第59回講義

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2019.10.31 録音

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唐詩鑑賞最終講義 玉井幸久先生

宋詩鑑賞開講 櫻庭慎吾先生


 

杜牧作詩の背景



「杜牧年譜」


「唐代詩人年表」


「唐王朝年表」


「中国の歴史要約」

杜牧年譜1 803年 1歳 ~839年 37歳
杜牧年譜2 840年 38歳 ~852年 50歳

唐代詩人年表1 580年 魏 徴 ~718年 賈 至
唐代詩人年表2 735年 李 頎 ~843年 魚玄機

唐王朝年表1 618年 高 祖 ~779年 代 宗
唐王朝年表2 779年 徳 宗 ~907年 哀 宗

中国の歴史要約1 
中国の歴史要約2 分裂の時代


中国文学地図

地名  齊安郡(黄州)・池州・睦州・湖州  長安  南昌(宣州)  揚州(地図)  揚州(解説)  貴池  南京  江 州(九 江)  洛陽

川名・湖名  秋浦  秋浦(説明)  長江  洞庭湖  黄河


春秋列国の形勢

周(洛陽)            楚(郢)      


人名用語書名」

人名 杜牧 謝脁(しゃちょう)  李白 杜佑 沈傳師  牛僧儒  李徳裕  息夫人  煬帝  隋 文帝  王羲之

用語  監察御史  科挙  牛李の党争  節度使  刺史

書名  中国名詩選 川合康三著  漢詩鑑賞辞典 石川忠久著

参考詩

     

 

齊安郡晩秋    唐 杜牧

杜牧100選 全唐詩 卷五百二十二


 齊安郡晩秋    杜牧

柳岸風來影漸疏,

使君家似野人居。

雲容水態還堪賞,

嘯志歌懷亦自如。

雨暗殘燈棋散後,

酒醒孤枕雁來初。

可憐赤壁爭雄渡,

唯有蓑翁坐釣魚。

 齊安郡晩秋せいあんぐんばんしゅう  杜牧とぼく

柳岸りゅうがん 風來かぜきたりて 影漸かげようやくまばらなり

使君しくんの いえたり 野人やじんきょ

雲容うんよう 水態すいたい しょうするにえた

嘯志しょうし 歌懷かかい 自如じじょたり

あめ殘燈ざんとうくら棋散きさんじてのち

さけく孤枕こちんめて 雁初かりはじめきた

あわれむべし 赤壁せきへき ゆうあらそそいしわたし

り 蓑翁さおう してうおるあり


字句解釈

齊安郡   黄州

野人居   野人は宮仕えしない人。

嘯志歌懷   うたごころ。

自如   ①気楽、平気。②もとのまま。

赤壁   赤壁杜牧  題桃花夫人廟杜牧。  蘭 溪杜牧。  (解説)赤壁の戦い


詩の鑑賞

杜牧は35歳の時、 宣州(南昌)に赴任、36歳長安へ戻り、 40歳志願して黄州の刺史(長官)となる。
42歳の時、秋浦川のある池州の刺史、44歳睦州刺史、46歳湖州刺史、49歳長安に戻り、 50歳で没した。
この詩は杜牧得意の懐古の詩である。



 

齊安郡中偶題二首   唐 杜 牧

杜牧100選 全唐詩 卷五百二十二


 齊安郡中偶題二首 其二  杜 牧

秋聲無不攪離心,

夢澤蒹葭楚雨深。

自滴階前大梧葉,

幹君何事動哀吟。


 齊安郡中偶題二首せいあんぐんちゅうぐうだいにしゅ  杜牧とぼく

秋聲しゅうせい 離心りしんみださざるなく

夢澤ぼうたくの 蒹葭けんかに 楚雨深そうふか

おのずからしたたる 階前かいぜんの 大梧葉だいごよう

きみもとむ 何事なにごとか 哀吟あいぎんうごせると


字句解釈

秋聲   秋の落ち葉の音、風の声。

離心   ①自分から離れていく人を思う寂しさ。②都から離れた異郷にある寂しさ。ここは②。

夢澤   「雲夢の澤」 洞庭湖のあたり、湿地帯、方800里(400km)と文選に司馬相如は言う。

蒹葭   あし、よし。

楚雨深   といえば、田舎の寂しさがある。例:李商隠  夜雨寄北

梧葉   あおぎり。

幹   ①おかす。②もとめる。ここは②

哀吟   悲しい歌。


詩の鑑賞

杜牧の晩年の心情の吐露。


 

