第27回講義

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2016.07.28 録音

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白居易 作詩の背景




「白楽天年譜」

白楽天年譜1 772年 1歳 ~800年 29歳
白楽天年譜2 801年 30歳 ~815年 44歳


中国文学地図

地名  長安  盩厔県(ちゅうちつけん、陝西省周至県)  


「人名・用語・書名」

人名  李林甫  元 稹  楊貴妃  陳 鴻
用語  翰林学士  左拾遺  風諭詩  科挙  宦官
書名  和漢朗詠集  枕草子  源氏物語

     

 

再掲


新豐折臂翁   唐 白居易
漢詩鑑賞辞典445頁 全唐詩卷卷四百二十六


 新豐折臂翁  白居易

新豐老翁八十八,

頭鬢眉須皆似雪。

玄孫扶向店前行,

左臂憑肩右臂折。

問翁臂折來幾年,

兼問致折何因縁。

翁雲貫屬新豐縣,

生逢聖代無征戰。

慣聽梨園歌管聲,

不識旗槍與弓箭。

無何天寶大徴兵,

戸有三丁點一丁。

點得驅將何處去,

五月萬里雲南行。

聞道雲南有瀘水,

椒花落時瘴煙起。

大軍徒渉水如湯,

未過十人二三死。

村南村北哭聲哀,

兒別爺娘夫別妻。

皆雲前後征蠻者,

千萬人行無一回。

是時翁年二十四,

兵部牒中有名字。

夜深不敢使人知,

偸將大石捶折臂。

張弓簸旗倶不堪,

從茲始免征雲南。

骨碎筋傷非不苦,

且圖揀退歸郷土。

此臂折來六十年,

一肢雖廢一身全。

至今風雨陰寒夜,

直到天明痛不眠。

痛不眠,終不悔,

且喜老身今獨在。

不然當時瀘水頭,

身死魂孤骨不收。

應作雲南望郷鬼,

萬人塚上哭呦呦。

老人言,君聽取。

君不聞開元宰相宋開府,

不賞邊功防黷武。

又不聞天寶宰相楊國忠,

欲求恩幸立邊功。

邊功未立生人怨,

請問新豐折臂翁。


 新豐しんぽううでるのう  白居易はくきょい

新豐しんぽう老翁ろうおう 八十八はちじゅはち

頭鬢とうびん 眉須びしゅ みなゆきたり

玄孫げんそんたすけられて店前てんぜんむかいて

左臂さひかたり 右臂うひ

おうう 臂折ひおれてより幾年いくねん

かねう るをいたせるは なん因縁いんねん

おうう かん新豐縣しんぽうけんぞく

まれて聖代せいだいい 征戰せいせん

くになれる 梨園歌管りえんかんかこえ

らず 旗槍きそう弓箭きゅうせん

いくばくく 天寶てんぽう おおいにへいちょう




三丁さんてれば 一丁いちていてん

てんて って 何處いずくにか

五月ごがつ 萬里ばんり 雲南うんなんこう

聞道きくならく 雲南うんなん 瀘水ろすい

椒花しょうか つるとき 瘴煙しょうきおこると

大軍たいぐん 徒渉としょう 水湯みずゆごと

いますぎざるに 十人じゅうにんに 二三にさんすと

村南そんなん 村北そんほく 哭聲こくせいかな

爺娘やろうわかれ おっとつまわか





みなう 前後ぜんご ばんせいするもの

千萬人せんまんにんきて いつかえ

とき 翁年おきなとし 二十四にじゅうよん

兵部へいぶ牒中ちょうちゅう名字みょうじ

ふけて あえひとをしてらしめず

ひそか大石たいせきって ついして

ゆみり はたふりあぐに ともたえ

これり はじめて雲南うんなんくをまぬが

骨碎ほねくだけ 筋傷すじいたむは くるいからざるにらず

かつはかる 揀退かんたいせられて 郷土きょうどかえらんことを

 おれてより 六十年ろくじゅうねん

一肢いっし はいするといえども 一身全いっしんまったし

