第16回講義

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2015.06.25 録音

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杜 甫 作詩の背景




「杜甫年譜」

杜甫年譜1 712年 1歳 ~739年 28歳
杜甫年譜2 740年 29歳 ~755年 44歳
杜甫年譜3 756年 45歳 ~763年 52歳
杜甫年譜4 764年 53歳 ~739年 59歳


「詩人杜甫の
足あと」


人名  杜審言 崔氏 杜閑  張九齢 李林甫 楊貴妃  安禄山 高力士
     李 白 呉 筠 賀知章  越王勾践 呉王夫差 西 施  范 蠡 高 適
     老 子 孔 子 則天武后

地名   泰山  洛陽(鞏県きょうけん)  襄陽            趙(邯鄲)
     会稽  紹興

書名   史記  三国志

用語   科挙  宦官  道士  仙人  竹林の七賢  南船北馬

     


 


再 掲

飲中八仙歌  唐 杜 甫

漢詩鑑賞辞典 282頁  全唐詩 卷二百一十六

書き下しは漢詩鑑賞辞典による。  (参考)黒川洋一編



 飲中八仙歌  杜 甫

知章騎馬似乘船,

眼花落井水底眠。

汝陽三斗始朝天,

道逢麹車口流涎,

恨不移封向酒泉。

左相日興費萬錢,

飲如長鯨吸百川,

銜杯樂聖稱避賢。

宗之瀟灑美少年,

舉觴白眼望青天,

皎如玉樹臨風前。

蘇晉長齋繡佛前,

醉中往往愛逃禪。

李白一斗詩百篇,

長安市上酒家眠。

天子呼來不上船,

自稱臣是酒中仙。

張旭三杯草聖傳,

脱帽露頂王公前,

揮毫落紙如雲煙。

焦遂五斗方卓然,

高談雄辨驚四筵。


 飲中八仙歌いんちゅうはっせんか    杜甫とほ

知章ちしょううまるはふねるにたり

眼花がんかちて水底すいていねむ

汝陽じよう三斗さんとにしてはじめててんちょう

みち麹車きくしゃえばくちよだれなが

うらむらくはほううつして酒泉しゅせんむかわざることを

左相さそう日興にっきょう萬錢ばんせんついや

むこと長鯨ちょうげい百川ひゃくせんすうごと

はいふくせいたのしみけんくとしょう

宗之そうし瀟灑しょうしゃたる美少年びしょうねん

さかずき白眼はくがんにして青天せいてんのぞめば

きょうとして玉樹ぎょくじゅ風前ふうぜんのぞむがごと

蘇晉そしん長齋ちょうさい繡佛しゅうぶつまえ

醉中すいちゅう往往おうおう逃禪とうぜんあい

李白りはく一斗いっと詩百篇しひゃっぺん

長安市上ちょうあんしじょう酒家しゅかねむ

天子てんしきたれどもふねのぼらず

みずかしょうしん酒中しゅちゅうせん

張旭ちょうきょく三杯さんばい草聖そうせいつた

ぼうちょうあらわす王公おうこうまえ

ごうふるかみおとせば雲煙うんえんごと

焦遂しょうすい五斗ごとうまさ卓然たくぜん

高談こうだん雄辨ゆうべん四筵しえんおどろかす


字句解釈

知章     賀知章。賀知章は南方、越(会稽)の出身である。 李白が長安に上った時、最初に賀知章に会っている。そのきっかけも賀知章が作ったか?

騎馬似乘船     南船北馬の意を踏まえている。

眼花     ①酔って目がちらちらする。②年老いて目がかすむ。白内障。

水底眠     井(水たまり)に落ちてそのまま眠っていた。賀知章は李林甫を憚って韜晦していたか?