題齊安城樓    唐 杜 牧

杜牧100選 全唐詩 卷五百二十二


 題齊安城樓    杜牧

嗚軋江樓角一聲,

微陽瀲瀲落寒汀。

不用憑闌苦回首,

故郷七十五長亭。

 齊安城樓あんせいじょうろうだいす  杜牧とぼく

嗚軋おあつたり 江樓こうろうの 角一聲かくいっせい

微陽びよう 瀲瀲れんれんとして 寒汀かんてい

らんりて ねんごろに 回首かいしゅするを もちいず

故郷こきょう 七十五長亭ななふうごちょうてい


字句解釈

嗚軋   むせび、きしる。

江樓   揚子江の川岸の楼。

角一聲   角笛の声。

微陽   かすかなひかり。

瀲瀲   さざなみ。

不用   しかたがない。

長亭   10里毎の宿場。10*75=750里=330km、実際は2,250里
「十」を「しん」と平声に読むのは、字数が多い時に限る。


詩の鑑賞

起承転結が上手である。言いたいことは、故郷長安はすでに遠く、 政界で十分な働きの出来なかった、さびしさ、自責の念がある。 単なる望郷の詩ではない。




 

池州清溪  唐 杜 牧

杜牧100選 全唐詩 卷五百二十二


 池州清溪
   杜牧

弄溪終日到黄昏,

照數秋來白髮根。

何物賴君千遍洗,

筆頭塵土漸無痕。

 池州ちしゅう清溪せいけい   杜牧とぼく

けいろうして 終日しゅうじつ 黄昏こうこんいたる、

てらかぞう 秋來しゅうらい 白髮はくはつこん

何物なにものぞ きみりて 千遍せんぺんあらうは、

筆頭ひっとうの 塵土じんどは ようやく 痕無あとなし。


字句解釈

池州。   李白「白髪三千丈」の秋浦川のあるところ。

清溪   清らかな谷川。

秋來   「來」は助辞、意味なし。

何物   自分のこと。

千遍洗   千回、髪を洗う。実際は心をあらう。

筆頭塵土漸無痕   解釈に諸説あり。
田舎暮らしの塵、または、役人生活の塵がようく取れた自分はいったい何者なのだ。


詩の鑑賞

黄州の2年後、池州に赴任した。杜牧晩年心境。
俺はいったい何物なのだろうか?



 

春末題池州弄水亭    唐 杜牧

杜牧100選 全唐詩 卷五百二十二


 春末題池州弄水亭    杜牧

使君四十四,兩佩左銅魚。

為吏非循吏,論書讀底書。

晩花紅豔靜,高樹綠陰初。

亭宇清無比,溪山畫不如。

嘉賓能嘯詠,宮妓巧妝梳。

逐日愁皆碎,隨時醉有餘。

偃須求五鼎,陶只愛吾廬。

趣向人皆異,賢豪莫笑渠。

 春末しゅんまつ 池州ちしゅう弄水亭ろうすいていだいす   杜牧とぼく

使君しくん 四十四しじゅうし、 ふたた左銅魚さとうぎょぶ。

るも 循吏じゅんりにあらず、しょろんずるも なんしょむならん

晩花ばんか 紅豔こうえんしずかに、 高樹こうじゅ 綠陰りょくいんはじめ。

亭宇ていう きよきこと比無たぐいなく、 溪山けいざん しかず。

嘉賓かひん 嘯詠しょうえいし、 宮妓きゅうぎ たくみに妝梳しょうそす。

いて うれ皆碎みなくだけ、 ときしたがいてうことあまりあり。

えんすべからく 五鼎ごてもとむべく、 とういおりあいす。

趣向しゅこう 人皆異ひとみなことなれば、 賢豪けんごう かれわらなか


字句解釈

使君   長官。ここでは自分のこと。

左銅魚   魚の形をした割符。任地で使君であることを証明する。

循吏   良い官吏。

晩花   おそいはな。

紅豔   紅であでやか。

嘉賓   立派な客。

妝梳   長官。ここでは自分のこと。

偃求五鼎   偃は人名。史記に故事あり。「生て五鼎に食わずんば死して五鼎に烹られん」
「史記‐主父偃伝」の「丈夫生不五鼎食、死即五鼎烹耳」から、 一生涯に五鼎 (五つのかなえに盛った五種の馳走)をそなえて食べるほどに立身出世できなければ、 むしろ大罪を犯して五鼎の中で煮られて死んだほうがましだ。 功名心を述べたもの。五鼎に食わずんば五鼎に烹られん。