いまいたるも 風雨ふうう 陰寒いんかんよる

ただち天明てんめいいたるも いたみてねむられず




いたみてねむられざるも るいにはくい

老身ろうしんよろこび 今獨いまひとり

しからずんば 當時とうじ 瀘水ほとり

身死みしし 魂孤こんこにして こつおさめず

まさ雲南うんなんに 望郷ぼうきょうりたるべし

萬人ばんじん 塚上ちょうじょうに こくして呦呦ゆうゆうたり

老人ろうじんげん 君聽取きみちょうしゅせよ

きみかずや 開元かいげん宰相さいしょう 宋開府そうかいふ

邊功へんこうしょうさず けがすをふせぎしを

又不聞またきかずや 天寶てんぽう宰相さいしょう 楊國忠ようこくちゅう

恩幸おんこうもとめんとっして 邊功へんこうつを

邊功へんこう いまたずして ひとうらみしょう

とうう 新豐しんぽうりしおう


字句解釈

臂   うで。肩から手首まで。

玄孫   やしゃご。孫の孫。

瀘水   川名。

椒花   山椒の花。

瘴煙   毒気を含んだガス。。

簸旗   はたをふりあげる。

呦呦   人の泣き声の擬声。


詩の鑑賞

白居易の風諭詩の一例。杜甫の「兵車行」の影響を思わせる。 在野ではない政府の高官が時の政治を嗟く。 やがて左遷の身となる前兆である。



 

再掲


賣炭翁  唐 白居易
全唐詩卷四百二十七


 賣炭翁  白居易

賣炭翁,

伐薪燒炭南山中。

滿面塵灰煙火色,

兩鬢蒼蒼十指黑。

賣炭得錢何所營,

身上衣裳口中食。

可憐身上衣正單,

心憂炭賤願天寒。

夜來城上一尺雪,

曉駕炭車輾冰轍。

牛困人饑日已高,

市南門外泥中歇。

翩翩兩騎來是誰,

黄衣使者白衫兒。

手把文書口稱敕,

回車叱牛牽向北。

一車炭,千餘斤,

宮使驅將惜不得。

半匹紅紗一丈綾,

系向牛頭充炭直。


 すみおきな  白居易はくきょい

すみおきな

たきぎり すみく 南山なんざんうち

滿面まんめんの 塵灰じんかい 煙火えんかいろ

兩鬢りょうびん 蒼蒼そうそう 十指黑じゅっしくろ

すみり ぜにて なんいとなところ

身上しんじょうの 衣裳いしょう 口中こうちゅうしょく

あわれむべし 身上しんじょうの 衣正いしょう まさひとえ

こころすみやすきをうれい ねがわくばてんさむからんことを

夜來やら 城上じょうじょう 一尺いっせきゆき

あかつき炭車たんしゃして 冰轍ひょうてつきしらしむ



牛困うしつかれ 人饑ひとうえて 日已ひすでたか

南門外なんもんがいにて 泥中でいちゅうやす

翩翩へんぺん 兩騎りょうき たるはだれ

黄衣こういの 使者ししと 白衫はくさん

文書ぶんしょって くち>にちょくしょう

くるまめぐらし うしっして きたかわしむ

一車いっしゃすみ 千餘斤せんよきん

宮使きゅうし れば おしむもかなわず

半匹はんびきの 紅紗こうしゃ 一丈いちじょうあや

系向牛頭充炭直はんびきつなぎて牛頭ぎゅうとうむかいて すみあたい


字句解釈

南山   長安の南にある終南山。

駕   牛を車の梶棒につなぐこと。

輾   車を転がすこと。

黄衣使者   黄色の衣を着た使者。宦官。

白衫兒   白い衣を着た年若い護衛の兵士。

斤   重さの単位。600グラム。

驅將   「將」は動詞の後につけて動作の具体性を示す。。

匹   反物4丈を1匹という。

丈   1丈は3メートル。


詩の鑑賞

これらの風諭詩を新楽府と称した。楽府は本来、民情を知るために民謡を集めたのだが、やがて恋愛などが主流となったため、 白居易は元に戻して新楽府といった。約50首の新楽府を作った。


