第22回講義

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杜 甫 作詩の背景




「杜甫年譜」

杜甫年譜4 764年 53歳 ~770年 59歳


「詩人杜甫の
足あと」


人名  肅宗  代宗  公孫 述  懐王  劉備玄徳
地名  四川省(成都)  重 慶  夔州(きしゅう)  三 峡  白帝城  春秋戦国時代地図
山名  大巴山  巫 山
川名  黄河  淮河  長江
用語  巫山の雲雨

     


 

参考 再掲



秋興八首  唐 杜 甫
漢詩鑑賞辞典337頁  全唐詩卷二百三十


 秋興八首  杜 甫

玉露凋傷楓樹林,

巫山巫峽氣蕭森。

江間波浪兼天湧,

塞上風雲接地陰。

叢菊兩開他日涙,

孤舟一系故園心。

寒衣處處催刀尺,

白帝城高急暮砧。


 秋興八首しゅうきょうはっしゅ   杜 甫と ほ

玉露ぎょくろ 凋傷ちょうしょうす 楓樹林ふうじゅりん

巫山ふざん 巫峽ふきょう 氣蕭森きしょうしん

江間こうかん波浪はろう てんかね

塞上さいじょう風雲ふううん せつしてくも

叢菊そうぎく ふたたびひら他日たじつなみだ

孤舟こしゅう ひとえつな故園こえんこころ

寒衣かんい 處處しょしょ 刀尺とうせきもよお

白帝城はくていじょうたかくして 暮砧ぼちんきゅうなり


字句解釈

玉露    珠のように美しい露。

凋傷    しぼむ。しぼませる。

楓樹林    「楓」まんさく科ふう属。大木となり、秋にこうようする。

 日本の「楓」かえで。「槭樹」。かえで科かえで属はべつ。(参考)杜 牧「山行」

氣蕭森    「気」は気配。「蕭森」静かで物寂しいさま。

兼天    「兼」は一緒になる意。天にとどく。

塞上    とりでのうえ。

叢菊    群生した菊。

兩開    2年開いた。二度見た。

他日涙    過去を思って流す涙。石川忠久。過去にこぼした涙。黒川洋一。

一系    ひたすらつなぐ。石川忠久。つないだままになっている。黒川洋一。

刀尺    刀と物差し。鋏と物差し。裁縫。秋になったので衣類を繕う。

砧    きぬた。石の台。衣類をついて柔らかくする。(参考)李 白「子夜呉歌」

     

詩の鑑賞

厳武の死により、776年杜甫は長江を下り、夔州に至り2年間滞在した。この夔州時代、2年で 400首の詩を創り、杜甫の詩は最高潮に達した。対句が見事である。




 

参考 再掲



返 照  唐 杜 甫
漢詩を楽しむ33頁  全唐詩卷二百三十


 返 照  杜 甫

楚王宮北正黄昏,

白帝城西過雨痕。

返照入江翻石壁,

歸雲擁樹失山村。

衰年肺病唯高枕,

絶塞愁時早閉門。

不可久留豺虎亂,

南方實有未招魂。


 返 照へんしょう   杜 甫と ほ

楚王そおう 宮北きゅうほく まさ黄昏こうこん

白帝はくてい 城西じょうせい 過雨かうこん

返照へんしょう こういって 石壁せきへきひるがえ

歸雲きうん じゅようして 山村さんそんうしな

衰年すいねん はいみ ただまくらたかくし

絶塞ぜっさい ときうれえて はやもん

ひさし豺虎さいこらんとどまからず

南方なんぽう じついままねかれざるこんあり


字句解釈

楚王    懐王

過雨    とおりあめ。

返照    2ヶの山の山影の上の日に当たった部分。

絶塞    都から遠く離れたとりで。

愁時    ①秋のこと。②時世をうれう。

豺虎    山犬と虎。悪いやつ。

南方    都にたいする南。

未招魂    呼びかえされていない魂。屈原の故事あり。帰りたいと思うが帰れない自分(杜甫)がここにいる。

     

詩の鑑賞

杜甫の、故郷に帰りたいのに帰れない、悲痛な叫びである。杜甫の詩の特徴であるが、前半(第1句~第4句)で情景を詠い、 後半で心情を詠っている。




 