汝陽     汝陽は河南省、黄河の南の地名。玄宗皇帝の甥(兄の子)、李璡

三斗     1斗は6リットル、あるは、1升?。 

麹車     酒の原料のこうじを運ぶ車。

酒泉     酒泉は地名。万里の長城の西端、嘉峪関の南。

左相     適之せきし。 全唐詩に 二首あり。「朝退」「罷相作」。

樂聖稱避賢    聖は清酒、賢は濁酒、ここでは、暗に李林甫を指す。このために、適之は林甫と対立し、 破れて自殺することになった。

日興     一日のたのしみ。

宗之     崔宗之。崔氏は名門、杜甫の母も崔氏である。

瀟灑     しょうしゃ。すがすがしい。

白眼     「竹林七賢」の一人、 阮籍(げんせき)は、礼法を重視した儒家のような気に入らない人物に対しては白眼で対応し、 気に入った人物に対しては青眼で対応した。

     きよらか。

玉樹     美しい樹。立派な人物。

蘇晉     仏教徒。

繡佛     刺繍した仏像。日本書紀、天智天皇の弟の大海皇子(後の天武天皇)と子の 大友皇子の爭(壬申の乱)のときの記事に、「職仏」という語がある。同様なのものであろう。

逃禪     ①禅に逃れる②禅から逃れる。ここでは②仏前から逃げる。

天子呼來     玄宗皇帝が白蓮池で宴を催したとき、李白を呼んだ故事。

張旭     草書の名人。

草聖傳     後漢の張芝、や盛唐の張旭は草聖と呼ばれる。

焦遂    どもりであったが酒を飲むと雄弁になった。

     

詩の鑑賞

「先」韻で統一されている。 開元の治の平和な好き時代の世相が詠われている。 杜甫の同時代の8人の酒飲みの様子が活写されている。
作詩の時期に、天宝5年、あるいは、12年、など、諸説がある。 左相(李適之)に関する記述は、李林甫とのからみで興味深い。
李白に4句費やしている。李白の杜甫に対する思い入れが知れる。




 


再 掲

朝 退  唐 李適之

全唐詩 卷一百九


 朝退  李適之

朱門長不閉,

親友恣相過。

年今將半百,

不樂復如何。


 朝退ちょうたい    李適之りせきし

朱門しゅもん ながとざさず

親友しんゆう よぎるをほしいままにす

としいま まさ半百はんひゃく

たのしまずして(まずば) また如何いかん


字句解釈

朱門     高位高官に許される赤門。

     よぎる。単に過ぎるのではなく寄っていく。

半百     50歳。

     

詩の鑑賞

李適之の人柄の現れた詩である。
結句の「不樂複如何」は伊達政宗の「遣興吟」に現れる。政宗はこの詩を読んだのであろうか?




 


再 掲

遣興吟  日本 伊達政宗

テキスト 121頁


 遣興吟  伊達政宗

馬上青年過,

時平白髪多。

殘軀天所許,

不樂復如何。


 きょうぎん    伊達政宗だてまさむね

馬上ばじょう青年せいねん

とき たいらにして 白髪はくはつおお

殘軀ざんく てんゆるところ

たのしまずば また如何いかん


字句解釈

馬上     戦の時代。

時平     今は平和である。

     

詩の鑑賞

戦国時代を生き抜いた武将、伊達政宗の思いがよく詠われている。 結句「不樂複如何」(たのしまないでどうしようか。)はどこから得たか?




 