 

重 賦  唐 白居易
漢詩鑑賞辞典459頁 全唐詩卷四百二十五


 重 賦  白居易

厚地植桑麻,

所要濟生民。

生民理布帛,

所求活一身。

以下略


詩の鑑賞

農民の重税に苦しむ様子を詠った詩。白居易39歳作。


 

買 花  唐 白居易
漢詩鑑賞辞典465頁 全唐詩卷四百二十五


 買 花  白居易

帝城春欲暮,

喧喧車馬度。

共道牡丹時,

相隨買花去。

以下略


詩の鑑賞

当時流行っていた牡丹花が税金によって買われていることを嘆いた詩。


 

再掲


送王十八歸山,寄題仙遊寺  唐 白居易
漢詩を楽しむ97頁 漢詩鑑賞辞典442頁 全唐詩卷卷四百三十七


 送王十八歸山寄題仙遊寺
           白居易

曾于太白峰前住,

數到仙遊寺裏來。

黑水澄時潭底出,

白雲破處洞門開。

林間暖酒燒紅葉,

石上題詩掃綠苔。


惆悵舊遊那複到,

菊花時節羨君回。


 王十八おうじゅうはちやまかえるをおく
仙遊寺せんゆうじ寄題きだい
               白居易はくきょい

かつ太白峰前たいはくほうぜんおい

しばしば仙遊寺裏せんゆうじりいたりてきた

黑水こくすい めるとき 潭底たんてい

白雲はくうん やぶるるところ 洞門とうもんひら

林間りんかんさけあたためて 紅葉こうよう

石上せきじょうだいして 綠苔りょくたいはら

惆悵ちゅうちょうす 舊遊きゅうゆう またいたることきを

菊花きくか時節じせつ きみかえるをうらや


字句解釈

王十八   王質夫。白居易に「長恨歌」を作ることを勧めた友人。

歸山   ①官をやめて隠棲する。故郷に帰る。②僧侶が自分の寺に帰る。③道教では「死ぬ」こと。ここは①。

寄題   その場に行かないで詩を「題」すること。「題」とは詩を書きつけること。

太白峰   太白山

到來   「帰去来」と同様な用法。「来」は強意の助辞、意味はない。「到+目的語+来」の使い方あり。

潭底   淵(ふち)のそこ。

洞門   洞穴の入口。

惆悵   がっかりして悲しむ。

菊花時節   秋、酒、陶淵明を思わせる。


詩の鑑賞

白楽天が都に呼び戻されたのと前後して、白楽天に長恨歌を作ることを勧めた友人、王質夫も都に召されたと思われる。ところが何かの事情で失脚したらしく、 王は都を追われて故郷へ帰ることになった。その折に白楽天が王に送った詩。
かつてともに遊んだことをなつかしみ、今後そのような喜びが得られないことを嘆くとともに、故郷へ帰れる友人を羨むと言って、 慰めてもいる。
この律詩は首聯も破格(2・2・3でない)の対句となっている。重字、「白」「遊」「時」がある。
「林間暖酒燒紅葉 石上題詩掃綠苔」は古来有名である。和漢朗詠集、平家物語に引用がある。
平家物語 巻第六 紅葉
高倉天皇


 