陶   陶淵明

賢豪   立派な人。

渠   彼(かれ)、三人称の代名詞。


詩の鑑賞

池州での作。投げやりなところ、不満がある。
大政治家にもなれず、仙人にもなれない。
宰相(賢豪)になっている従弟を妬んでいるか?



 

吟 詠    久川憲四郎様 

山 行  唐 杜 牧


漢詩を楽しむ53頁  漢詩鑑賞辞典547頁  全唐詩卷二百七十三


 山 行  杜 牧

遠上寒山石徑斜,

白雲生處有人家。

停車坐愛楓林晩,

霜葉紅於二月花。


 山行さんこう  杜牧とぼく

とお寒山かんざんのぼれば 石徑せっけいななめなり

白雲はくうん しょうずるところ 人家じんか

くるまとどめて そぞろあいす 楓林ふうりんくれ

霜葉そうようは 二月にがつはなよりくれないなり

 

將赴呉興登樂游原一絶 唐 杜牧

杜牧100選 全唐詩 卷五百二十一


 將赴呉興登樂游原一絶
 杜牧

清時有味是無能,

閑愛孤雲靜愛僧。

欲把一麾江海去,

樂游原上望昭陵。


 まさ呉興ごきょうおもむかんとして
樂游原らくゆうげんのぼ一絶いちぜつ    杜牧とぼく

清時せいじ 味有あじあるは 無能むのう

かん孤雲こうんあいし しずかそうあいす。

一麾いちびらんとっし 江海こうかいる、

樂游原上らくゆうげんじょう 昭陵しょうりょうのぞむ。


字句解釈

呉興   太湖のある湖州

樂游原   長安の曲江の近く、漢代に出来た公園。
李商隠 樂游原

清時   太平な時代。

有味   おもむきのある、おもしろい。

一麾   大将旗。長官旗。

江海   江南。

昭陵   太宗(李世民)の陵。


詩の鑑賞

杜牧は44歳の時、睦州長官、46歳848年に長安に戻り、48歳で湖州長官となる。湖州での作。
政治の乱れを嘆き、自分の無力を嘆き、青春への惜別、唐王朝への惜別を詠っている?




 

途中一絶    唐 杜 牧

杜牧100選 全唐詩 卷五百二十三


途中一絶    杜 牧

鏡中絲發悲來慣,

衣上塵痕拂漸難。

惆悵江湖釣竿手,

卻遮西日向長安。

途中一絶とちゅういちぜつ   杜牧とぼく

鏡中きょうちゅう 絲發いとはっし かなしむにこのごろれ、

衣上いじょうの 塵痕じんこん はらうことようやかたし。

惆悵ちゅうちょうす 江湖こうこ 釣竿ちょうかん

かえって西日せいじつを さえぎって 長安ちょうあんむかう。


字句解釈

衣上塵痕拂漸難   ①田舎暮らしが染みついた。②役人暮らしがしみついた。諸説あり

惆悵   悲しい。

釣竿手卻遮西日向長安   釣りの手が長安を遮っている。長安に帰りたくないなあ。


詩の鑑賞

49歳、湖州長官を辞めて、長安への帰途の作。長安に帰りたくないなあ、という複雑な心境。



 