讀山海經  晉 陶 濳

御定佩文齋詠物詩選 卷一百七十一讀書類


 讀山海經  陶 濳

孟夏草木長,

遶屋樹扶疎。

衆鳥欣有託,

吾亦愛吾廬。

既耕亦已種,

時還讀我書。

窮巷隔深轍,

頗廻故人車。

歡言酌春酒,

摘我園中蔬。

微雨從東來,

好風與之倶。

氾覧周王傳,

流觀山海圖。

俯仰終宇宙,

不樂復何如。


 山海經さんかいきょうむ    陶 濳とうせん

孟夏もうか 草木そうぼくちょう

おくめぐじゅ扶疎ふそたり

衆鳥しゅうちょう 有託ゆうたくよろこ

われまた いおりあい

すでたがやし またすで

ときかえりて しょ

窮巷きゅうこう 深轍しんてつへだ

すこぶめぐる 故人こじんくるま

歡言かんげんし 春酒しゅんしゅ

園中えんちゅう

微雨びう ひがしよりたり

好風こうふう ともにす

周王しゅうおうでん氾覧はんらん

山海圖さんかいず流觀りゅうかん

俯仰ふぎょうして宇宙うちゅうつく

たのしからしてまた何如いかん


字句解釈

陶 濳       陶淵明(356-427)東晋時代の人。 挂冠の詩「帰去来辞」で有名。

山海經     紀元前からあった地理書。

孟夏     初夏。孟夏、中夏、季夏。

扶疎     枝を伸ばしているさま。

有託     あずけるところがある。託児所。

窮巷     むさくるしい街。

隔深轍     「深轍」ふかいわだち。高位高官の大きな車が通らない。

     すこぶる、いささか。

故人     友人。

氾覧、流觀     ひろくよむ、ながしよむ、ざっとよむ。「汜」ではなく、「氾」である。

周王傳     周の穆王の伝記。

俯仰終宇宙     あっという間に宇宙を駆け巡った気分になる。

     

詩の鑑賞

陶淵明が山海経を読んで、その楽しみを詠った詩。 「不樂復何如」(たのしからずして、またいかん。)楽しくないことがあろうか、いや楽しいことだ。
4世紀の陶淵明の「不樂復何如」は、この後、8世紀に、李適之の「朝退」、儲光羲の「游茅山」に現れ 16世紀の伊達政宗の「遣興」に現れる。
皆さんが、この句を結句にして佳詩を作っておけば、後世の人がまた喜んでくれるかも知れませんよ。




 


游茅山五首其五  唐 儲光羲

全唐詩 卷一百三十六


 游茅山五首其五  儲光羲

名嶽征仙事,

清都訪道書。

山門入松柏,

天路涵空虚。

南極見朝采,

西潭聞夜漁。

遠心尚雲宿,

浪跡出林居。

為己存實際,

忘形同化初。

此行良已矣,

不樂複何如。


 茅山ぼうざんあその五    儲光羲ちょこうぎ

名嶽めいがく 征仙せいせんこと

清都せいと 訪道ほうどうしょ

山門さんもん 松柏しょうはく

天路てんろ 空虚くうきょひた

南極なんきょく朝采ちょうさい

西潭せいたん夜漁やりょう

遠心えんしん なお雲宿うんしゅく

浪跡ろうせき 林居りんきょ

為己いき 存實そんじつさい

忘形ぼうけい 同化どうかはじ

此行このこう 已矣かな

たのしからして また何如いかん


字句解釈

儲光羲       呉の人。726年進士。道教、老荘思想の人。

茅山     江蘇省(呉)にある山の名。漢代に仙人が住んだ。

征仙     仙人の処に行く。

訪道     老子の「道」(たお)を訪ねる。

空虚     道教は「虚」、仏教は「空」。

見朝采     伯夷・叔斉の故事あり。 「采」は①採、②彩の意があるがここは①。朝、樵が蕨を採っているのを見る。

聞夜漁     夜、漁民が漁をしているのを見る。樵と漁民と牧童は隠者に近いという見方がある。 例、杜牧 牧童遙指杏花村。

浪跡     あてもなく歩く。

為己     自分の修養ため。

存實際      道教の述語?

