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杜牧作詩の背景 |
「杜牧年譜」 「唐代詩人年表」 「唐王朝年表」 「中国の歴史要約」 |
杜牧年譜1 803年 1歳 ~839年 37歳 杜牧年譜2 840年 38歳 ~852年 50歳 唐代詩人年表1 580年 魏 徴 ~718年 賈 至 唐代詩人年表2 735年 李 頎 ~843年 魚玄機 唐王朝年表1 618年 高 祖 ~779年 代 宗 唐王朝年表2 779年 徳 宗 ~907年 哀 宗 中国の歴史要約1 中国の歴史要約2 分裂の時代 |
「人名・ 用語・ 書名」 |
人名 杜牧 謝脁(しゃちょう) 李白 杜佑 沈傳師 牛僧儒 李徳裕 息夫人 煬帝 隋 文帝 王羲之 用語 監察御史 科挙 牛李の党争 節度使 刺史 書名 中国名詩選 川合康三著 漢詩鑑賞辞典 石川忠久著 参考詩 |
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詩の鑑賞 |
杜牧は35歳の時、 宣州(南昌)に赴任、36歳長安へ戻り、 40歳志願して黄州の刺史(長官)となる。 42歳の時、秋浦川のある池州の刺史、44歳睦州刺史、46歳湖州刺史、49歳長安に戻り、 50歳で没した。 この詩は杜牧得意の懐古の詩である。 |
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字句解釈 |
秋聲 秋の落ち葉の音、風の声。 離心 ①自分から離れていく人を思う寂しさ。②都から離れた異郷にある寂しさ。ここは②。 夢澤 「雲夢の澤」 洞庭湖のあたり、湿地帯、方800里(400km)と文選に司馬相如は言う。 蒹葭 あし、よし。 楚雨深 楚といえば、田舎の寂しさがある。例:李商隠 夜雨寄北 梧葉 あおぎり。 幹 ①おかす。②もとめる。ここは② 哀吟 悲しい歌。 |
詩の鑑賞 |
杜牧の晩年の心情の吐露。 |
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字句解釈 |
嗚軋 むせび、きしる。 江樓 揚子江の川岸の楼。 角一聲 角笛の声。 微陽 かすかなひかり。 瀲瀲 さざなみ。 不用 しかたがない。 長亭 10里毎の宿場。10*75=750里=330km、実際は2,250里 「十」を「しん」と平声に読むのは、字数が多い時に限る。 |
詩の鑑賞 |
起承転結が上手である。言いたいことは、故郷長安はすでに遠く、 政界で十分な働きの出来なかった、さびしさ、自責の念がある。 単なる望郷の詩ではない。 |
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字句解釈 |
池州。 李白「白髪三千丈」の秋浦川のあるところ。 清溪 清らかな谷川。 秋來 「來」は助辞、意味なし。 何物 自分のこと。 千遍洗 千回、髪を洗う。実際は心をあらう。 筆頭塵土漸無痕 解釈に諸説あり。 田舎暮らしの塵、または、役人生活の塵がようく取れた自分はいったい何者なのだ。 |
詩の鑑賞 |
黄州の2年後、池州に赴任した。杜牧晩年心境。 俺はいったい何物なのだろうか? |
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字句解釈 |
使君 長官。ここでは自分のこと。 左銅魚 魚の形をした割符。任地で使君であることを証明する。 循吏 良い官吏。 晩花 おそいはな。 紅豔 紅であでやか。 嘉賓 立派な客。 妝梳 長官。ここでは自分のこと。 偃求五鼎 偃は人名。史記に故事あり。「生て五鼎に食わずんば死して五鼎に烹られん」 「史記‐主父偃伝」の「丈夫生不五鼎食、死即五鼎烹耳」から、 一生涯に五鼎 (五つのかなえに盛った五種の馳走)をそなえて食べるほどに立身出世できなければ、 むしろ大罪を犯して五鼎の中で煮られて死んだほうがましだ。 功名心を述べたもの。五鼎に食わずんば五鼎に烹られん。 陶 陶淵明。 賢豪 立派な人。 渠 彼(かれ)、三人称の代名詞。 |
詩の鑑賞 |
池州での作。投げやりなところ、不満がある。 大政治家にもなれず、仙人にもなれない。 宰相(賢豪)になっている従弟を妬んでいるか? |