再 掲



八月十五日夜禁中獨直,對月憶元九、   唐 白居易
漢詩を楽しむ80頁 漢詩鑑賞辞典468頁 全唐詩卷四百三十七


 八月十五日夜禁中獨直,
  對月憶元九  白居易

銀台金闕夕沈沈,

獨宿相思在翰林。

三五夜中新月色,

二千里外故人心。


渚宮東面煙波冷,

浴殿西頭鐘漏深。

猶恐清光不同見,

江陵卑濕足秋陰。

 八月十五日夜禁中はちがつじゅうごにちきんちゅう獨直ひとりちょくし、
 つきたいして元九げんきゅうおもう  白居易はくきょい

銀台ぎんだい 金闕きんけつ 夕沈沈ゆうべちんちん

ひと宿しゅくして 相思あいおもい 翰林かんりん

三五夜中新月色さんごやちゅう 新月しんげついろ

二千里外にせんりがい 故人こじんこころ

渚宮しょきゅうの 東面とうめん 煙波冷えんぱひややか

浴殿よくでんの 西頭せいとう 鐘漏深しょうろふか

おそる 清光せいこう おなじざることを

江陵こうりょう 卑濕ひしつにして 秋陰しゅういん


字句解釈

禁中   宮中。

銀台   銀台門。または銀の高殿。

金闕   門の上の高殿。

夕沈沈   夜が更けるさま。

相思   相手のことを憶う。(お互いに憶うではない。)

翰林   翰林院、玄宗時代にできた役所。

新月   ①出たばかりの月。②清らかな月。③満月に対する三日月。ここは①。

渚宮   江陵にある三国時代の楚の宮殿。汀の離宮。

煙波   もやの立ち込めた水面。

浴殿   長安の宮殿。

鐘漏   鐘と水時計。

江陵   三国時代楚の都。郢(えい)。 卑濕   湿気の多い。

詩の鑑賞

白居易の親友元 稹(げんじん)が楚の江陵(荊州、三国時代の郢)に左遷された。
長安から江陵にいる友を懐かしんでいる。長安と江陵は直線距離は約500km(千里)であるが、旅の行程としては1000km (二千里)はある。
「三五夜中新月色 二千里外故人心」古今第一の名対句である。また、長安と江陵をABBAで詠む、律詩の対句の技巧が凝らされている。
この詩は、和漢朗詠集はもちろん、源氏物語(須磨の巻)、謡曲などにも引用されている。



 


立 暮  唐 白居易
漢詩鑑賞辞典476頁 全唐詩卷四百三十七


 立 暮  白居易

黄昏獨立佛堂前,

滿地槐花滿樹蝉。

大抵四時心總苦,

就中腸斷是秋天。


 くれつ  白居易はくきょい

黄昏こうこん ひとぐつ 佛堂ぶつどうまえ

滿つる 槐花かいか 滿つるせみ

大抵たいてい 四時しじ こころすべくるしきに

就中なかんずく はらわたたたるるは 秋天しゅうてん

字句解釈

黄昏   たそがれ。

佛堂   母を祀った仏堂。

槐   えんじゅ。あかしやににる。花は白、黄色。

大抵   おおよそ、おおかた。多分(perhaps)ではない。

四時   1年、春夏秋冬。1月、晦(かい)・朔(さく)・弦(げん)・望(ぼう)。1日、黄昏(こうこん)(午後8時)・後夜(ごや)(午前4時)・早晨(そうじん)(午前10時)・晡時(ほじ))(午後4時)。

苦   かなしい。

就中   とりわけ。

腸斷    故事あり


詩の鑑賞

白居易四十歳のとき、母(陳氏)が亡くなり、長安東方70~80Kmの下邽(かけい)で3年の喪に服することになった。 これまでの詩と趣が変わって、この世の哀愁が詠われている。


 


村 夜  唐 白居易
漢詩鑑賞辞典478頁 全唐詩卷四百三十七


 村 夜  白居易

霜草蒼蒼蟲切切,

村南村北行人絶。

獨出門前望野田,

月明蕎麥花如雪。


 村夜暮そんや  白居易はくきょい

霜草そうそうは 蒼蒼そうそうとして 蟲切切むしせつせつ

村南そんなん村北そんほく 行人絶こうじんた

ひとり 門前もんぜんでて 野田やでんのぞめば

月明つきあきらかに 蕎麥きょうばく はなゆきごと

字句解釈

蒼蒼   ①さかんなさま。②おいたさま。③草木のあおあおとしたさま。④天、月があおい。⑤草木の盛んなさま。ここでは②、③。

切切   ①つとめはげむ。②声がほそいくたえない。ここは②.。

蕎麥   そば。


詩の鑑賞

寂しい情景。戸隠によく似た情景がある。


 