忘形同化     もろもろ形あるものを忘れ自然と一体となる。

不樂複何如     楽しくなくてなんだろうか、実に楽しいことだ。



     

詩の鑑賞

儲光羲の道教思想の盛り込まれた詩。 道教の述語が頻出する。






詩 吟

貧交行  唐 杜 甫

漢詩を楽しむ 47頁  漢詩鑑賞辞典 286頁  
全唐詩 巻二百十六


 貧交行  杜 甫

翻手作雲覆手雨

紛紛輕薄何須數

君不見管鮑貧時交

此道今人棄如土


 貧交行ひんこうこう  杜甫とほ

ひるがえせば くもり  くつがせば あめ

紛紛ふんぷんたる輕薄けいはく なんかぞうるをもちいん

きみや 管鮑かんぽう貧時ひんじまじわり

みち 今人こんじんすてつちごと



 


回郷偶書二首  唐 賀知章

漢詩鑑賞辞典 119頁  全唐詩 卷一百一十二


 回郷偶書二首  賀知章

少小離家老大回,

郷音難改鬢毛衰。

兒童相見不相識,

笑問客從何處來。



離別家郷歳月多,

近來人事半銷磨。

唯有門前鏡湖水,

春風不改舊時波。


 きょうかえりてたまたしょす    賀知章がちしょう

少小しょうしょう いえはな老大ろうだいにしてかえ

郷音きょうおん あらたかた鬢毛びんもうおとろ

兒童じどう あいるもあいしら

わらつてう かく何處いずこよりきたると



家郷かきょう離別りべつして歳月さいげつおお

ちかごろたれば 人事じんじなか銷磨しょうま

門前鏡湖もんぜんきょうこみずるのみ

春風しゅんぷう あらためず 舊時きゅうじなみ


字句解釈

少小     少は若い。「少小老大」子供のとき、歳とって。対句。

     この詩は韻が灰韻である。「衰」の灰韻は喪服の意となる、韻違いか?  催(もよおす)、摧(くだける)となったテキストもある。

郷音     なまり。

兒童     普通の子供ではなく、一族の子であろう。

相見、相識     「相」は漢語では「お互いに」の意ではなくてよいが、ここでは「お互いに」の意でとってもよいか。 「識」は「にんしき」の意、「知」は抽象的「しる、ちしき」の意。ここでは平仄の関係で「識」となっている。

人事      ①ひとのこと②人のしわざ③人の身分④人間社会の事柄。ここでは④で、自然の変わらぬことに 対し、人事の変わりようを対比している。

銷磨      きえてなくなる、昔の人がいなくなっている。

唯有ーー      「ただーーあるのみ。」と書き下す。

     

詩の鑑賞

賀知章は天宝元年(742)李白に会い、その年に職を辞した。その時、郷里、会稽の鏡湖をもらい、郷里に帰った。
  自分では越人だと思っていたが、子供からよそ者と見られて、また自然の変わらぬのに対して 人事の変化を目にして、若干の悲哀、寂しさをかんじたか、その思いが平易な言葉で上手に表現されている。賀知章らしい詩。




 


題袁氏別業  唐 賀知章

全唐詩 卷一百一十二


 題袁氏別業  賀知章

主人不相識,

偶坐為林泉。

莫謾愁沽酒,

囊中自有錢。


 袁氏えんし別業ばつぎょうだいす    賀知章がちしょう

主人しゅじん あいらず

たまたますは 林泉りんせんためなり

みだりさけうをうれかれ

囊中のうちゅう おのずからぜにあり


字句解釈

別業     別荘。当時の別荘は山あり、谷ありの広大な別荘であった。

偶坐     相対して座る。

      わざわざ。

囊中     さいふ。

       

詩の鑑賞

面識のない人の美しい別荘に入って、その主人にたいして酒の接待を気遣わせない 賀知章の気遣いが現れている賀知章らしい詩。




 


送賀賓客歸越  唐 李 白

全唐詩 卷一百七十六


 送賀賓客歸越  李 白

鏡湖流水漾清波,

狂客歸舟逸興多。

山陰道士如相見,

應寫黄庭換白鵝。


 賀賓客がひんかくえつかえるをおくる    李 白りはく

鏡湖きょうこ流水りゅうすい清波せいはただよわす

狂客きょうかく歸舟きしゅう 逸興いっきょうおおからん

山陰さんいん道士どうし もしあいまみえれば

まさ黄庭こうていうつして白鵝はくがかえるべし


字句解釈

賓客     職名、太子賓客。皇太子の侍従、話し相手。

狂客     賀知章は「四明狂客」と自称していた。

逸興     すぐれて風流な趣。

山陰     会稽山陰。

寫黄庭換白鵝     「黄庭」は黄庭經、「白鵝」は「しろいがちょう」。 山陰の道士が王羲之に白鵝を進呈して黄庭經を書いてもらった故事を踏まえている。 賀知章は書が上手なので道士が鵞鳥を持って写経を願いにくるだろうと言っている。