参考 再掲



解悶十二首  唐 杜 甫
全唐詩卷二百三十


 解 悶  杜 甫

複憶襄陽孟浩然,

清詩句句盡堪傳。

即今耆舊無新語,

漫釣槎頭縮頸鯿。


 解 悶かいもんとうこう   杜 甫と ほ

おもう 襄陽じょうよう孟浩然もうこうねん

清詩せいし 句句くく ことごとつたうるにたえたり

即今そくこん 耆舊ろうもう 新語しんご

みだりる 槎頭さとう 縮頸しゅくけい鯿へん


字句解釈

解悶    悶えを解く。うさばらし。絶句12首をまとめて「解悶」と題した。

襄陽孟浩然    襄陽は孟浩然の生没の地であり、杜甫の先祖の出身地である。

即今    きょうこのごろ。

耆舊    としより。 参考「耆舊伝」

無新語    新しい言葉がない、良い詩がない。

槎頭    いかだ。いけす。

縮頸鯿    首のちじまった鯿(鮒に似た魚)。

     

詩の鑑賞

昔、会った孟浩然を懐かしんで詠んだ。杜甫にとっては手慰みの一首であろう。 杜甫は「耆舊伝」を読んでいて、襄陽出身の杜甫の祖先の記事も見たことであろう。




 


参考 再掲



解悶十二首其二  唐 杜 甫
全唐詩卷二百三十


 解悶 其二  杜 甫

商胡離別下揚州,

憶上西陵故驛樓。

為問淮南米貴賤,

老夫乘興欲東流。


 解悶かいもんとうこう    杜 甫と ほ

商胡しょうこ 離別りべつして 揚州ようしゅうくだる

おもう 西陵せいりょう故驛こえきろうのぼりしを

ためう 淮南わいなんこめ貴賤きせん

老夫ろうふ きょうじょうじて 東流とうりゅうせんとほつ


字句解釈

商胡    えびすの商人。

離別    別れのあいさつにきて去った。

揚州    江南第一の大都会。杜甫も曾てここに遊んだ。

西陵    江南、越国にある。

為問    自分のために聞くのだが。

淮南    淮河の南。

米貴賤    米価の高低。

老夫     自分のこと。

     

詩の鑑賞

杜甫は律詩が主であるが、暇なときにできた七言絶句12首をまとめて「解悶」とした。






参考 再掲



早発白帝城  唐 李 白

漢詩を楽しむ32頁、漢詩鑑賞辞典189頁、岩波唐詩選下49頁


 早発白帝城  李 白

朝辞白帝彩雲間

千里江陵一日還

両岸猿声啼不住

軽舟已過万重山


 つと白帝城はくていじょうはつす  李白りはく

あしたす 白帝はくてい 彩雲さいうんかん

千里せんり江陵こうりょう 一日いちじつにしてかえ

両岸りょうがん猿声えんせい いてまざるに

軽舟けいしゅう すでぐ 万重ばんちょうやま 


字句解釈

早  朝早く。李白が白帝城から三峡を下った機会は、李白の人生中に2回あった。一度は25歳で初めて長江を下った時、 もう一度は59歳、安禄山の乱に際して蜀に流罪となり、途中許されて再度長江を下ることになった時である。
いずれの時にこの詩が出来たかについては説が分かれるが、詩の雰囲気に若さが見られることから講者は前者25歳説 を採りたい。

白帝城  四川省奉節県瞿塘くとう峡の入り口にある。漢末に公孫述が築いたとりで。 公孫述は五行説により、土徳に対して金(白)徳をとり、白帝と称した。(陰陽五行説)木火土金水、春南 西北、青赤黄白黒、青龍朱 雀白虎玄武  白帝廟写真

辞  1.ことば 2.ことわる 3.いとまごいする 4.礼をいう 5.とく(説)6.つげる(告) 7.せめる(責)  8.韻文体の一種 ここでは3.いとまごいする。

彩雲  朝焼けの雲。彩霞。

江陵  楚の国の都,郢(えい)。荊州。江陵は唐代の地名。

千里一日還  千里(500km)を一日で行くのは無理がある。白髪三千丈と同様、急流による船の速い表現。実際は3日はかかるという。 「還る」が59歳説の一つの根拠となっているが、素直に舟が帰ってきたと見てよい。

猿声  猿の鳴き声。日本の猿と違ってこのあたりの猿は悲しげに啼くという。悲しい「断腸」の故事もある。

軽舟  足の速い舟。

万重山  幾重にも重なった山々。


詩の鑑賞

この詩は、色彩感(白帝の白、彩雲の赤の対照)、躍動感(千里一日還、猿声啼不住)に溢れ、 千と一、軽と重の語句の対照が巧妙である。李白の傑作中の傑作である。




 


