秋下荊門 李 白

岩波唐詩選下51頁

作詩の時期について諸説あるが、本詩は李白25歳長江を下った時の作として、ここに載せる。



2014.04.24 録音3


 秋下荊門 李 白

霜落荊門江樹空

布帆無恙挂秋風

此行不為鱸魚膾

自愛名山入剡中


 あき 荊門けいもんくだる  李白りはく

しも荊門けいもんおちて 江樹こうじゅむな

布帆ふはん つつがく 秋風しゅうふう

こう 鱸魚ろぎょかいためならず

みずか名山めいざんあいして 剡中せんちゅう


字句解釈

荊門  江陵の西。長江に荊門山が荊の国を区切る門のようになっている。

江樹空  河岸の木が落葉して葉っぱがない。 布帆  舟の帆。

無恙  無事である。晋の顧愷之が破冢で難破したとき「行人安穏布帆無恙」と書した故事による。

挂  ほをかける

鱸魚  スズキと訓ずるが、ハゼに似た大魚。カジカ説もあり。

膾  なます。さしみのようなもの。鱸魚膾 晋の張翰が秋風が吹くと郷里の名物の菰菜蓴菜(じゅんさい)の あつものと鱸魚の膾の味を思い出して官位を捨てて郷里に帰ったという故事がある。張翰伝「人生貴得適意  何為卑婢官数千里外以要名爵」と言って都を去ったが、後戦乱が起こり命拾いをした。それで時人は「張翰見機」と 言ったという故事。

剡中   紹興の東を流れる曹娥江の上流、会稽の近く。この付近に名山が多い。六朝の詩人、謝霊雲に 「瞑投剡中宿 明登天姥山」の句文選にあり、李白は知っていたであろう。


詩の鑑賞

李白は、自分の今回の行を張翰の鱸魚膾のようなものではなく、謝霊雲はじめ多くの大詩人のように名山を愛し、詩を愛する 為であると詠っている。



戻る  続く

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Last modified 2014/05/05 First updated 2014/04/28