題禪院    唐 杜 牧

杜牧100選 全唐詩 卷五百二十二


 題禪院    杜 牧

觥船一棹百分空,

十歳青春不負公。

今日鬢絲禪榻畔,

茶煙輕颺落花風。

 禪院ぜんいんだいす   杜牧とぼく

觥船こうせん 一棹いっとう 百分ひゃくぶんむなし、

十歳じゅっさいの 青春せいしゅん こうそむかず。

今日こんじつ 鬢絲びんし 禪榻ぜんとうほとり

茶煙さえん かるあがる 落花らくかかぜ


字句解釈

觥船   水牛の角で作った大杯。

一棹   ひとゆすり。

百分空   全部からになった。

公   晋代の酒飲み畢卓(ひったく)。

禪榻 禅定(ぜんじょう)を修するときに用いる腰掛け。座禅に用いる腰掛け。


詩の鑑賞

杜牧の最高傑作。

創作背景
這首詩寫詩人恬淡閒適的生活情趣,當是作者晩年時在禪寺修養時有感而作。
賞析
前兩句寫詩人年輕時落拓不羈、以酒為伴的瀟灑生涯。詩人暗用畢卓的典故,説自己十多年來, 常常乘著扁舟載著美酒,自由自在地泛舟漂流,在酒的世界裡如同畢卓那樣, 忘憂忘返,覺得萬事皆空。用十年的青春歳月來與酒相伴,真算得上不辜負酒神。這裡的“觥”、 “公”同音雙關,由“觥”到“公”的轉換見出詩人對酒的讚頌,酒以其忘憂解憂而成了詩人的友人、 恩人。由此也暗寓著詩人在多年來鬱郁不得志、借酒澆愁的真實生活状態。
後兩句表現出一種洞悉世情的灑脱。詩人如今已經兩鬢斑白了,斜臥在禪床邊, 品著僧人獻上的清茶,見煮茶的裊裊輕煙盤鏇在微風中,此刻的閒情與安逸愜意飄然。 可能是詩人借清茶一杯以消酒渴,也可能是晩年因體衰而不能多飲聊且以茶代酒, 或是因茶而思酒,但這兩句所透露出來的清幽境界和曠達情思,韻味深長。 詩人杜牧平生留心當世之務,論政談兵,卓有見地,然而卻投閒置散,始終未能得位以施展抱負, 以致大好年華只能在漫遊酣飲中白白流逝,落得“今日鬃絲禪榻畔,茶煙輕揚落花風” 的結果。此處“茶煙”與前面的“觥船”相應,“落花”與“青春”相應, 説明一生自許甚高的詩人已經歩入衰老之境,不僅施展抱負無從説起,就連酣飲漫遊也不復可能, 只有靠參禪品茗來消磨剩餘的歳月。
全詩通過酒與茶兩種境界的對比描寫,深蘊著對人生的獨特體悟。年輕時的風流放浪以及壯志難酬, 全在“觥船”、“青春”等語句中體現出來;而今清靜禪院中的“禪榻”、 “茶煙”所引發的萬般感慨,如同縈繞於落花風中的茶煙一樣散去無蹤。 這首詩中包含著對年華老去時的感念與豁達、對過去青春歳月的追懷兩種截然不同的情緒, 全詩灑落而不見其辛酸。



 

歳旦朝回口號    唐 杜 牧

杜牧100選 全唐詩 卷五百二十四


 歳旦朝回口號    杜 牧

星河猶在整朝衣,

遠望天門再拜歸。

笑向春風初五十,

敢言知命且知非。

 歳旦さいたん ちょうよりかえり 口號こうごう   杜牧とぼく

星河せいが るに 朝衣ちょういととのえ、

天門てんもんを 遠望えんぼうして 再拜さいはいしてかえる。

わらいてむかい はじめて五十ごじゅう

あえう 知命ちめいは まさ知非ちひならんとすと。


字句解釈

歳旦   元旦。)

朝回   朝廷より歸る。

口號   口ずさむ。

星河   天の川。

知命   50歳。(論語) 15歳志学、20歳弱冠、30歳而立、40歳不惑、50歳知命、60歳耳順 70歳従心

且   其の上に/さらに/あることに重ねて/物事の同時進行および並列の意を表す。

知非   故蘧伯玉年五十,而有四十九年非。(論語、また、淮南子)
「四十九年の非を知って、今までの一生は間違っていたと悟って、また新たなる意気を持って踏み出す」


詩の鑑賞

杜牧50歳、5品、11月病気、年末逝去。この年の正月の作。
何が非であったのか?--唐王朝の衰退を止めえなかったなあという自責の念か?