吟 詠 久川憲四郎様 山 行 唐 杜 牧 漢詩を楽しむ53頁 漢詩鑑賞辞典547頁 全唐詩卷二百七十三 |
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字句解釈 |
呉興 太湖のある湖州。 樂游原 長安の曲江の近く、漢代に出来た公園。 李商隠 樂游原 清時 太平な時代。 有味 おもむきのある、おもしろい。 一麾 大将旗。長官旗。 江海 江南。 昭陵 太宗(李世民)の陵。 |
詩の鑑賞 |
杜牧は44歳の時、睦州長官、46歳848年に長安に戻り、48歳で湖州長官となる。湖州での作。 政治の乱れを嘆き、自分の無力を嘆き、青春への惜別、唐王朝への惜別を詠っている? |
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字句解釈 |
衣上塵痕拂漸難 ①田舎暮らしが染みついた。②役人暮らしがしみついた。諸説あり 惆悵 悲しい。 釣竿手卻遮西日向長安 釣りの手が長安を遮っている。長安に帰りたくないなあ。 |
詩の鑑賞 |
49歳、湖州長官を辞めて、長安への帰途の作。長安に帰りたくないなあ、という複雑な心境。 |
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字句解釈 |
觥船 水牛の角で作った大杯。 一棹 ひとゆすり。 百分空 全部からになった。 公 晋代の酒飲み畢卓(ひったく)。 禪榻 禅定(ぜんじょう)を修するときに用いる腰掛け。座禅に用いる腰掛け。 |
詩の鑑賞 |
杜牧の最高傑作。 創作背景 這首詩寫詩人恬淡閒適的生活情趣,當是作者晩年時在禪寺修養時有感而作。 賞析 前兩句寫詩人年輕時落拓不羈、以酒為伴的瀟灑生涯。詩人暗用畢卓的典故,説自己十多年來, 常常乘著扁舟載著美酒,自由自在地泛舟漂流,在酒的世界裡如同畢卓那樣, 忘憂忘返,覺得萬事皆空。用十年的青春歳月來與酒相伴,真算得上不辜負酒神。這裡的“觥”、 “公”同音雙關,由“觥”到“公”的轉換見出詩人對酒的讚頌,酒以其忘憂解憂而成了詩人的友人、 恩人。由此也暗寓著詩人在多年來鬱郁不得志、借酒澆愁的真實生活状態。 後兩句表現出一種洞悉世情的灑脱。詩人如今已經兩鬢斑白了,斜臥在禪床邊, 品著僧人獻上的清茶,見煮茶的裊裊輕煙盤鏇在微風中,此刻的閒情與安逸愜意飄然。 可能是詩人借清茶一杯以消酒渴,也可能是晩年因體衰而不能多飲聊且以茶代酒, 或是因茶而思酒,但這兩句所透露出來的清幽境界和曠達情思,韻味深長。 詩人杜牧平生留心當世之務,論政談兵,卓有見地,然而卻投閒置散,始終未能得位以施展抱負, 以致大好年華只能在漫遊酣飲中白白流逝,落得“今日鬃絲禪榻畔,茶煙輕揚落花風” 的結果。此處“茶煙”與前面的“觥船”相應,“落花”與“青春”相應, 説明一生自許甚高的詩人已經歩入衰老之境,不僅施展抱負無從説起,就連酣飲漫遊也不復可能, 只有靠參禪品茗來消磨剩餘的歳月。 全詩通過酒與茶兩種境界的對比描寫,深蘊著對人生的獨特體悟。年輕時的風流放浪以及壯志難酬, 全在“觥船”、“青春”等語句中體現出來;而今清靜禪院中的“禪榻”、 “茶煙”所引發的萬般感慨,如同縈繞於落花風中的茶煙一樣散去無蹤。 這首詩中包含著對年華老去時的感念與豁達、對過去青春歳月的追懷兩種截然不同的情緒, 全詩灑落而不見其辛酸。 |
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字句解釈 |
歳旦 元旦。) 朝回 朝廷より歸る。 口號 口ずさむ。 星河 天の川。 知命 50歳。(論語) 15歳志学、20歳弱冠、30歳而立、40歳不惑、50歳知命、60歳耳順 70歳従心 且 其の上に/さらに/あることに重ねて/物事の同時進行および並列の意を表す。 知非 故蘧伯玉年五十,而有四十九年非。(論語、また、淮南子) 「四十九年の非を知って、今までの一生は間違っていたと悟って、また新たなる意気を持って踏み出す」 |
詩の鑑賞 |
杜牧50歳、5品、11月病気、年末逝去。この年の正月の作。 何が非であったのか?--唐王朝の衰退を止めえなかったなあという自責の念か? |