登 高  唐 杜 甫
漢詩鑑賞辞典341頁  全唐詩卷二百二十七


 登 高  杜 甫

風急天高猿嘯哀,

渚清沙白鳥飛回。

無邊落木蕭蕭下,

不盡長江袞袞來。

萬里悲秋常作客,

百年多病獨登臺。

艱難苦恨繁霜鬢,

潦倒新停濁酒杯。


 登 高とうこう   杜 甫と ほ

風急かぜきゅうに 天高てんたかくして 猿嘯哀えんしょうかな

渚清なぎさきよく 沙白すなしろくして 鳥飛とりとめぐ

無邊むへんの 落木らくぼく 蕭蕭しょうしょうもと

きず 長江ちょうこう 袞袞來あいあいきたる

萬里ばんりの 悲秋ひしゅう つねかく

百年ひゃくねん 多病たびょう ひとだいのぼ

艱難かんなん はなはうらむ 繁霜はんそうひん

潦倒りょうとう あらたとどむ 濁酒だくしゅはい


字句解釈

登高  たかきにのぼる。 山に登る。 9月9日、重陽の節句。 9は奇数の最大、めでたい数。   須臾の実を飾って山に登って酒を飲む。中国の須臾は五須臾で日本の三須臾とは異なる。 魔除け。

風急   風が激しい。

落木   風で木の葉が落ちるさま。

蕭蕭   物寂しいさま。

客   常の住所から離れている人。たびびと。

潦倒   ①老衰委のさま。②穏やかでおくゆかしいさま。ここでは①.

新停濁酒杯   酒も飲めなくなった。昔はよく飲んだ。ー> 「曲 江」


詩の鑑賞

古今東西の七言絶句の最高傑作と言われる杜甫の名詩である。詩の全体が対句となっている。詩の前半は景色、後半は思い。 上を見、下を見、遠くを見、周りを見る。用意周到である。
胡応麟はこの詩を「古今七律の第一」と賞賛している。






再 掲

登岳陽樓 杜 甫
漢詩を楽しむ34頁  漢詩鑑賞辞典343頁

  孟浩然「望洞庭湖贈張丞相」と古来、双璧と称される杜甫の絶唱です。


 登岳陽樓 杜 甫

昔聞洞庭水,今上岳陽樓。

呉楚東南拆,乾坤日夜浮。

親朋無一字,老病有孤舟。

戎馬關山北,憑軒涕泗流。


 岳陽樓がくようろう登る  杜 甫と ほ

昔聞く 洞庭の水  今 のぼる 岳陽樓がくようろう

呉楚ごそ 東南にけ、 乾坤けんこん 日夜浮ぶ

親朋しんぽう 一字無く、 老病ろうびょう 孤舟こしゅう有り。

戎馬じゅうば 關山かんざん、 けんりて 涕泗ていし流る。


字句解釈

昔聞洞庭水    昔、洞庭湖についての神話伝説故事来歴を聞いた。 洞庭湖には神話伝説が多い、日本の出雲のようなところ。

呉楚    呉の国と楚の国。この辺りを総称して呉楚といい、それを揚子江が 二分しているさま。

乾坤    天地。

親朋    家族と友人。

戎馬    戦争用の馬。戦争。この年、チベット族が長安に攻め込んだ。

關山北   関所の山。北方の関山は杜甫の古里。

憑軒    軒欄(てすり)に依る。三国時代の詩に用例あり。

涕泗    涕(なみだ)と泗(はなじる)。


詩 形


五言律詩


詩の鑑賞

大暦3年、786年、杜甫57歳 夔州を去って、江陵に3ヶ月滞在の後、 その年の暮れに洞庭湖に至り、岳陽樓に上る。 この詩は、杜甫晩年の作で、対の見事な頷聯

呉楚東南拆
乾坤日夜浮

が古来絶唱とされている。 洞庭湖を詠んだ詩の双璧は、孟浩然(730頃)と杜甫(786)のこの詩である。
また、洞庭湖には神話伝説が多い。日本でいえば国引き伝説などの多い出雲がこれに近い。
詩の前半4句で情景、後半4句で心情を詠う。






関連詩再掲

望洞庭湖贈張丞相  唐 孟浩然
全唐詩160孟浩然 漢詩鑑賞辞典129 唐詩選上284頁


 望洞庭湖贈張丞相 孟浩然

八月湖水平,涵虚混太清。

氣蒸雲夢澤,波撼岳陽城。

欲濟無舟楫,端居恥聖明。

坐觀垂釣者,空有羨魚情。

    

 洞庭湖どうていこを望み張丞相ちょうじょうしょうに贈る  孟浩然もうこうねん

八月 湖水 平らかに、きょしたして太清たいせいこんず。

す 雲夢うんぼうたくなみゆるが岳陽城がくようじょう

わたらんとほっして 舟楫しゅうしゅうなく、端居たんきょして聖明せいめいず。

そぞろ垂釣すいちょうものては、むなしくうおうらやむのじょうあり。


字句解釈

洞庭湖 中国第2の大湖、湖南省にあり、揚子江と接続する。ちなみに第1の 大湖は青海湖(海抜3,200m)である。 八月(現九月)は増水期にあたり、一面大湖となる。

