべし

たる 綺窗きそうまえ

寒梅かんばい はなけしやいまだしや


其の三

すで寒梅かんばいひらくを

啼鳥ていちょうこえ

心心しんしん 春草しゅんそう

階前かいぜんいてしょうずるをおそ


字句解釈

孟津河   洛陽北方黄河の孟津というところ。(中国文学地図には表示なし)
杜甫の先祖杜與が船を並べて橋の代わりにした故事がある。 その子孫が襄陽に移って杜甫につながる。

孟津口   渡し場。

江南   杜牧「江南春」。

應知   まさにしるべし。きっと知っているに違いない。 用例 韓愈「左遷至藍關示侄孫湘」 綺窗   飾り窓。女性の住む美しい窓。

心心   晩春。

畏向階前生   お出でがないために、草が階前に伸び放題になることを恐れる。


詩の鑑賞

第1首は庶民、旅にある夫を故郷の妻が想う、第2首は士大夫、旅にある夫が故郷の妻を想う。 第3首宮女の愁い。それぞれ、皆詩らしい、婉曲な表現となっている。


 

再 掲


江南春   唐 杜 牧

漢詩を楽しむ53頁   全唐詩卷五百二十二


 江南春  杜 牧

千里鶯鳴緑映紅,

水村山郭酒旗風。

南朝四百八十寺,

多少楼台煙雨中。


 江南こうなんはる   杜 牧とぼく

千里せんり 鶯鳴うぐいすないて みどり くれないえい

水村すいそん 山郭さんかく 酒旗しゅきかぜ

南朝なんちょう 四百八十寺しひゃくはっしんじ

多少たしょう楼台ろうだい 煙雨えんううち



 

再 掲


左遷至藍關示侄孫湘    唐 韓 愈
漢詩を楽しむ88頁 全唐詩卷三百四十四


 左遷至藍關示侄孫湘
           韓 愈

一封朝奏九重天,

夕貶潮州路八千。

欲為聖朝除弊事,

肯將衰朽惜殘年。

雲橫秦嶺家何在,

雪擁藍關馬不前。

知汝遠來應有意,

好收吾骨瘴江邊。


 左遷させんされて藍關らんかんいた侄孫てつそんしょうしめ
                    韓 愈かんゆ

一封いっぷう あしたそうす 九重きゅうちょうてん

ゆうべには潮州ちょうしゅうへんせらる 路八千みちはっせん

聖朝せいめいため弊事へいじのぞかんとほつ

あえ衰朽すいきゅうもつて 殘年ざんねんおしまんや

くも秦嶺しんれいよこたわり いえいずくにか

くも藍關らんかんようして うますすまず

る 汝遠なんじとおたる まさ意有いあるべし

し 吾骨わがほねおさめよ瘴江しょうこうほとり


字句解釈

韓愈   中唐の大詩人。李白、杜甫と韓愈、白居易はまるで生まれ変わりのような関係にある。
李白701ー762、杜甫712-770、韓愈768-824、白居易772-846。

侄孫   兄弟の孫。ここでは韓愈の兄の孫。

藍關   秦嶺山脈中の関所、藍田關

一封朝奏   憲宗の拝佛に対し、「論佛骨表」を奉り、 広東省と福建省の中間の潮州に左遷された。

路八千   八千里=500m*8000里=4000km、直線距離2000km。

聖朝   憲宗皇帝。

馬不前   乃木希典「金州城作」に用例あり。

瘴江   毒気の川。

詩の鑑賞

韓愈が819年潮州に左遷された時の詩。左遷の詩の代表的作品。
韓愈は儒教、白居易は仏教。白居易の詩より悲痛である。
翌年憲宗が毒殺され、韓愈は長安に呼び戻された。




 

吟 詠   安部元生様


泊天草洋  日本 頼山陽

漢詩を楽しむ122頁


 泊天草洋  頼山陽

雲耶山耶呉耶越

水天髣髴青一髪

万里泊舟天草洋

煙横篷窓日漸没

瞥見大魚波間跳

太白当船明似月


 天草洋あまくさなだはくす   頼山陽らいさんよう

くもやまえつ

水天すいてん 髣髴ほうふつ 青一髪せいいっぱつ

万里ばんり ふねはくす 天草あまくさなだ

けむり篷窓ほうそうよこたわりて 日漸ひようやくぼつ

瞥見べっけんす 大魚たいぎょ波間はかんおどるを

太白たいはく ふねあたって めいつきたり



 