慈烏夜啼  唐 白居易
漢詩鑑賞辞典479頁 全唐詩卷四百二十四


 慈烏夜啼  白居易

慈烏失其母,

啞啞吐哀音。

晝夜不飛去,

經年守故林。

夜夜夜半啼,

聞者為沾襟。

聲中如告訴,

未盡反哺心。

百鳥豈無母,

爾獨哀怨深。

應是母慈重,

使爾悲不任。

昔有呉起者,

母歿喪不臨。

嗟哉斯徒輩,

其心不如禽。

慈烏複慈烏,

鳥中之曾參。


 慈烏夜啼じうやてい  白居易はくきょい

慈烏じう ははうしな

啞啞ああとして 哀音あいおんを 

晝夜ちゅうやり らず

經年けいねんけいねん 故林こりんを まも

夜夜よよ 夜半やはんに きく

もの ためえりうるお

聲中せいちゅう 告訴こくそするがごと

いま反哺はんぽこころつくさずと

百鳥ひゃくちょう 母無ははなからんや

爾獨なんじひとり 哀怨あいえんふか

まされ ははいつくしみおもうして

なんじ使して かなしえざらしむるなるべし

むかし 呉起ごきなるものあり

母歿ははぼっして そうのぞまず

嗟哉ああ 徒輩とはい

こころ きんかず

慈烏じう 複慈烏またじう

鳥中ちょうちゅう曾參そうしんたり


字句解釈

慈烏   =慈鴉。からす。

啞啞   ああ、鴉の泣き声。

經年   ながいあいだ。

反哺   哺はくちうつしにあたえること。

應   まさにーーべし。推量。であろう。

呉起   人名。孫呉と並び称される兵法家。

嗟哉   かなしいかな。>

曾參   人名。弟子が孝経を書いた。西安の碑林に孝経の立派な石碑がある。


詩の鑑賞

五言古詩。4句で1節をなす。平仄、下3連などの規則は問わない。韻はふむ。この詩は一韻到底である。 鴉に託して自分の母に対する心を詠っている。


 