張丞相 丞相は大臣、あるいは、総理大臣。張は張九齢であろう。張エツとの説もある。
張九齢は荊州の江陵に左遷されたことがある。そのころ孟浩然が訪ねて就活運動をしたようだ。

涵虚  虚空を水中にひたす。おおぞらを水浸しにする。

太清  大空。空と水が一体になる。

氣蒸  雲・霧・霞などが立ち上ること。

雲夢澤 洞庭湖とその北の大きな沼沢地。雲澤と夢澤があった。夢は暗いの意がある。前漢武帝に仕えた司馬相如 に「子虚賦」がある。賦は文章の意で、文選に録されている。「楚には7つの湖あり、広さ方900里。(1里=500m)」

岳陽城 洞庭湖の東北端にある町。城壁に取り巻かれた岳陽の町。

濟   1.わたる。2.すくう。(経世済民、「経済」ほ日本人作。) ここでは「わたる」。

舟楫  船と楫(かい)。書経に故事あり。若濟巨川用汝為舟楫。若し巨川を濟らば、汝を用いて舟楫と為さん。 解釈に「才能がない。」と「つてがない。」の2説あり。

端居  へいぼんな生活。

聖明  天子(玄宗皇帝)の徳。

坐觀  ただ何となく見る。

垂釣者 魚を釣る人。

羨魚情 魚をほしいと思う気持ち。漢書に故事あり。臨淵羨魚不如退而結網。淵に臨んで魚を羨まば、退きて網を結ぶべし。 「魚が欲しければ網を結え。」


詩 形


五言律詩
律詩は漢詩の近体詩の一。一句が五言または七言の八句からなる。各々二句ずつを一組(聯レン)とし初めから、 起聯・頷連(前聯)・頸聯(後聯)・尾聯といい、絶句の起・承・転・結にあたる。原則として第三句と第四句、 第五句と第六句が対句を構成し、押韻、五言は二・四・六・八句の末尾、七言では一・二・四・六・八句の末尾の 文字にふむ。第一句の二字めを平で始める平起式と、仄で始める仄起式とがある。唐代に定まった詩形。 (文体明弁、近体律詩)--大漢語林

七言律詩では二四不同、二六対、下三連禁止、四字目孤平不可。五言律詩では二四不同、下三連禁止、二字目の孤平不可。

テキスト138頁参照。


詩の鑑賞

この詩は、頷聯の対が見事で古来五言律詩の絶唱とされている。

氣蒸雲夢澤
波撼岳陽城

洞庭湖を詠んだ詩として、この詩と並び称されるのは杜甫の「登岳陽楼」であり、その頷聯もまた古来絶賛されている。




 


江南逢李龜年  唐 杜 甫
漢詩鑑賞辞典345頁  全唐詩卷二百三十二


 江南逢李龜年  杜 甫

岐王宅裏尋常見,

崔九堂前幾度聞。

正是江南好風景,

落花時節又逢君。


 江南こうなんにて李龜年りきねんう   杜 甫と ほ

岐王きおう宅裏たくり 尋常じんじょう

崔九さいきゅう堂前どうぜん 幾度いくたび

まさこれ 江南こうなん好風景こうふうけい

落花らっか時節じせつ またきみ


字句解釈

李龜年  うたうたい。 李白の 「清平調詞」を玄宗皇帝の前で歌った。

岐 王   玄宗の弟。

崔 九   貴族。杜甫の母は崔氏。


詩の鑑賞

長安で華やかな宴で歌っていた李龜年に、お互い落ちぶれて、江南の地で偶然に逢った。
大暦5年(770)杜甫59歳、最晩年の作。




 


小寒食舟中作  唐 杜 甫
全唐詩卷二百三十三


 小寒食舟中作  杜 甫

佳辰強飯食猶寒,

隱几蕭條帶鶡冠。

春水船如天上坐,

老年花似霧中看。

娟娟戲蝶過閑幔,

片片輕鷗下急湍。

雲白山青萬餘裏,

愁看直北是長安。


 小寒食しょうかんしょく 舟中しゅうちゅうさく   杜 甫と ほ

佳辰かしん 強飯きょうはん しょくすればさむ

り 蕭條しょうじょうとして 鶡冠かつかん

春水しゅんすい ふね天上てんじょうするがごと

老年ろうねん はな霧中むちゅうるにたり

娟娟けんけんたる 戲蝶ぎちょう 閑幔かんまく

片片へんぺんたる 輕鷗けいおう 急湍きゅうたんくだ

雲白くもしろく  山青やまあおく 萬餘ばんようち

うれる 直北ちょくほく長安ちょうあん


字句解釈

小寒食  寒食は節のなまえ。冷たい食事。冬至から105日目、陽暦4月初。このころ、春一番など風が吹き、 火事が多いため火を禁じる日を設けた。その前後の日を小寒食といい、同じく火を禁じた。107日目が清明である。