王維作詩の背景



「王維年譜」



「唐王朝年表」

王維年譜1 699年 1歳 ~727年 29歳
王維年譜2 730年 32歳 ~747年 49歳
王維年譜3 750年 52歳 ~761年 63歳

中国文学地図

地名  長安  洛陽  襄陽  荊州・江陵  郢(エイ)
川名・湖名  黄河  渭水  漢水  洞庭湖


春秋列国の形勢

     


人名用語書名」

人名  王維  張九齢  張説  玄宗皇帝(李隆基)  楊貴妃  則天武后  杜甫  安禄山  肅宗 孟浩然  李林甫  韓 愈  王昌齢

     


 

再 掲



八月十五日夜禁中獨直,對月憶元九、
   唐 白居易


漢詩を楽しむ80頁 漢詩鑑賞辞典468頁 全唐詩卷四百三十七


 八月十五日夜禁中獨直,
  對月憶元九  白居易

銀台金闕夕沈沈,

獨宿相思在翰林。

三五夜中新月色,

二千里外故人心。


渚宮東面煙波冷,

浴殿西頭鐘漏深。

猶恐清光不同見,

江陵卑濕足秋陰。

 八月十五日夜禁中はちがつじゅうごにちきんちゅう獨直ひとりちょくし、
 つきたいして元九げんきゅうおもう  白居易はくきょい

銀台ぎんだい 金闕きんけつ 夕沈沈ゆうべちんちん

ひと宿しゅくして 相思あいおもい 翰林かんりん

三五夜中新月色さんごやちゅう 新月しんげついろ

二千里外にせんりがい 故人こじんこころ

渚宮しょきゅうの 東面とうめん 煙波冷えんぱひややか

浴殿よくでんの 西頭せいとう 鐘漏深しょうろふか

おそる 清光せいこう おなじざることを

江陵こうりょう 卑濕ひしつにして 秋陰しゅういん


字句解釈

禁中   宮中。

銀台   銀台門。または銀の高殿。

金闕   門の上の高殿。

夕沈沈   夜が更けるさま。

相思   相手のことを憶う。(お互いに憶うではない。)

翰林   翰林院、玄宗時代にできた役所。

新月   ①出たばかりの月。②清らかな月。③満月に対する三日月。ここは①。

渚宮   江陵にある三国時代の楚の宮殿。汀の離宮。

煙波   もやの立ち込めた水面。

浴殿   長安の宮殿。

鐘漏   鐘と水時計。

江陵   三国時代楚の都。郢(えい)。 卑濕   湿気の多い。

詩の鑑賞

白居易の親友元 稹(げんじん)が楚の江陵(荊州、三国時代の郢)に左遷された。
長安から江陵にいる友を懐かしんでいる。長安と江陵は直線距離は約500km(千里)であるが、旅の行程としては1000km (二千里)はある。
「三五夜中新月色 二千里外故人心」古今第一の名対句である。また、長安と江陵をABBAで詠む、律詩の対句の技巧が凝らされている。
この詩は、和漢朗詠集はもちろん、源氏物語(須磨の巻)、謡曲などにも引用されている。





再 掲

照鏡見白髪 張九齢


漢詩を楽しむ47頁 漢詩鑑賞辞典117頁


張九齢晩年の作。孟浩然と同年に死す。


 照鏡見白髪 張九齢

宿昔青雲志

嗟跎白髪年

誰知明鏡裏

形影自相憐


 かがみらして 白髪はくはつを見る    張九齢ちょうきゅうれい

宿昔くしゅくせき 青雲せいうんの志

嗟跎さたたり 白髪はくはつとし

たれ知くらん 明鏡めいきょううち

形影けいえい みづか相憐あいあわれまんとは


字句解釈

宿昔  むかし。

嗟跎  つまずく。

形影  自分自身の姿と鏡に映った自分の姿。


詩の鑑賞

年張九齢は晩年荊州に左遷された。
この詩の翌年張九齢は死去する。悲痛な詩である。
孟浩然も同年死去する。一時孟浩然は張九齢に仕えたことがある。





 


送梁六自洞庭山作  唐 張 説
唐詩選下31頁、全唐詩卷八十九


 送梁六自洞庭山作
  張 説

巴陵一望洞庭秋,

日見孤峰水上浮。

聞道神仙不可接,

心隨湖水共悠悠。


 梁六りょうろく洞庭山どうていさんよりするを
   張説ちょうえつ

巴陵はりょう 一望いちぼう 洞庭どうていあき

びにる 孤峰こほう水上すいじょうかぶを

聞道きくならく 神仙しんせん せつからずと

こころ湖水こすいしたがって とも悠悠ゆうゆうたり


字句解釈

梁六    梁知微(?)。六は排行。

洞庭山    洞庭湖にある山、君山。

巴陵    洞庭湖の東北岸の郡名、ここで君山のこと。

聞道    聞くところによれば。

共悠悠    深く思慕すること。はるかに遠いこと。ここでは両方をかける。

     