燕詩示劉叟  唐 白居易
漢詩鑑賞辞典471頁 全唐詩 卷四百二十四


 燕詩示劉叟  白居易

梁上有雙燕,

翩翩雄與雌。

銜泥兩椽間,

一巣生四兒。

四兒日夜長,

索食聲孜孜。

青蟲不易捕,

黄口無飽期。

觜爪雖欲敝,

心力不知疲。

須臾十來往,

猶恐巣中饑。

辛勤三十日,

母痩雛漸肥。

喃喃教言語,

一一刷毛衣。

一旦羽翼成,

引上庭樹枝。

舉翅不回顧,

隨風四散飛。

雌雄空中鳴,

聲盡呼不歸。

卻入空巣裏,

啁啾終夜悲。

燕燕爾勿悲,

爾當返自思。

思爾為雛日,

高飛背母時。

當時父母念,

今日爾應知。

 燕詩劉叟えんしりゅうそうしめす  白居易はくきょい

梁上りょうじょうに 雙燕そうえん

翩翩へんぺんたり おすmwす

どろふくむ 兩椽りょうてんかん

一巣いっそう 四兒しじしょう

四兒しじ 日夜長にちやちょう

しょくもとめて こえ孜孜ししたり

青蟲せいちゅう とらやすからず

黄口こうこう 

觜爪しそう やぶれんとるといえど

心力しんりょく つかれたず

須臾しゅゆにして たび來往らいおう

おそる 巣中そうちゅう

辛勤しんきん 三十日さんじゅうにち

母痩ははやせ 雛漸ひなようやこえたり

喃喃なんなんとして 言語げんごおし

一一いちいち 毛衣もうい

一旦いったん 羽翼うよくれば

あげる 庭樹ていじゅえだ

はねあげて 回顧かいこせず

かぜしたがい 四散しさんして

雌雄しゆう 空中くうちゅう

聲盡こえつきて べどもかえらず

かえる 空巣くうそううち

啁啾ちょうしゅうして 終夜しゅうやかなしむ

燕燕えんえん なんじかなしむことかれ

なんじまさに かえってみずかおもうべし

おもなんじ ひなりし

たかび ははそむきしとき

當時とうじの 父母ふぼおもい

今日こんじつ なんじまさるべし


字句解釈

雙燕   二羽のつばめ。

兩椽   日本のたるき。「のき」は檐、簷(えん)。

孜孜   つとめはげむ。ピーピー啼く。

觜爪   くちばしとつめ。

須臾   短い時間。

漸   しだいに。(やっとではない。)

喃喃   ぺちゃくちゃとしゃべり続けること。「喋喋喃喃」小声で親しげに話し合うさま。また、男女がむつまじく語り合う さま。

啁啾    かなしげになく。

爾當返自思    當 当然のまさにーーべし。

今日爾應知 應 まさにーーべし。推量のまさに。


詩の鑑賞

五言古詩。4句で1節をなす。燕に託して自分の母に対する心を詠っている。
韻は支、微の通韻。
雌(支)兒(支)孜(支)期(支)疲(支)饑(微)肥(微)衣(微)枝(支)飛(微)歸(微)悲(支)悲(支)思(支)時(支)知(支)。
燕に託して自分の母に対する心を詠っている。
「親孝行したいときには親はなし墓に布団も着せられず」




詩 吟  安部元生様


梅溪春曉   上 夢香




 梅溪春曉   上夢香

千巖春窈窕

梅花開已饒

一白何晶潔

燦如積瓊瑤

閬苑神仙宅

相隔路非遥

昨夜烟月下

玉笛劉亮飄

月落韻亦止

溪山一寂寥

清晨排戸出

林鶯數囀嬌

么麼小簧舌

豈比仙曲調

繞枝頻瓔鳴

聊足愉春朝


 梅溪ばいけい春曉しゅんぎょう   上夢香うえむこう

千巖せんがん 春窈窕はるようちょう

梅花ばいか ひらきてすでゆたかなり

一白いっぱく んぞ晶潔しょうけつなる

さんとして瓊瑤けいようむがごとくる

閬苑ろうえん 神仙しんせんたく

へだてど みちはるかにあら

昨夜さくや 烟月えんげつもと

玉笛ぎょくてき 劉亮りゅうりょうとしてひるがえ

月落つきおちて いん

溪山けいざん いつ寂寥せきりょうたり

清晨せいしんに おしひらきてづれば

林鶯りんおう 數囀しばしばさえずりてなまめかし

么麼ようま 小簧舌しょうこうぜつ

せんや 仙曲せんきょく調しらべ

えだめぐりて しきり瓔鳴おうめい

いささ春朝しゅんちょうたのしむに


 