佳辰   ①めでたい日。②天気の良い日。

強飯   強いて食べる。体に気をつけましょうの意。->王維「酌酒與裴迪」下記参照

隱几   隱 ①よる=依る ②かくす。ここは①。几は支えるもの。

蕭條   ものさびしいさま。

帶鶡冠   鶡冠 やまどりの羽のかんむり。古くは高貴の人、後には隠者の帽子。

片片   きれぎれの。綿々の対。

輕鷗   かろやかなカモメ。はやいカモメ。=軽船。

愁看   悲しみの目で看る。


詩の鑑賞

「雲白山青萬餘裏 愁看直北是長安」は杜甫の絶筆となった。 この後、杜甫は、耒陽(らいよう)で大水に遭って、食料が得られずにいるとき、県令から牛肉と白酒が贈られ、 これを食べすぎて死に至ったという。長沙の北方で死すとの説もある。大暦5年(770)59歳。




 


寒 食  唐 韓 翃
唐詩選下163頁  全唐詩 卷二百四十五


 寒 食  韓 翃

春城無處不飛花,

寒食東風禦柳斜。

日暮漢宮傳蝋燭,

輕煙散入五侯家。


 寒 食かんしょく   韓 翃かんこう

春城しゅんじょう ところとして はなとばさざる

寒食かんしょく 東風とうふう 禦柳ごりょうななめなり

日暮にちぼ 漢宮かんきゅう 蝋燭ろうそくつた

けむりさんじて五侯ごこういえ


字句解釈

禦柳  宮廷の柳。

五侯  公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵。

傳蝋燭   寒食あけに宮廷から蝋燭で火種が配られる。


詩の鑑賞

寒食の風物詩。




 


酌酒與裴迪  唐 王 維
漢詩鑑賞辞典175頁  全唐詩 卷一百二十八


 酌酒與裴迪  王 維

酌酒與君君自寬,

人情翻覆似波瀾。

白首相知猶按劍,

朱門先達笑彈冠。

草色全經細雨濕,

花枝欲動春風寒。

世事浮雲何足問,

不如高臥且加餐。


 さけんで裴迪はいてきあたう    王 維おうい

さけんできみあたう きみおのずかゆるうせよ

人情にんじょう翻覆はんぷく波瀾はらんたり

白首はくしゅ相知そうちすらけんあん

朱門しゅもん先達せんだつ彈冠だんかんわら

草色そうしょくまつたく細雨さいううるお

花枝かしうごかんとほつして春風寒しゅんぷうさむ

世事せじ浮雲ふうんんぞうにらん

かず高臥こうがしてしばらさんくわえんには


字句解釈

加餐  餐を加う。食事をする。「強飯」、強いて飯を食う、と同様な用法。


詩の鑑賞

浮世のとやかくに拘泥せず、よく食うて、よく眠るがよい。




 


洞庭湖




洞庭湖の神話

年 表   中国の歴史要約
人 名   伏義・女媧      娥皇・女英
地 名   楚(都は郢(えい))   洞庭湖・湘江・瀟水・長沙   君山   蒼梧
用 語   鼓腹撃壌   湘霊鼓瑟

     


 


歸 雁  唐 錢 起
唐詩選(下)155頁  全唐詩 卷二百三十九


 歸 雁  錢 起

瀟湘何事等閒回,

水碧沙明兩岸苔。

二十五弦彈夜月,

不勝清怨卻飛來。


 歸 雁きがん   錢 起せんき

瀟湘しょうしょう 何事なにごとぞ 等閒とうかんにしてかえ

みずみどりに すなあきらかにして兩岸りょうがんこけむしたり

二十五弦にじゅうごげん 夜月やげつだんずれば

清怨せいえんえずして 卻飛きゃくひきた


字句解釈

瀟湘  瀟水と湘江。

等閒  なおざり。

二十五弦  瑟五十弦


詩の鑑賞

歸雁と神話を結び付けた一詩。作者には「湘靈鼓瑟」(五言排律)がある。




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Last modified    First updated 2015/12/10