詩の鑑賞

張説の詩。張説が張九齢を引き立て、張九齢が王維を引き立てた。
また、張説は岳陽楼を作った。




 

寄荊州張丞相  唐 王 維

全唐詩卷一百二十八


 寄荊州張丞相  王 維

所思竟何在,

悵望深荊門。

舉世無相識,

終身思舊恩。

方將與農圃,

藝植老丘園。

目盡南飛雁,

何由寄一言。

 荊州けしゅう張丞相ちょうじょうしょうす    王 維おうい

所思しょし ついいずこにか

悵望ちょうぼう 荊門けいもんふか

舉世きょせい 相識そうしき

終身しゅうしん 舊恩きゅうおんおも

まさに農圃のうほとも

藝植げいしょくして 丘園きゅうえんいんとす

おのずからく 南飛なんぴかり

なんよつてか 一言いちごんせん


字句解釈

荊州   江陵

張丞相   張九齢。「丞相」という官名はないが、元宰相クラスの人。

所思   ①思う所。②お慕いする人。ここは、②。

荊門   黄河の両岸が切り立って門の形になったところを通って荊州にいたる、荊州のこと。

舉世   世をあげて、よのなかすべて。楚辞に用例あり。

農圃   はたけ、農夫。

藝植   うえつける。

丘園   おかのはなぞの。隠居の地。


詩の鑑賞

張九齢は李林甫との政争に敗れ荊州に左遷されたときの王維の詩。
後ろ盾を失い途方に暮れている。



 

涼州郊外游望    唐 王 維
全唐詩卷一百二十六


 涼州郊外游望  王維

野老才三戸,

邊村少四鄰。

婆娑依裏社,

簫鼓賽田神。

灑酒澆芻狗,

焚香拜木人。

女巫紛屢舞,

羅襪自生塵。


 涼州郊外游望りょうしゅうこうがいゆうぼう   王維おうい

野老やろう わずか三戸さんこ

邊村へんそん 四鄰しりんすくな

婆娑ばさたり 裏社りしゃ

簫鼓しょうこ 賽田さいでんしん

灑酒れいしゅ 芻狗すうくそそ

こういて 木人ぼくじんはい

女巫じょふ 紛屢ふぶ

羅襪らべつ おのずから ちりしょう


字句解釈

涼州   後世の武威

郊外   城のそと。国境地帯。周代では、近郊:50里、20km 遠郊:100里、40km。

野老   田舎親父。杜甫は、「哀江頭」で 自分のことを「少陵の野老」と言っている。

婆娑   舞うさま。

裏社   まつりのとき。

簫鼓   ふえたいこ。

灑酒   さけをあたまからそそぐ。

芻狗   芻は、わら、狗は、いぬ。わらでつくったいぬ。必要なときには重宝されて、いらなくなったらすぐ捨てられるもの。

女巫   おんなのみこ。男性のみこは巫覡(ふげき)。

紛屢舞   はやくまう。

羅襪   足袋、靴下。魏の詩人曹植(そうしょく・そうち)の故事あり。


詩の鑑賞

開元25年、王維39歳、右拾遺を解任され涼州に左遷される。 涼州の田舎の寂しい祭りの様子。





再 掲

涼州詞   唐 王 翰
漢詩を楽しむ30頁  全唐詩卷一百五十六


 涼州詞   王翰

蒲萄美酒夜光杯,

欲飲琵琶馬上催。

醉臥沙場君莫笑,

古來征戰幾人回。


 涼州詞りょうしゅうし   王翰おうかん

蒲萄ぶどう美酒びしゅ 夜光やこうはい

まんとっすれば 琵琶びわ 馬上ばじょうもよお

うて沙場さじょうす きみわらうことなか

古來こらい 征戰せいせん 幾人いくにんかえ


 

涼州詞二首其一    唐 王之渙
漢詩を楽しむ29頁  全唐詩卷二百五十三


 涼州詞二首其一
     王之渙

黄河遠上白雲間,

一片孤城萬仞山。

羌笛何須怨楊柳,

春光不度玉門關。


 涼州詞りょうしゅうし
      王之渙おうしかん

黄河こうが とおのぼる 白雲はくうんかん

一片いっぺんの 孤城こじょう 萬仞ばんじんやま

羌笛きょうてき なんもちい楊柳ようりゅううらむを

春光しゅんこう わたらず 玉門關ぎょくもんかん