三月晦日題慈恩寺  唐 白居易
漢詩を楽しむ52頁 全唐詩卷四百三十六


 三月晦日題慈恩寺  白居易

慈恩春色今朝盡,

盡日裴回倚寺門。

惆悵春歸留不得,

紫藤花下漸黄昏。


 三月晦日さんがみそか慈恩寺じおんじだいす  白居易はくきょい

慈恩じおんの 春色しゅんしょく 今朝盡こんちょうつ

盡日じんじつ 裴回はいかいし 寺門じもん

惆悵ちゅうちょうす 春歸はるかえりて とどざるを

紫藤しとうの 花下かか ようや黄昏こうこん


字句解釈

晦日   三十日と表記したテキストもある。1,2,3月が春、4月から夏。三十日は陰暦では春三月の最後の日。

慈恩寺   唐第2代皇帝太宗の第9子、 唐第3代皇帝高宗が母の没後に建立した寺。  三蔵法師玄奘ゆかりの寺。  <参考>唐王朝年表

裴回   ゆきつかえりつ。

惆悵   かなしい。


詩の鑑賞

白居易43,44歳ころの作。この詩は唐詩選、三体詩にはないが和漢朗詠集にあり、日本ではよく知られている。
春の去るのを惜しむなぞ、白居易の詩風が変化してきている。 源氏物語に「四月一日のころ。我が宿の藤の色濃き黄昏に訪ねやは来ぬ春の名残を」。
松尾芭蕉に「くたぶれてやどかるころやふじのはな」「ほととぎすやどかるころのふじのはな」。
松田鉄也「長安の月 寧楽の月―仲麻呂帰らず」。

白居易44歳元和10年(815年)一大事件が起こり、それに巻き込まれて左遷されることになる。
時の宰相武元衡が剣南西河節度使を兼て 蜀(成都)に居たとき暗殺された。それを非難したため、越権行為として罰せられた。
剣南節度使としては5,60年前の杜甫を援助した厳 武が思い出される。



 

再掲


香爐峰下新卜山居草堂初成偶題東壁   唐 白居易
漢詩を楽しむ18頁 漢詩鑑賞辞典499頁  全唐詩卷四百三十九


 香爐峰下新卜山居
 草堂初成偶題東壁  白居易

日高睡足猶慵起,

小閣重衾不怕寒。

遺愛寺鐘欹枕聽,

香爐峰雪撥簾看。

匡廬便是逃名地,

司馬仍為送老官。

心泰身寧是歸處,

故郷何獨在長安。


 香爐峰下こうろほうかあらた山居さんきょぼく
 草堂そうどうはじめてたまたま東壁とうへきだいす   白居易はくきょい

日高ひたかねむれるもくるにものう

小閣しょうかくきんかさねてさむさをおそれず

遺愛寺いあいじかねまくらそばだてて

香爐峰こうろほうゆきすだれかかげて

匡廬きょうろ便すなわのがるるの

司馬しばろうおくるの官為かんた

心泰こころやす身寧みやすきは するところ

故郷こきょうなんひと長安ちょうあんのみにらんや


字句解釈

香爐峰     廬山にある香爐の形をした山。独立峰ではなく連山。 廬山の廬はいおり。廬山には李白も一時いたことがある。

卜山居    卜はうらなう。卜居は家を建てること。

草堂     草ぶきの粗末な家、自分の家。

題     書きつける。

初成     初めてできたのではなく、できたばかりの意。

猶慵起     起きるのが面倒だ。

小閣     二階建ての小さな家。閣は2階建。

重衾     衾(しとね)はどてら、か。

香爐峰雪撥簾看     清少納言 枕草子 第二百九十九段 
「雪のいと高う降りたるを例ならず御格子まゐりて、炭びつに火おこして、物語などして集まりさぶらうに、 「少納言よ、香炉峰の雪いかならむ。」と仰せらるれば、御格子上げさせて、御簾を高く上げたれば、 笑はせたまふ。人々も「さることは知り、歌などにさへ歌へど、思ひこそよらざりつれ。 なほ、この官の人にはさべきなめり。」と言ふ。」

欹枕     枕をちょっと立てる。

匡廬     廬山のこと。

逃名     名声など俗世間のことから逃れた。

司馬     長官は刺史、司馬はその補佐。本来は馬を司る官だが実際は左遷された人の閑職。

歸處     落ち着くところ。

     

詩の鑑賞

中唐の大詩人、白居易(号は白楽天)の詩の中で日本人に最もよく知られた詩である。
44歳の時に長安の宮廷の派閥闘争に敗れて左遷の身となり、司馬となって蘆山に居をなした時の詩であり 不遇の身の屈折した感情が読み取れる。
心中に憤懣が渦巻いているがそれを表に出さず、閑職の朝寝を幸いとして落ち着くところは長安のみではなかろうと嘯いている。
悪く言えば負け惜しみ、よく言えば精神の強さがあり、孟浩然、杜甫とはまた違った趣がある。




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Last modified    First updated 2016/08/22