     

詩の鑑賞

賀知章が職を辞して、故郷の越に帰るときの送別会での李白の詩。あからさまに書の上手を誉めないで故事を使って婉曲にほめている。うまい!




 


對酒憶賀監二首  唐 李 白

全唐詩 卷一百八十二


 對酒憶賀監二首  李 白

太子賓客賀公。
於長安紫極宮一見余。
呼余爲謫仙人。因解金龜換酒樂。
歿後對酒。惆然有懷。
而作是詩。

四明有狂客,

風流賀季真。

長安一相見,

呼我謫仙人。

昔好杯中物,

翻為松下塵。

金龜換酒處,

卻憶涙沾巾。


狂客歸四明,

山陰道士迎。

敕賜鏡湖水,

為君台沼榮。

人亡餘故宅,

空有荷花生。

念此杳如夢,

淒然傷我情。


 さけたいして賀監がかんおもう    李 白りはく

太子賓客賀公たいしひんかくがこう
長安紫極宮ちょうあんしきょくきゅうおい一見いっけんす。
びて謫仙人たくせんにんす。
って 金龜きんきいてさけかえたのしむ。
歿後ぼつごさけたいす。
惆然ちょうぜんおもいり。
しかして つくる。



四明しめい狂客きょうかくあり

風流ふうりゅう賀季真がきしん

長安ちょうあんひとたび相見あいみ

われ謫仙人たくせんにん

むかし杯中はいちゅうものこのみしが

かえって松下しょうかちり

金龜きんきさけかえところ

かえっておもう なみだきんうるおすを


狂客きょうかく 四明しめいかえ

山陰さんいん 道士どうしむか

ちょくしてたま鏡湖きょうこみず

きみため 台沼たいしょうさかえる

ひとほろんで 故宅こたくあま

むなしく荷花かかしょうずる

これおもえばようとしてゆめごと

淒然せいぜんとして我情わがじょういたましむ


字句解釈

賀監     賀知章は、李白に会ったとき、秘書監の職にあった。ちなみに、阿倍仲麻呂も秘書監を務めた。

謫仙人     「謫」は流される。天からこの世に左遷された仙人。

金龜     携行品をいれる袋の留め金。銅、銀、金、で出来ている。高位は金。

四明     地名。一般に他人を狂客と呼ぶのは礼を失するが、賀知章は「四明狂人」と自称していたので 親しみをこめてこう呼んだ。

賀季真     季真は字(あざな)。

杯中物     酒。

翻、卻     昔と違って。前とは逆に。

松下塵     墓の中の塵。一般に墓地には松を植えた。

台沼     丘と沼。

     残す。

荷花     蓮の花。

     はるかにくらい。

淒然     さびしい。

     

詩の鑑賞

賀知章は越に帰った直後の天宝3年に86歳で死去した。李白の追悼の詩。






 


重憶一首  唐 李 白

全唐詩 卷一百八十二


 重憶一首  李 白

欲向江東去,

定將誰舉杯。

稽山無賀老,

卻棹酒船回。


 かさねおも一首いっしゅ    李 白りはく

江東こうとうむかってらんとっするも

さだめてだれともはいあげ

稽山けいざん賀老がろう

かえって酒船しゅせんさおさしてかえらん


字句解釈

江東     長江(揚子江)の東、賀知章の故郷。

賀老     「老」は尊敬の語。

     

詩の鑑賞

李白の賀知章に対する尊敬と懐かしさの思いがよく詠まれている。




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Last modified First updated 2015/03/15